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■東日本大震災 津波被災地見聞録 趣旨

 平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災。それにより引き起こされた未曾有の大津波は、東北を中心とした東日本の太平洋沿岸各地に、甚大な被害をもたらした。

 当サイト「邪神大神宮」は、朝廷に従わなかった「まつろわぬ民」と、その信仰の探求を目的とする。それは、管理人である自分にとってのライフ・ワークでもある。そんな私にとって、古代において「まつろわぬ民」の中心地とも言うべき東北は、聖地であり、「第二の故郷」でもある。その東北が大きな被害を受け、人々が苦しんでいるのは、胸を締め付ける出来事だ。
 さりとて、自分自身、日々の糧を求めていかねばならないし、平成二十三年の春は転職したばかりということもあって、ボランティアに身を投じられる体勢ではなかった。
 一方で、旅は自分の生き甲斐でもあった。旅のない人生など、自分にとっては死んでいるも同じだ。そして、震災から間もなく、東北が観光客の激減にあえいでいるという話も聞いた。ならば、自分に出来る支援は一つ。可能な限り東北を旅し、そこで消費をする事だ。日本の中でも最も興味ある地域だけに、これまでに何度も出掛け、あちこち見回った土地ではあるが、細かく見れば、まだ見ぬ場所も多くある。復興支援のための安価な切符等が売り出されたこともあり、この機会にそれらの場所を巡ってみる事にした。ゴールデンウィーク頃には厳しいものも感じられたが、暑さを増すに従って、いつも以上の活気すら感じられる事もあった。これもひとえに逆境の中、歯を食いしばって立ち上がろうと奮起した、東北の人々の気概と努力の賜物だろう。

 しかし、津波が襲った三陸の沿岸部には、なかなか足を向けられなかった。ゴールデンウィークの時点で、遠野や龍泉洞までは訪ねてみたが、それらの近接地や、その他ニュース等から得られた情報などで、津波被災地は道路状況も非常に悪く、資源の供給も限られており、観光客として宿や食事などに消費できる体勢になく、訪問は足手まといにしかならないように思われたからだ。岩手の北上川より西の地域の道路の電光掲示板にあった、「沿岸部渋滞多発 不急不要の通行自粛を」という表示を見ると、ただの観光で現地へ行ってはなるまい、という思いが決定的となった。
 それからしばらくして、暑さも盛りを過ぎた頃、三陸も少しずつ復興が進み、観光客の誘致を再開したという情報をいくつか耳にした。しかし、当然ながら客足は伸びず、少しでも多くの観光客の来訪を待っていると。
 今こそ、今こそ三陸へ行かねばならない。中には正視できないような凄惨な光景もあるだろうが、そういった現実を、自らの目と耳で見聞きする事が大事だ。そして、それを自分の言葉で伝える事が、自分に出来る最大の復興支援だと、そう思ったのである。

 「百聞は一見に如かず」というのが自分の信条であり、当サイト「邪神大神宮」でもその方針は貫いている。即ち、自ら伝承地に足を運び、見聞きした伝承しか取り上げない、という姿勢である。ライフ・ワークに対する姿勢は、自分の人生そのものに対する姿勢でもある。本当に重要だと思う事に対しては、何よりもまず自らの目と耳で見聞きする事。今回のような未曾有の災害に対しても、当然そのような姿勢で臨むべきである。
 何となれば、この災害は、他人事ではないからだ。もちろん、上に述べたように、東北が自らのライフ・ワークに関わる場所であるという理由もある。しかし、それに加えて、長年東京に暮らしており、今も東京に住んでいて、津波によって生じた福島第一原子力発電所の事故が、自分自身にとって現在進行形の問題であるという理由もある。原発問題は、決して他人事ではない、自分自身にとっての問題でもあるのだ。そのため、単に津波被災地のみではなく、色々な形で原発被害を受けている土地、そして原発そのものに最も近い場所にまで、自ら行ってみる事にした。

 かくして、平成二十三年十月より十一月にかけて、何度か津波被災地を訪ねる旅に出た。この「津波被災地見聞録」は、そうして津波被災地で自らの目と耳で見聞きしたことをまとめた、正真正銘の「見聞録」である。

─東日本大震災で亡くなられた全ての方のご冥福と、被災地の一日も早い復興をお祈り致します─

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