■東日本大震災 津波被災地見聞録 其之四
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□岩手県宮古市(平成二十三年十月十日訪問)
人口五万七千人強を擁する、岩手県沿岸部最大の街(他の市は二・三万人程度)。また本州最東端の自治体でもある。
同時に津波被害の酷さがよく報道された街だ。秋に泊まった岩手県の宿で見ていたTVで、宮古市内で39.5mまで津波が達した痕跡が確認されたと聞いた。現状判明している中では最大のものだろう。
リアス式海岸では、狭い湾内に津波が押し寄せた際、それが増幅されて、何倍もの高さになったというのは、よく聞くところである。
国道45号を南下していて、宮古市の北部・田老町に入ったとき、空襲後の焼け跡のような光景を目にして、呆然となった。おそらく、瓦礫を撤去した後なのだろうが、家屋の基礎だけが多数残っている。
他、農協や学校と思われるような、ごく一部の建物だけが、一応原型を留めている。
「集落壊滅」。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。現実そのままの言葉である。
平成の大合併により宮古市となる前は、田老町という一つの独立した自治体があり、その中心だったのだが、津波によって田老は滅んでしまったのだ。
今後の事はともかく、少なくとも一たびは。
田老は「万里の長城」と呼ばれる巨大な防潮堤が街を囲い、守っている事で有名だった。
確かに、今回の津波でも、「万里の長城」は無事なように見える。
しかし、現実にはその内側の街が壊滅している。
津波はこの防潮堤を軽く乗り越えたのだ。
「万里の長城」に立って海側を望むと、少なくとももう一重の防潮堤があったことが分かるのだが、すっかり破壊されてしまっている。
沖にも残骸が見えるので、さらにもう一重の防潮堤があったのかもしれない。
しかし、津波はこれらの防潮堤をあっさり破壊し、「万里の長城」をも難なく乗り越えて、内側の街を滅ぼしたのである。
今回の津波で街が壊滅した跡を見るのは、これが初めてであった。これまでの生涯で見た中で、間違いなく最も凄惨な光景であった。
車を降りた後、あまりの酷さに呆然と立ち尽くしてしまったが、「ずっと見ていると頭がおかしくなりそう」
というのが、偽らざる正直な感想だ。
田老から南に十キロ程南下した、宮古市の中心部に割と近いところに、三陸屈指の名所「浄土ヶ浜」がある。
JRや旅行会社のポスターなどによく使われる景色で、三陸のみならず東北を代表する観光地である。
秋に訪れた際には観光誘致を再開しており、そこそこの人出であった。車のナンバーを見ると、地元岩手ナンバーの他、宮城や仙台のナンバーが多かった。
被災後の東北の観光地を支えているのは、他ならぬ東北人自身なのである。
浄土ヶ浜は、駐車場からアップダウンの多い道を八百メートル程歩くため、このようなボンネットバスを運行している。
しかし、先の壊滅した田老の街の光景を思うと、地元があのような状態にある中、こういった観光に力を入れるというのは、並大抵の精神力では出来ぬことである。
いかに生活のためとは言え、敬意に値する気丈さだ。人々の再び立ち上がろうという強い意志が感じられ、大きな感動を覚えた。
浄土ヶ浜マリンハウスのトイレは、全壊に近い状態。
だが、トイレが壊れていても、遊覧船は動かせる。
サッパ船(小型漁船)にだって、観光客は乗せられる。
秋には遊覧船もサッパ船も運航していた。
「根性」とか「気合い」とか、日常軽く使われる部類の単語だが、こういうときこそ本物の「根性」や「気合い」が必要とされる局面である。
サッパ船に乗ると、海に半没した「青の洞窟」に案内してくれる。サッパ船は一人からでも随時運航してくれる。
なおサッパ船はヘルメット・ライフジャケット着用。ヘルメットをかぶっていると、何度もウミネコが頭に止まる。
浄土ヶ浜から一、二キロ程度しか離れていない宮古港は壊滅しており、ガソリンスタンドなどはこの有様。魚市場やその隣の道の駅なども壊滅的な被害を受け、営業していない。
ただし宮古の駅前は辛うじて津波の被害は免れたようで、デパートなども通常営業している。
駅から一キロ程度山側にある、「魚菜市場」というところも営業しており、魚市場としても機能している。
市場内の食堂で海鮮丼を食べる事も出来るし、お土産を買う事も出来る。
海鮮丼のあわびは、店主によると青森産のものだということだが、11月には宮古でもあわび漁が再開されるとのことだった。
また、訪れた十月中旬には、ちょうど宮古産の初物のはらこ(生筋子)が市場に出ていた。
□岩手県釜石市(平成二十三年十月十日訪問)
三陸で、宮古から南下すると最も近い市が釜石。
宮古辺りまでが北三陸、釜石辺りからは南三陸ということで、このあたりが三陸海岸の中央あたりに位置する。
釜石も宮古と並んで津波被害の酷さが繰り返し伝えられてきた場所だ。
私が釜石に到着したときには日が暮れてしまっていたため、被害の状況はあまりよく分からなかったが、トイレに入るために立ち寄った釜石駅は健在で、花巻~遠野~釜石を通るJR釜石線も全線運行している。
駅舎内では売店も営業していた。学生が乗り降りし、駅前にはタクシーが何台か停まっていて、日常生活が営まれている様子が伺える。
なお岩手沿岸南部の復興作業拠点は釜石から内陸に入った遠野にあって、釜石線と平行して花巻~遠野~釜石を通る国道283号線は、作業用の車や自衛隊の車両なども頻繁に通る。
それでも、道の状態が良好で、ルートの3分の1くらいは地域高規格道路(準高速道路)となっているので、渋滞はあまり発生せず、スムースに通行できる。この道は「復興道路」とも呼ばれているようである。
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