邪神大神宮 道先案内(ナビゲーション)
鳥居(TOP)斎庭(総合メニュー)万邪神殿紅葉宮>第五回 鬼女もみじ祭り(鬼無里村)



紅葉紀行 特別編
─第五回 鬼女もみじ祭り(鬼無里村)─



 平成十六年十月二日(土)、鬼無里村内裏屋敷跡にて第五回「鬼女もみじ祭り」が開催されました。紅葉様を奉ずる私も参加して参りました。

 祭りが始まる前にそばが本当に美味い「旅の駅鬼無里」で腹ごしらえをしたのですが、そこで店員さんに「もみじ祭り」の開催時間を尋ねてみると分からないとのこと。実は村内でもマイナーな行事なのでしょうか? 旅の駅にも祭りの幟が立っていたのですが。もっとも店員さんは親切にも問い合わせてくれて午後一時開催と教えてくれました。観光協会によると一時半開催とのことでしたが結構アバウト? まあ、十分に間に合う時間だったので問題はないのですが。

 開催時間に会場に向かうと、普段はひっそりと静かでまず人に会うこともない内裏屋敷が祭りにふさわしく盛大に飾り付けられていました。付近には特に駐車場もないのですが、この日は特別に近くの土砂置き場が駐車場になっていました。車を降りて受付で参加費千円を払います。同好の士が集うイベントや有名人のライブ、もしくは体験型のイベントや食事会ならともかく、こうした観光イベントに参加費とはやや異質な感じもしますが、その理由は祭りの内容を見ていけば分かるでしょう。
 参加費を払って記帳すると、どこから来たか尋ねられたので、「東京から」と答えると受付の方はやや驚いた様子。どうも観光客が訪れるような祭典ではなさそうです。
 記帳を済ますと、祭りの次第が書かれた紙を渡されました。式次第は大体次の通りです。

第一部
開会式 午後一時~一時四十五分
一 開会
二 主催者あいさつ
三 あいさつ
  もみじ及びやまぶき植樹
  法要・焼香
四 閉会

第二部
アトラクション 午後二時~二時五十分
一 大正琴の演奏 白雲の城 好きになった人(峯琴の会)
二 舞踊 七久里紅葉狩り(河藤比古重社中)
三 信州鬼無里 鬼女紅葉太鼓(鬼女紅葉太鼓保存会)

第三部
祝宴 午後三時~
一 開宴のあいさつ
二 祝い酒鏡割り
三 乾杯
四 祝宴
五 万歳三唱
六 閉会のあいさつ

 と、村長等主催者によるあいさつがはじまりました。そこへ花火がズドーンズドーン。景気がいいのはいいんですが、あいさつ中に打ち上げるのはどうかと……まるであいさつが聞こえませんよ。
 会場の内裏屋敷跡へ上がってみると、シートが敷いてあって所狭しと人が座っています。座りきれずに、立っている人も多数。しかしほとんどはスーツを着た村のご老人の方々。あとは地元の報道関係の方も来ていて、テレビカメラなどが設置されていました。若者や観光客らしき人はほとんど皆無、二、三人若い女性の方がいて、お坊さんや村の関係者に由緒などを聞いていましたが、熱心にメモを取ったり写真を撮ったりしている様子から、地元の新聞かタウン誌の記者のようでした。私は大学時代の友人K氏と来ていた訳ですが、この場では明らかに異質の存在、浮きまくりです。なお、舞台と席の他にはテントが一つあって何やら煮込んでいましたが、特に出店等は出ていませんでした。やはり通常の祭りとは趣が異なるようです。
 あいさつの中では「この祭りも最後となる訳ですが……」と不穏な発言。よく聞いてみると、来年鬼無里村が長野市に合併されるので、鬼無里村としてこの行事を行うのが最後となる、ということのようです。町村合併は時代の流れ、仕方ありますまい。伝説に基づく美しい村名が失われるのは寂しいことですが、人も土地も伝説も失われる訳ではないし、地名も残る訳ですから、これからも地域振興に頑張ってもらいたいですね。あいさつ中には「これからは個性ある村づくりが重要であり……」といった趣旨の発言がありましたが、大規模な自治体に吸収されてもその土地の個性は失わないでもらいたいです。何よりも稀に見る豊穣な自然と伝説を持つ村なのですから。

