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紅葉紀行 特別編

第六十回 鬼女紅葉祭り(戸隠)

 平成三十年十月二十八日(日)、長野市戸隠栃原の荒倉キャンプ場にて第六十回「鬼女紅葉祭り」が開催されました。平成二十八年以来、二年振りに、私こと高橋御山人も参加して来ました。

紅葉稲荷神社での神事

神事

 今回は、午前九時過ぎ、祭開始から参加出来ました。まずは、紅葉稲荷神社での神事から。この神事を見るのは、平成十七年以来、実に十三年振りです。宮司さんが纏う赤い狩衣が懐かしい。この狩衣の色は、「紅葉」を意識したものと思います。

祝詞奏上

 私はかつて神職として神社に奉職していましたので、奏上される祝詞を聞けば、概ね意味を追う事が出来ます。今回、久し振りに「鬼女紅葉祭り」の祝詞を聞いて、「源家ゆかりのお方」という主旨の事を述べているのが分かりました。

獅子舞

 神事の次に、獅子舞が奉納されます。

獅子が鈴や御幣を振る

 後半は、獅子が鈴や御幣を振りつつ舞います。神事としての色合いの濃い獅子舞です。伊勢太神楽の流れを汲むものと思います。

屋台囃子

 途中から、屋台囃子の演奏も加わりました。

直会

 神事と神楽(獅子舞)の終了後、直会(なおらい、神事のお供えを分配し、神と人とが共に飲食する意義を持つ行事)が行われました。供えられた御神酒とお菓子が配られます。このお供えも、とても懐かしい。

お供えのお菓子

 お供えのお菓子のうち、神社の印が押された方は、お菓子そのものにも神社名が刻まれた、紅白の落雁のようなものです。鬼女紅葉伝説にちなんだ「信州銘菓 紅葉狩」は、蜂蜜やくるみを使ったもので、長野駅等でも購入出来ます。

紅葉稲荷神社

 紅葉稲荷神社での神事が終わると、皆、隣のキャンプ場へ移動しますので、境内には誰もいなくなります。深い緑の森に、赤い鳥居と紅白の幟や幕の対比が鮮やかです。静寂と賑やかさが相まって、これはこれで神秘感があります。

紅葉稲荷神社

 神前にも紅白の幟が掲げられています。静寂さと荘重さと賑やかさとが不思議に混ざり合う空間。それはどことなく鬼女紅葉伝説の不思議さに通ずるものがある気もします。

紅の奉納旗が翻る

奉納旗

 キャンプ場へと続く道の両側には、これまで奉納されて来た、赤い旗が風になびいています。

平成十六年筆者奉納の旗

 過去の祭で、私が奉納した旗も、掲げられていました。こちらは平成十六年、初めてこの祭に参加した時のものです。

平成十七年筆者奉納の旗

 こちらは年号がありませんが、平成十七年のものです。祭りの主催者の方が、十数年、保管され、こうして毎年掲げて来られたことを思うと、頭が下がります。

奉納旗を書いて貰う

 そして今年、十三年振りに奉納させて頂きました。今回は、ペンネームでの奉納です。

平成三十年筆者奉納の旗

 今年は、「高橋御山人」名で、「月刊ムー」に鬼女紅葉伝説の記事を書かせて頂きましたので、その御礼の意味も込めた、ペンネームでの奉納です。

紅葉の岩屋トレッキングツアー

荒倉山案内図

 さて、祭の会場となっている紅葉稲荷山神社や荒倉キャンプ場は、鬼女紅葉が籠ったという荒倉山の「紅葉の岩屋」の麓にあります。ただし、そこに至る道は少なからず険しく、分かりにくいところもあります。

 そういったこともあり、祭のプログラムの中には、(毎年かどうかは分かりませんが)地元の方のガイドにより、紅葉の岩屋を見学するトレッキングツアーが含まれています。今回は十時半出発ということで、既に参加希望の方が二、三十名。私もギリギリで参加申し込みが出来ました。こちらも、実に十四年振りの参加です。

竜虎橋

 キャンプ場から、竜虎橋を渡ります。紅葉と平維茂が戦ったことにちなむ「竜虎ヶ原」へと続く橋です。

小林一茶句碑

 小林一茶が紅葉の岩屋を詠んだ俳句「鬼の寝た穴よ朝から秋の暮」の石碑。紅葉の岩屋はそこへ至る道も含め、日が差しにくく、比較的明るく感じられるのはこのツアーのような午前の遅い時間くらいです。

