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紅葉紀行 特別編
─第五十八回 鬼女紅葉祭り(戸隠)─



 平成二十八年十月二十三日(日)、長野市戸隠栃原の荒倉キャンプ場にて第五十八回「鬼女紅葉祭り」が開催されました。平成十七年以来、実に十一年振りに、私も参加して来ました。

 今回は、旅立つのが遅く、午後一時頃の到着となってしまいましたが、この祭の目玉とも言える謡曲「紅葉狩」の上演には間に合いました。今年は「地元謡曲の会」による素謡。その動画がこちら(当然ですが、音量を上げないと素謡は聞こえません)。


 この動画を見て、「おかしいぞ、全く動きがないではないか」と思った方も多い事でしょう。確かに、素謡というのは、能の台本を読むだけですから、基本的に動きません。そうだとしても、不自然なまでに動きがないのではないか、という疑問を持つ方も多いでしょう。そうです。この動画には本当に全く動きがないのです。なぜならば、この動画の映像は、静止画なのですから。
 実は、今回ビデオカメラで撮影したところ、音声はしっかり録れていたのですが、映像が全く撮れていなかったのです。もちろん、レンズキャップをしたまま撮った訳ではありません。上演後、すぐに再生して気付いたので、その場で何度かテスト撮影してみたのですが、やはり音声ばかりで、映像は撮れませんでした。ビデオカメラが壊れたのか、と思って、帰宅して数日後に撮影してみたところ、問題なく映像も撮れました。
 何とも不思議な話ですが、音声はしっかり録れており、元々動きのない場面ですので、カメラで別に撮影した静止画を重ねて、一つの動画とした次第です。

 今回は、他に不思議なことが沢山起きました。この場所からiPhoneで電話を掛けたところ、なぜか画面が真っ黒に。電源ボタンも何も、一切の操作を受け付けません。しかし、程なくして電話自体は通じたので、特に問題はありませんでした。もちろん電池切れでもなく、「紅葉の岩屋」へ登って帰って来た時には、直っていました。iPhoneにはその後特に何もなく、今も問題なく動作していますが、このような事は後にも先にもこの時にしか起きていません。水に濡れた時よりも不思議な動作です。ちなみに電話を掛けたのは、十数年通っている鬼無里の「十割そば処おに屋」でした。
 「おに屋」でそばを食べた後、これまた何度となく足を運んだ、鬼女紅葉の屋敷があったという内裏屋敷に行ったところ、車のタイヤが溝にはまり、抜け出せなくなってしまいました。バックで出ようとしても一向に抜け出せず、滅多に車も通らないところなので、少々焦りましたが、ローに入れて前に進んだら無事出られました。車体にも特に傷はありませんでした。
 さらにその後、旅の駅「鬼無里」で一休みしようとしたところ、非常に低速ながら、歩道の橋の縁石に突っ込んでしまいました。しかし、タイヤの向きが斜めだったため、縁石に接触したのはタイヤだけで、やはり車体には何の問題もありませんでした。

 ビデオカメラの故障、iPhoneの故障、タイヤの脱輪、縁石への接触と、十年に一度も起きるか起きないかというごく稀な事が、数時間のうちに立て続けに起こり、しかも、どれも大事には至らなかったという、真に不思議な午後でした。
 討たれた鬼ゆかりの場所という、いわくつき中のいわくつきの場所だけに、この話を聞くと「祟りではないか」と思う方も多いでしょう。確かにこの地では、普通ではない事が何度か起きています。

 十三年前、初めて紅葉の岩屋を目指した時は、道がよく分からず、民家で尋ねたりして、ここ荒倉キャンプ場と、その隣の紅葉稲荷神社までは辛うじて来れたものの、途中で日が沈んで真っ暗になってしまい、さっぱり場所が分かりませんでした。仕方なく帰ろうとしたところ、ガードレールもない道で、ほんのわずか先も見えない程物凄く濃い霧に見舞われ、助手席に乗っていた非常に口数の多い友人も、急に黙りこくってしまい、そのうちウンウンうなされて、よく分からない事を口走っていました。明らかにただならぬ状況でしたが、私はとにかく帰らねばと、気をしっかり持ってハンドルを握り、訳も分からず霧の中を運転して、何とか無事帰る事が出来たのですが、その友人は熱を出して三日間会社を休みました。
 それにも懲りず、どうしても紅葉の岩屋へ行きたかった私は、その数週間後、今度は一人で訪れました。前回の反省を生かし、割と早い時間に着いたのですが、途中で足を踏み外して、灌木の茂る斜面を何十メートルも滑り落ち、遭難しかけました。それでも、別の道に降りることが出来て、その時初めて、岩屋にたどり着いたのです。

 それから、この「邪神大神宮」を立ち上げ、何度なく戸隠・鬼無里を訪れて、鬼女紅葉伝説やその伝承地を紹介して来ました。それが元で、様々な縁が出来、作品も生まれました。一昨年には、その後神社対談オーディオブック「高橋御山人の百社巡礼」をともに刊行することになる盛池雄峰塾長のお誘いで、当神宮の内容を集約した電子書籍を刊行しました。その翌年には、電子書籍が魔女とシャーマンのセレクトショップ「呪術と魔法の銀孔雀」を営む魔女・谷崎榴美女史の目に止まり、その依頼により電子書籍をベースにした紙の書籍(詳細は「斎庭(総合メニュー)」上部等参照)も刊行して、その書籍は県立長野図書館に郷土資料として収蔵されました(「鬼女紅葉」で蔵書検索するとヒット。画像)。この書籍では、紅葉を称える祝詞も書いています。
 こうして振り返ってみると、鬼女紅葉という存在が私に与えた影響は、この上もなく絶大であり、人生自体が大きく変わったと言っても良いでしょう。その始まりが、紅葉の岩屋での不思議な体験でした。それは、生命の危機すら覚える恐ろしいものだったのですが、それにも関わらず、その魔的な魅力に惹かれて行き、その後の人生があった事を考えると、いかに恐ろしい物であったとは言え、「祟り」というようなものとは感じられません。その後の人生は、まるで紅葉伝説を世に広め残すようなものになっています。してみると、初めの「恐怖体験」は、一種の「試練」であり、秘教における「入参儀礼(イニシエーション)」のようなものだったとも思えるのです。これにより、私は紅葉に受け入れられ、愛されるようになり、「伝道活動」をするようになったのだと、秘かに思っています(笑)

 そうした経緯があるので、今回の不思議な出来事も、一種の「歓迎」と受け止めています。紅葉の岩屋へ来るのは久し振り(確か五年振り)なので、間を空け過ぎた事への戒めの意味もあるのかもしれないとも思いますが(苦笑)。
 また今年、十二年以上紅葉の「依代」として使い続けて来た人形に、損傷が目立って来た為、首から上と衣服以外を取り換えて、新たにしました。今回は、取り換えて以降初めての戸隠・鬼無里参拝だったので、新たなる「依代」の降神(更新)の儀も兼ねていた訳ですが、その儀式の、何らかの代償として、不思議なことが立て続けに起こったのだろうとも、これまた秘かに思っています(笑)。

 妙な事を沢山書いてしまいました。当神宮は、こういうスピリチュアル(というにはダーク過ぎる感がありますが)な内容ではなく、神話・伝説を民俗学的に考察するサイトであり、私自身諸事象をやたらとスピリチュアルに解釈する事は好きではないのですが、とはいえ不思議な「兆(しるし)」を感ぜざるを得ない事もない事もなく、それはそれで率直に書き綴っておこうかと、今回記した次第です。

 さて、久し振りに訪れた紅葉の岩屋と、その周辺の写真も、いくつかご紹介したいと思います。

 紅葉伝説の伝わる柵(しがらみ)集落の十二社。平維茂が紅葉討伐の際に休息したとされ、天神七代、地神五代を祀るので、合わせて十二社というようですが、山間部に見られる山神信仰「十二様」系統の神社でしょう。鬼無里の西北の高所にも十二神社があります。

 柵の集落にある紅葉の墓と言われる「鬼の塚」の入口。「鬼女紅葉供養祭」の幟が立っています。四月だか六月だかに行われると聞いたことがありますが、参加した事はありません。ごく小規模なものだとか。

 「鬼の塚」は墳丘のようになっていて、上に五輪塔が立っています。以前はこのあたりに鳥居が建っていたのですが、いつしかなくなったようです。二年前の地震のせいかもしれません。

 「鬼の塚」ではモミジが紅葉していました。ここで紅葉様「降神(更新)の儀」。

 実はこの時、紅葉様の持つ檜扇が赤い賽銭箱の中に入ってしまい、大変な事になりました(苦笑)何とか取り出すことが出来ましたが、これも今回の不可思議現象の一つと言えるかもしれません。

 途中の道端にあった祭会場への道しるべ。柵の集落は道が分かりづらいところがあるので助かります。昨年のものと思われる開催日がくっついてしまっているのはご愛嬌(苦笑)

 柵の鎮守、諏訪神社。鬼無里の鎮守、鬼無里神社も諏訪系であることを思うと、紅葉伝説の舞台は諏訪信仰が強いことになります。諏訪大社を一宮とする信濃の事とは言え、偶然とも思えません。信濃の「歩き巫女」は諏訪信仰の伝道者だったと聞きますので、紅葉伝説と諏訪信仰は無関係ではないかもしれません。

 諏訪神社には、御柱が立っていました。今年は諏訪大社で御柱祭が行われた年であり、信濃の諏訪神社では、しばしば同じように御柱が立てられます。柵の地の、諏訪信仰の強さが窺い知れます。

 柵の集落から山へ入った、鬼女紅葉祭りの会場。紅葉稲荷神社には紅白幕が掛けられ、キャンプ場へ続く道には真紅の奉納旗が翻っています。

 紅葉稲荷神社。奥の巨石は「山の神」と呼ばれる磐座で、紅葉が山の神を祀る場であったと伝えられています。つまり、紅葉は山神に仕えている訳ですが、紅葉自身、山の女神、山姥のように地元の人々から思われて来たものと思います。先の「十二様」との関係もありそうです。

 十年前の鬼女紅葉祭りで奉納した旗が、立派に飾られていました。嬉しい限りです。九年前に奉納した旗もありました。

 会場では、平維茂公手植の松で作った「鬼女紅葉姫御守」が頒布されていました。平維茂公手植の松というのは把握していませんが、柵のどこかにあるのでしょう。枯れてしまって、古材を使っているのでしょうか。それとも、落ちた枝などを使っているのでしょうか。

 「鬼女紅葉姫御守」の両面。柵にある鬼女紅葉の菩提寺・大昌寺で祈祷しています。境内には、この御守に名を刻む紅葉慈母観音の像があります。

 能舞台では、謡曲の他、信州川中島相撲甚句会による相撲甚句の披露もありました。諧謔的なギャグも多く、面白かったです。

 荒倉キャンプ場から山の奥へと進んだ、紅葉の岩屋の登山口。「竜虎が原」の看板が立てられていました。このあたりで鬼女紅葉と平維茂が戦ったために、この名があるといいます。

 「竜虎が原」付近より、戸隠高原を望む。雲をかぶっているのは飯縄山と思われます。

 紅葉の岩屋への登山道。鳥居が新調され、「もみじ」と書かれています。道はところどころ最近整備された感があります。恐らく、二年前の地震で荒れてしまい、復興したのでしょう。

 紅葉達が酒宴を開き舞い踊ったという舞台岩と、紅葉が岩陰から出入りして維茂軍を悩ませたという屏風岩。背後の木々が多数折れているのも、地震のせいでしょうか。

 紅葉が朝夕洗顔し、化粧に使い、紅葉の若々しさと美貌の秘密だったという「紅葉の化粧水」。以前はこの位置に鳥居はなく、新たに建てられたものです。

 化粧水そのものは、変わることなく湧き出しています。

 戦後、戸隠の女性修験者・姫野公明師が、お告げにより発見した、真の紅葉の岩屋である「奥の岩屋」への道。以前は道が崩れて行く事が出来なかったのですが、こちらも改めて整備したようです。今回は、時間がなく登りませんでしたが、別の機会にまた登りたいと思います。紅葉の岩屋までの、倍の時間が掛かりますが。

 久し振りに訪れた紅葉の岩屋。いつ来ても霊威溢れる場所です。左の深い穴が紅葉の起居した場所といいます。右の浅い穴は「前庭」と呼ばれ、謡曲「紅葉狩」の記念の木柱が沢山立ち、祠もあります。

 「前庭」でも紅葉様「降神(更新)の儀」を執り行いました。この後鬼無里の内裏屋敷へも足を運んだのは上述の通りですが、そこでも儀を行いました。


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鬼女紅葉祭りが行われる、紅葉稲荷社と荒倉キャンプ場(毒の平)の場所はこちら。また、第四十六回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら、第四十七回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら、第六十回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら



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