 あいさつが終わって、村長らによる記念植樹。鬼無里村としては最後になる「鬼女もみじ祭り」での植樹ですから心中複雑なものでありましょう。

 植樹の次は、紅葉と家臣の墓があり、紅葉の持仏を祀る村内の松巖寺住職による法要が営まれました。祝詞ならぬ読経ではじまる祭りも異様ですが紅白幕をバックに僧侶が読経する様も異様。もちろん祭りの趣旨(村に文化を伝えた紅葉を供養し村の発展を願う)を考えれば当然ですし、仏式による祝い事だってあるのですからおかしなことではないのですが、祭り=神社、仏教=葬式の図式を持つ日本人一般からすれば異様ですね。もっともかつて神主であった頃神式の葬儀や年祭(仏教でいう法事)を行った私にしてみればどうということはありませんが。いずれにしても村の方々の紅葉へのひとかたならぬ思いが伝わってくる行事です。

 法要は粛々と進みます。といっても松巖寺は曹洞宗、即ち禅宗でして、読経中に太鼓や鉦が打ち鳴らされる結構派手な様式だったりします。法要中には関係者による焼香も行われました。さながら釜岩紅葉大禅尼(紅葉の戒名)千五回忌という感じですね。この祭典が五回目ということは紅葉千回忌を期にはじめられたのでしょう。

 法要も終わり第一部は閉会、ここまでほぼ時間通りで、十五分休憩でも挟むのかと思いきや、時間前倒しでそのまま続けて第二部のアトラクションへと突入しました。ますは村のおばあさん方による大正琴の演奏。屋外で何十人にも及ぶ大正琴の多重演奏を聴く機会というのはなかなかないのではないでしょうか。仕事が終わるや否や金曜の夜から友人を乗せて徹夜で走り続け、長野の山奥で聞くおばあさん達の大正琴。目頭が熱くなるほどシュールな状況です。うーん、音色が心に沁み入るなあ。そういえば今は亡き父方の祖母も大正琴が好きだったっけ。どうしておばあさん達は大正琴が好きなんでしょう。「大正」という名称からして当時画期的でモダンな楽器だったのでしょうね。思わず聴き入り過ぎてしまったため写真を撮り忘れてしまいました。(注 執筆時の筆者は二七歳です

 大正琴の演奏の次は日本舞踊をアレンジした「七久里紅葉狩り」が舞われました。演者は鬼女紅葉役、これを退治した平維茂(たいらのこれもち)役、樹木の紅葉(鬼女紅葉の部下でもある?)役二人の計四人。話の筋書きはほぼ謡曲「紅葉狩」の通り。平維茂が、紅葉の酒宴に誘われるところからはじまります。

七久里紅葉狩り(動画)


 平維茂、降魔の利剣を授かる。

 鬼女に変身した紅葉、被衣を被って登場。

 紅葉と維茂、決戦の時。

 いよいよ一騎打ち!!

 ファイヤーー!!!

 あはれ紅葉は討ち取られぬ。

 そして最後のアトラクション……となるはずですが、時間を前倒しで進めてきたために、太鼓の準備が間に合わないとのこと。何でも演奏者の方々は仕事を終わらせてから来ているそうで、予定の時間通りでないと間に合わないとか。そういえばあいさつの中で、「収穫の時期でお忙しい中お集まり頂きまして、それで午後からの開催となっている訳ですが……」というような話がありました。そうです、農村の秋は忙しいのです。

 ということで、予定を入れ替えて、太鼓の前に祝宴が開かれることになりました。いやー、臨機応変というかアバウトというか。そして、若干のあいさつの後、鏡割り。いやあ、めでたいめでたい。
 その後、シート席におでんや汁が配られました。参加費を払っている我々もおもむろに席に座ってみましたが、汁と見えたものはきのこ汁のすいとんだったようです。予期せぬ郷土料理に驚き。友人Kは、はじめこの行事を見て「町内の芋煮会のようだ」と評していましたがまさにそんな様相を呈してきました。非常に地域に密着した、ローカルな祭りのようです。
 そのうちに、鏡割りのお酒が回ってきて、乾杯。運転しなくてはならない身なので一杯ぐらいにするつもりだったのですが、村の人が入れ代わり立ち代わり注いでくれます。「車がありますんで」と断っても「若いんだからちょっと醒ませばすぐ抜ける」とドボドボと注いでくれるのです。しかもこれが美味いのでついつい何杯も……。おかげですっかりいい気分。少し小雨がぱらついてきましたがそんなものは関係ありません。参加費が取られる訳が分かりましたよ、これなら納得。
 そうしているうちにいつの間にやらすっかり地元民に溶け込んでしまったようで、前列にいた観光客らしきおばちゃん二人には地元紙の記者らしき若いお姉ちゃんが熱心に取材してましたが、こちらには見向きもしません。そりゃまあ無精髭生やして地元の人から注いでもらった酒ガブガブ飲んですいとんバリバリ食ってればまるで地元の若者だもんなあ。お~いお姉ちゃん、こっちも観光客だよ、取材してくれよぅ、はるばる東京から来てんだぞぅ……ハァ、エエ気持ちや。

 そうこうしているうちに、鬼女紅葉太鼓がはじまりました。二曲演奏するとのことで、一曲目は木曽殿太鼓とかで義仲伝説をベースにした勇壮なもの。私は高校時代和太鼓部に所属していたこともあって血が騒ぎます。いや、単に酔っているだけかもしれませんが。
 やがて一曲目が終わり、二曲目に。一曲目は勇壮で見事な演奏でしたが、いわゆる普通の太鼓でした。私もそういうものだと思っておりました。しかし!! 様々なミラクルが起こるこのもみじ祭り、そんな普通の太鼓で終わるはずはありません。二曲目はいよいよ鬼女紅葉太鼓とのことでしたがもしや……あっ、あれは何だ!?

 ヨッ、待ってました! 見目麗しき紅葉姫(地元では本当に紅葉姫と呼ぶこともある)のご登場です!! ちなみに演じているのは男の人です。

 そして鬼武者のような平維茂も登場。

 紅葉と維茂による太鼓の競演。

 このあたりは紅葉と維茂の饗宴を表しているのでしょう。

 カアッ!! と紅葉が鬼女に変身!! 髪の色が変わっているところにも注目。

 このあたりから、もはや既存の太鼓の枠を抜け出して、太鼓を伴奏にした活劇となっていきます。ではクライマックスを動画でお楽しみ下さい。最後の方が特に見物です。
鬼女紅葉太鼓(動画)


 しかれども紅葉は討たれる悲しい定め。これで紅葉太鼓も終幕です。

 そうして宴の時も終わり、閉会のあいさつが。あいさつの中で祭りの名称がいつの間にか「水芭蕉祭り」に変わっていたのはご愛嬌。まあお酒も飲んでるし、何よりお酒の名前も「水芭蕉」なので。それ以前に皆さん聞いちゃいないようで、特に疑問の声も出ていませんでした。ちなみに鬼無里村の水芭蕉群落は日本一の規模なのです。また「皆さんにはお忙しい中お集まり頂いた上に参加費まで頂いて恐縮ですが、それでも財布は涼しい限りでして……」というような発言も。オイオイ気持ちは分かるけど、そんなこと言っていいんかい。しかしまあ誰もしっかりとは聞いていないようだし、皆さん大らかなようですからなあ。細かいことは気にしない。
 最後には万歳三唱も行われました。すっかり溶け込んでいた我々も鬼無里の発展を祝って思いっきりバンザイ。鬼無里村もなくなるかと思うと悲しい気もしますが、今後もこの地域に幸多からんことを。こうして村の伝説を忘れないでいれば、紅葉様はずっと村を見守っていてくれることでしょう。

 何やかやで午後三時にはすっかり祭りも終わりを迎え、後片付けに入りました。雨も激しくなってきて、蜘蛛の子を散らすようにあっという間に皆さん帰ってしまいましたが、住職様が最後まで残って片付けておられたのが印象的です。なお、私共は宿に入るのもまだ早かったので、山路を越えて野尻湖見物をした後、再び鬼無里に帰ってきて「鬼無里の湯」に泊まりました。

 さて、これまで見てきた通り、基本的には観光客を意識したような祭典ではないのですが、その分手作り感あふれるいい祭典でした。そしてこの村全体に言えることですが、変に観光ズレしていなくて自然体なのが素晴らしい。それでもって酒も食い物も美味いし、見物もある。やっぱり鬼無里村はいいところですよ。やがては長野市になってしまいますが、今後も肩肘張らずに自然体の村づくりを目指してほしいですね。

 ちなみに法要の際のお供えが、祝宴中にお下がりとして参加者に配られました。中身は「鬼無里 紅葉の里」なる和菓子です。

 箱の中はこんな感じです。いわゆる栗まんじゅう。裏には川端康成の「牧歌」から、鬼女紅葉に関する部分が引用してあります。


大きな地図で見る
鬼女もみじ祭りが行われる、「内裏屋敷」の場所はこちら。また、第十一回 鬼女もみじ祭り(鬼無里)の様子はこちら、第十三回 鬼女もみじ祭り(鬼無里)の様子はこちら



斎庭へ戻る 呉葉門へ戻る 道先案内へ戻る