鳥居

 鳥居をくぐり、列になって荒倉山を登ります。

釜背負岩

 鬼が釜を背負って逃げるように見える「釜背負岩(かましょいいわ)」。

舞台岩

 紅葉や郎党らが朝な夕な酒宴を開き、舞い踊ったという「舞台岩」。

屏風岩

 舞台岩の背後に聳える「屏風岩」。標高が上がって来たので、木々の葉も色付いて来ました。

釜壇岩

 屏風岩の左にある「釜壇岩(かまだんいわ)」。紅葉達がかまどとして使ったと言われます。いくつかの岩が積み上がって、ドームのようになっています。

紅葉の化粧水

 紅葉が朝夕洗顔し、化粧に使い、その若々しさと美貌を保ったという「紅葉の化粧水」。以前はもっと竹筒も長く伸びていて、水が注ぐ落差もあって分かりやすかったのですが、最近少し崩れて半ば埋まってしまったようです。

紅葉の岩屋鳥居

 そして、紅葉の岩屋に到着。鳥居や標柱等が整って、随分立派になっています。

紅葉の岩屋

 左側の柵の奥にあるのが紅葉の岩屋。右側は「前庭」と呼ばれ、謡曲「紅葉狩」の記念の木柱が沢山立ち、祠もあります。

紅葉の岩屋左側

 左側の紅葉の岩屋。

紅葉の岩屋右側前庭

 右側「前庭」の祠や木柱です。

さらに奥の岩屋へ

 さて、本来ツアーはここから帰り道となるのですが、私ほか数名が、登山中、ガイドさんに、ここからツアーと分かれて個人的に「奥の岩屋」を見に行っても良いか等尋ねたりしたせいか、二人いるガイドさんのうちの一人が、希望者を「奥の岩屋」へ案内してくれることになりました。

 「奥の岩屋」は、詳細は後述しますが、近代になってから、真の紅葉の岩屋として「発見」されたものです。以前は、そこに至る道が崩れて定かではなくなっており、紅葉の岩屋を初めて訪ねてから十五年、その間に十度ほど繰り返し紅葉の岩屋を訪ねた私も、奥の岩屋はこれまで一度も訪ねた事はありませんでした。

奥の岩屋鳥居

 しかし、二年前にここを訪ねた際、紅葉の岩屋周辺が全体的に整備されて、紅葉の岩屋の手前に、奥の岩屋へ分岐する道が整備されて、傍らの木に道しるべがくくりつけられているのを見ました。その際は、時間がなく登らなかったのですが、今回、ようやく登れる機会を得た次第。奥の岩屋への入口にも鳥居が立って、実に立派になりました。

屏風岩側面

 いくらか進んで行って振り返ると、「屏風岩」の側面が見えます。

奥の岩屋参道階段

 奥の岩屋へ至る道は、確かに整備されています。このように階段すら設けられている場所もあります。しかし、ともかく全体的に急峻です。紅葉の岩屋までの道とは比較になりません。階段があっても、なおロープが渡されているのは、それだけ道の傾斜が急だからです。

屏風岩と飯縄山

 赤や黄に染まりつつある荒倉山の稜線が見えて来ました。右側に、それを向かい合うように屏風岩が立っています。奥に見える高い山の一部は、飯縄山でしょうか。

奥の岩屋参道ロープ

 階段が設けられているような場所はわずかで、このように最早道だかどうかも分からない場所を、ロープを頼りによじ登るといった場所もかなりあります。

奥の岩屋参道に屹立する岩

 急峻な道の傍らに屹立する岩。道は険しいですが、色付く木々は目も綾です。

奥の岩屋参道ロープ

 後半はほとんどロープを頼りによじ登る道。

奥の岩屋参道ロープ

 黙々とロープを頼りに登ります。

奥の岩屋手前

 ようやく奥の岩屋の手前にたどり着きました。奥の岩屋は、登山道を少し右に外れた場所にあります。登山道から岩屋の直下までの道は、短いながら大変足場が悪く、気を抜けば瞬く間に急斜面を滑り落ちてしまいます。常にしっかりロープを握っていなければなりません。

鉄梯子

 この鉄梯子を登れば、いよいよ奥の岩屋。

鉄梯子上部

 ただし、奥の岩屋はそんなに広い場所ではなく、また梯子の耐久性の問題もあり、一度に沢山の人数が登のは危険な為、二、三人ずつ交代での参拝となりました。

奥の岩屋内部

 そしてついに!念願の奥の岩屋へ参拝!!ここが紅葉稲荷神社の本宮ですが、あまりにも参拝に不便な場所の為、昭和六十一年、奥の岩屋を「発見」した姫野公明師の十七回忌を機に、地元の「鬼女紅葉を偲ぶ会」が、キャンプ場の隣に前宮を建立したということです。

