─玉川温泉─

 秋田県北部と岩手県北部の県境に広がる、高原状の山塊、八幡平。ブナ林など自然の宝庫として名高いが、地熱発電が行われるほど大地のエネルギーに満ちた山でもある。当然周辺には数多くの温泉が湧いているのだが、その中でも最も有名な温泉の一つに、玉川温泉がある。
 玉川温泉は八幡平の西南麓、田沢湖から玉川を遡った渓谷沿いに湧く。この温泉は他の温泉にない多くの特徴を持っている。その一つが、日本一の強酸性。ph値は1.2で、主成分は塩酸。次に特徴的なのが毎分8400リットルというその噴出量で、一ヶ所からの噴出量としてはこれまた日本一である。これだけでも十分すごいのだが、さらに微量の放射能を放っているという特徴まである。この温泉に含まれるラジウムなどの放射性元素が、長い時間をかけて石化したものが「北投石」と呼ばれるもので、国の天然記念物に指定されており、ここ玉川温泉の他は、世界でも台湾とチリの二ヶ所でしか産しないという貴重な石である。また、非常に高い殺菌力を有する湯でもあり、化膿菌や大腸菌も五分で死滅するというデータがある。
 もっとも、一方でこの湯が玉川に流れ込むことにより、下流の農作物に被害が出るという、強酸性ゆえの弊害があった。そのため、玉川の水を一旦田沢湖に導くよう戦前に工事が行われたが、結果、田沢湖は一匹の魚もいない死の湖と化してしまった。そのとき、世界で田沢湖にのみ生息していたクニマスも絶滅してしまったという。この問題を解決するため、後に大規模な中和処理施設が建てられた。それほどまでに強力な成分を有する温泉なのである。
 こうした類稀なる泉質により、「奇跡の温泉」と呼ばれ、かねてより湯治場として賑わって来た。特に微量に放たれる放射線により「癌が治る」という噂(単なる噂ではなく、体験談が出版されたりテレビで取り上げられたりしている)が広がり、癌患者の湯治客が多い。温泉の禁忌症には「悪性腫瘍」があがっているのだが……。
 玉川温泉は、山深い土地にあることから、長らく一軒宿の温泉であったが、こうした奇跡の効能によって湯治客が殺到するようになったためか、平成十一年にホテル形式の新玉川温泉、平成十六年には「ぶなの森玉川温泉 湯治館そよ風」が近隣に開業した。
 筆者が宿泊したのは最も新しいこの「湯治館そよ風」。玉川温泉は日帰り入浴も可能だが、冬期は玉川温泉へ至る道が一般車通行止めになり、バスも一日一往復しかないため(「湯治館そよ風」については田沢湖駅より送迎バスがあるが、これも路線バスと同時間帯で一往復のみ)、日帰り入浴は不可能。その上、玉川温泉旅館も新玉川温泉も満室であったため、この「湯治館そよ風」に泊まることとなった。なお、玉川温泉旅館は三カ月前から予約が一杯らしい。

筆者が宿泊した「湯治館そよ風」。施設は最新、清潔で何の問題もなく、浴場も新しい割には総ブナ造りで情緒も十分。だが……。

 「湯治館そよ風」は、さすがに出来たばかりで、館内は清潔で設備も整っている。しかし、どこか病院……とは言わないまでも、リハビリテーション施設のような趣がある。それもそのはず、経営母体は医療福祉会社で、この施設も「トータルヘルスケアホテル」というコンセプトで建てられているためだ。館内はもちろんのこと館外にも一切の娯楽施設はなく(せいぜい「湯治館そよ風」内に居酒屋があるぐらい)、湯治場としての姿勢を貫いている。館内でもよく見れば、壁に手をつきつつ、あるいは介護人に支えられながら歩いている人も多く、五体満足でシャキシャキ歩いていると申し訳ない気分になってくる。癌患者が多く湯治に訪れている、というのは前述の通りだが、旅館にあった新聞記事のコピーには「宿泊者の七割が癌患者」とあった。五体満足でブラブラしていると申し訳なくなってくるのも当然であろう。
 その分、本格的なマッサージや医師による健康診断、医療・介護スタッフの常駐など、療養施設としてのサービスは充実している。食事にも「地域の食材を生かした食事療法」を導入されており、だまこ鍋など確かに美味しい郷土料理を食べることが出来たが、味付けや油分など明らかに健康に留意した食事であり、「豪華な病院食」を味わっているような感があった。また、食事の際は、部屋食ではないので、男四人でゲラゲラ笑いながらご飯をお代わりしまくるなどしていると、周囲から浮いてしまう。ただ、この旅館では夕食はバイキング形式が基本らしい。つまりご飯どころかおかずだって本来はお代わり自由なのだ。筆者らが別部屋で違う食事を取ったのは、宿泊予約が遅かったためか、通常とは異なる宿泊コースだったためなのかは、定かではない。
 さて、このように旅館自体も一般の温泉旅館とは一線を画したもので、一般人の筆者には強烈なものがあったが、当の温泉に浸かってみると……やはり噂に違わぬ強烈さ。何しろスタッフから、いきなり源泉100%の湯に浸からないよう、注意があるくらいなのだから。まずは源泉50%の湯に浸かってみたが、これでも雫が目に入れば開けていられないほど強烈である。50%の湯によく慣れてから、源泉100%の湯に浸かってみると、以外にも湯温はぬるい。しかし、すぐに強烈な湯が肌に染み込んでくる。特に、少しでも皮膚が切れていたりかすれたりしている場所は要注意である。筆者は100%の湯につかってはじめて股ズレをしていることに気が付いた。平常気が付きもしないちょっとした皮膚の裂け目にも、この湯はしっかりと浸透して痛みを発してくれるのだ。おそらく、100%の湯は強烈なるが故に少し湯温を落としてあるのだろう。この湯は何と言うか……まるで消毒槽に漬けられているような気分になる。いや、多分消毒槽よりも消毒効果は高いだろう。浸かりすぎてかえって体調を悪くして帰る人もいるというのも頷ける。
 「湯治館そよ風」の内湯には、源泉50%の気泡風呂、50%の熱めの湯、100%源泉の湯、50%の寝湯、普通のお湯の樽風呂、人工岩盤浴場、蒸し風呂(サウナ)などがあり、外には50%の露天風呂と歩行浴槽がある。通常であれば平成16年築で情緒も何もないのでは……と思うところだが、浴場は浴槽から内壁まで総ヒバ造りであり(強酸性という湯の性質上、岩や金属が使えないのであろう)、それでも早くも木の表面が黒ずんでいて、既に赴き十分である。もちろん飲泉も効果があり、浴場内にも飲泉場が設けられているが、その際は10倍に希釈すること、と書かれていて、源泉と飲料水の二つの蛇口が付いている。筆者は無謀にも100%をそのまま飲んでみたが、その味は……推して知るべし、である。
 先に人工岩盤浴と書いたが、人工ならぬ天然の岩盤浴も、玉川温泉の目玉の一つである。むしろ、温泉入浴以上に湯治客の人気を集めている。これは源泉近くの、文字通り岩盤の上に横たわって、地熱と蒸気を浴びるというもので、放射能も最も濃い場所なので、癌治療が期待されるのであろう。
 岩盤は、源泉周辺のいわゆる「地獄谷」にあって、冬でも地熱により雪が融けており、常時無料開放されているので、岩盤浴は春夏秋冬四六時中可能である。また、玉川温泉旅館からは至近距離なので、歩いてすぐの距離である。新玉川温泉や、「湯治館そよ風」からは、送迎バスがある。が、これが人気な上に便も少ないので、なかなかままならない。特に冬は一般車通行止めの区間なので、送迎バスに頼らざるを得ない……が、歩いて行くことも不可能ではない。一応、公式では「歩いてはいけない」(不可能、禁止の両方の意味だと思われる)ことになっているが、たとえ冬でも行けないこともないのである。ただし、事前に道は確認したい。間違って国道に出てから行くと、起伏の激しい道を果てしなく大回りするする羽目になる。「玉川温泉ビジターセンター」の方から向かう近道があるようだ(筆者はこれを知らず往復とも雪の壁と真っ暗なトンネルの続く道を何キロも歩く羽目になった)。

峡谷にかかる高い橋から景色もなかなか……だが、この景色を見た時点で既に道を間違えている。引き返そう。 道を間違えると、こんな巨大な氷柱がお出迎えしてくれる。

ようやく見えた玉川温泉旅館……だが、あそこまで下るのも一苦労。通常徒歩でこの景色を見ることはない。 岩盤一帯を見下ろす。

 岩盤については、玉川温泉旅館に泊まった際や他の旅館からバスで来た際は説明があるだろうし、一人で来たとしても冬期以外は見れば分かるだろう。たとえ冬期でも日中なら人で賑わっているので分かるだろうし聞くこともできる。しかし、筆者のように、冬期の夕方に一人で歩いて(宿泊をともにした後輩達は当然ながら誰もついて来なかった)、しかも国道側から来ると、案外迷うことになる。道を聞こうにも人もいないし、冬期一般車通行止めで送迎バスが全て帰った後の状態で旅館に聞くのも憚られる。そんな奇特な人のために言っておくと、岩盤行きは、公衆トイレの先に続く、雪の壁に挟まれた狭い道を行くのが正解である。これが玉川温泉の自然研究路である。
 この道を進んでいくと、「北投石」のある場所(案内板だけでよく分からない)を過ぎ、やがてもうもうと湯気が立ち込める緑色の淵のような場所に着く。その淵の奥に、轟音を立てて噴水のように湯を噴出している場所があるが、これが98℃の塩酸が毎分8400リットル噴き出るという、玉川温泉の源泉・大噴(おおぶけ)である。

岩盤へ至る道。 北投石の案内板。それらしいものがあるようなないような……。

玉川温泉の源泉・大噴。噴水のようにジャボンジャボンと湯が湧く。 大噴の案内板。98℃とか塩酸とか毒水とか、穏やかでない記述が見受けられる。

ダイナミックな大噴の様子を動画でどうぞ

 大噴の先に行くと、屋根がテントになった打掛小屋のような建物が三棟並んでいる。ここが岩盤。ゴザの敷かれたテントで岩盤浴するも、青空の下で毛布をかぶって看板浴するも自由。筆者が訪れたのは冬の夕刻だっため誰一人としていなかったが、特に夏期はごった返すらしい。またゴザ(テントの中には既に敷いてあるが泥で汚れていたりするので自分のを持っていたほうが良い、またテントが空いていなければ自分のゴザがないと岩盤で寝転がるのは不可能)や毛布、岩盤浴用の服などはレンタルしていないので、自前で準備しなければならない(「湯治館そよ風」には部屋に岩盤浴衣が用意され、売店で岩盤浴シートが売っていた。なお当然岩盤には着替えスペース等はない)。
 筆者はテントの中で一時間ほど岩盤浴をしてみた。感じとしては天然サウナというところで、なかなか心地よく、知らず知らずのうちに時間が経ってしまう。ただ、ゴザを敷いていても、たまに蒸気の噴出し口の上などで非常に熱い場所があるので注意。そうでなくとも、天然の地熱だけに微妙な場所の違いで熱さが違うので、寝ながらも微調整が必要である。また、金属品はできるだけ外して置いてくるか、せめて厳重に布などにくるんでしまっておきたい。筆者は右腕に銀のアクセサリーをしたままにしておいたら、一時間の間に錆びてしまった。

岩盤浴用のテント、もしくは打掛小屋。 こんな場所でも岩盤浴できる。が、温度と硫化水素濃度に注意。

 
こんな幻想的な風景を見ながら蒸気と放射線を浴びて寝転がれば、いつお迎えが来てもいいような気になる。  

 このように何かと常軌を逸した温泉ではあるが、本当に効く温泉を求めているのなら一度は訪れてみたい。ただし効きすぎるのでは無理は禁物である。ここに一度浸かると、他の温泉が「フツー」に思えてくる。

<玉川温泉>
所在地:秋田県仙北郡田沢湖町玉川
泉質:酸性-含二酸化炭素・鉄(Ⅱ)・アルミニウム-塩化物泉
泉温:98℃
湧出量:8400リットル/分(自噴)
PH値:1.2

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