奥の岩屋の祠と白狐像

 紅葉稲荷神社本宮の石祠と白狐像。こちらを創建した姫野公明師は、昭和前期に戸隠で活躍した、女性の修験者です。験力名高く、政財界や宮家などにも信奉者がいたということです。その姫野公明師が、「鬼女紅葉が本当に立て籠もった岩屋はここだ」としたのが、奥の岩屋だという訳です。

 奥の岩屋は、紅葉の岩屋に比べ、急峻な地にあって、見通しも良く、防御性も高いのですが(実際に登ってみると、ここに攻め込むということは想像するだに困難)、あまりにもアクセスが悪く、穴も狭くて、生活の場には不適当、という声もあります。なお、紅葉の岩屋の方は、江戸時代の文献にも登場します。

 ともあれ、十五年も前からその存在を知りながら、たどり着けなかった奥の岩屋に、ようやく参拝する事が出来て、感激です。念願を果たす事が出来ました。また、奥の岩屋の真偽はどうあれ、その伝承史に大きなエポックをもたらし、神社の建立にさえ至ったという、その核心の場所をこうして目にする事が出来た事は、大変感慨深いものがあります。奥の岩屋の「発見」なくば、紅葉稲荷神社の本宮はもちろん前宮の建立もなかったのですから。

奥の岩屋供養碑

 梯子を降りて、登山道とは反対側にわずかに進んだ洞穴に、鬼女紅葉の供養碑があります。奥の岩屋の周辺は大変足場が悪く狭いので、ここでしばらく、順番に参拝する人の入れ替わりを待ちました。

奥の岩屋近くの紅葉

 奥の岩屋近くから麓を望む。奥の岩屋の標高は、千三百メートル程かと思われます。

飯縄山を望む林道

紅葉の岩屋から林道へ

 帰りは、奥の岩屋から、紅葉の岩屋を経て、林道へと出ます。紅葉の岩屋へは、麓から徒歩で登って来る道の他、林道から百メートルほど、ほとんど高低差のない道からアプローチする事も出来ます。ただし、こちらからだと、「舞台岩」や「釜壇岩」、「紅葉の化粧水」といったゆかりの地は通りません。

紅葉の岩屋と林道の間の紅葉

 紅葉の岩屋と林道の間の道にも、美しい紅葉がありました。

龍虎隧道

 林道の龍虎隧道。このトンネル入口右側に車を停めるスペースがあり、そこから少し歩けば紅葉の岩屋です。なお、人がトンネルへと進んでいますが、荒倉キャンプ場は逆方向になります。

みはらしの場

 キャンプ場へと降って行く林道の途中の見晴らしの良い場所に、このような看板が。

飯縄山と豊岡平

 この日は天候が良く、飯縄山も豊岡平も実に見事でした。

林道脇の紅葉

 林道の傍らにも、美しい紅葉が。

荒倉山の山並み

 荒倉山の山並みも見事です。

紅葉の岩屋の登山道入口

 紅葉の岩屋の登山道入口まで戻って来ました。以前は分かりにくかった入口にも、このような立派な道しるべが立っています。

そばと謡曲

管理棟

 キャンプ場へ戻って来ました。管理棟が食堂になっていて、うどんやそばが食べられます。

そば

 戸隠と言えばやはりそばでしょう。しかも新そばの時期です。

能舞台

 能舞台では、様々な芸能が奉納されています。

謡曲「紅葉狩」

 そしていよいよ謡曲「紅葉狩」の素謡(すうたい、舞なしで謡のみを行うこと)。この祭の目玉とも言えるイベントです。今回は長野市の東謡会の皆様による素謡。

 謡曲「紅葉狩」の素謡の動画です。

 素謡の後、同じ東謡会の皆様によって、「北信流」の謡(うたい)も披露されました。「北信流」というのは、北信、つまり北部信州で行われる、宴席における中締めの儀式だそうで、その中で、杯のやり取りをする間に、「高砂」等のおめでたい謡を謡うのだそうです。

芸能の奉納

 謡が終わった後も、芸能の奉納が続いていますが、都合により私はこのあたりで会場に別れを告げました。

戸隠連峰

 帰り道、龍虎隧道を越えて、しばらく進んだ場所より眺めた戸隠連峰。山々を覆う木々が、黄色く色付き始めています。

 鬼女紅葉祭りが行われる、紅葉稲荷社と荒倉キャンプ場(毒の平)の場所は地図の通り。また、第四十六回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら、第四十七回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら、第五十八回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら