2nd.DAY-3rd. 2004/12/30 クノッソス宮殿→イラクリオ市街

 クノッソス宮殿から出てきたら、午後1時頃になっていた。都合2時間いたことになる。入口まで戻ってきて、ミュージアムショップ?を冷やかしてみたが、建物は新しくてキレイなものの、あまりめぼしいものはない。全般的に高くてデカイし、ギリシア本土でも手に入りそうなものが多かった。
 小腹も空いてきたし、時間もまだ早かったので、宮殿の敷地内にあるカフェに入ってみる。そこで生オレンジジュースとグリークサンドを頼み、屋上に上がって軽食。宮殿遺跡のほかは、見渡す限り準乾燥帯の低木が生い茂る荒野。何だか西部劇のワンシーンみたいだ。

 軽食も終わって、ようやく敷地から出た。ここからはやはりバスに乗って帰るしかないのだが……こんな人も住んでいない辺境には、チケットを売っているペリプテロ(キオスク)はない。見れば、道の向かいに数件の土産物屋が。多分ここで売ってるんだろう、と思っておもむろに一軒に入ってみた。
 土産物屋には所狭しと彫刻や焼き物が並べてある。ミュージアムショップにはなかった、「これぞクノッソス」というコテコテの土産でいっぱいだ。日本の場合だと、有名な仏像やら建物がある場所なんかに行くと、その仏像やら建物のミニチュアなんかは当の寺院や博物館なんかに、手ごろな値段で精巧な、しかも公式のものが売られていて、周辺の土産物屋にあるバッタものなんかは買う気がしないのだが、上手く住み分けが出来ているらしい。
 さて、せっかくクノッソスに来たのだ、ここで買うのはやっぱりミノタウロスだろ、ということでミノタウロスのテラコッタなんかを手にとって見ていると、店のオヤジが話しかけてきた。
「ミノタウロスか? もっとリアルなのがあるぜ」
 ミノタウロスにリアルもクソもあるかい、とか一瞬思ったが、確かに手に取っていたテラコッタはちょっとデフォルメされていてややコミカルだった。で、オヤジが見せてくれたのはブロンズの彫像。まあリアルかどうかはともかくとして、焼き物のほうはデカイし、旅行中いつ割れるか分からない。その点ブロンズ像は小さいし、割れることもないので土産としては最適だ(ちなみにリアル、というのは、こうしたミニチュア的ブロンズ像がミノア文明でつくられていて、それに似ている、という意味だと後で分かった)。で、ブロンズ像を包装してくれているオヤジに聞いてみる。
「キャナイ バイ ア バスチケット?」
 するとオヤジは、ブウウウ、などと擬音を口走りながら、ハンドルを握っている真似をし、最後に、
「チケット、イン ザ バス……」
 などとおっしゃる。そこで私は、
「フロム ドライバー?」
と聞き返してみた。
「オー、イエース!」
 このオヤジの英語力はもしかして自分以下か? まあこちらの英語力を低く見積もっての対応かもしれないが。ついでにバス停の場所も聞いてみると、
「カモン、カモン」
 と言って店の外に出る。で、指を指して、あのへんだ……みたいなことを言う。自分がバスを降りたあたりだが、どうもそれらしいものは見当たらない。行きと帰りで乗り場が違うということもあるし、突っ立ってたって無視されることもあるだろう。
「フォー イラクリオ……ボース サイド?」
 と言って道の両側を交互に指差して聞いてみた。そんなことはないだろう……と自分でも思いながら。しかし、行きと同じ方向に向かうバスしかないなんてことはあり得る。そこで客を拾ってUターンするとか。
「ノー、ノー、ライトサイド」
 ギリシアの道路は世界で一般的な右側通行。進行方向側にいればいいということさえ分かれば、問題ないだろう。実際に店を出て歩いてみると、庇つきのバス停があった。全くの杞憂だったようだ。

バスのチケット。左のオレンジのほうは45セント、緑のほうは90セント。右の一枚は裏側。チケットの裏側は広告になっている。
クノッソス宮殿前のお土産物屋で買った「リアルな」ミノタウロスのブロンズ像。    

 バス停で15分ぐらい待っていると、やがてバスが来た。乗客は私一人。さて、運賃も分かっているしバスチケットを買うか。
「プリーズ バス チケット フォー イラクリ……」
「ノー チケット!!」
 は? ノーチケット?! 話が違うよ土産物屋のおっさん! 運転手のオッサンはぶっきらぼうに言い放ったまま、特にそれ以上の説明もない。グラサンかけて、ムキムキの腕。なんか怖ええなあ。どうしようかと乗り口で途方に暮れていると、何と扉が閉まりバスが動き出してしまった。おいおい、このまま乗ってていいんかあ? しかし運転手も何も言わないので仕方なく最前列の席に座り、成り行きを見守ることにする。
 やがて少しずつ市街地になってきて、いくつかのバス停で乗客も乗り込んでくる。う〜ん、俺はどうすればいいのだろう。終点かバスの事務所まで行って清算? もしかしてこの状況で無賃乗車ってこともないよな? などと考えていると、バス停でも何でもないところでおもむろにバスが停まる。ここで運転手が右を指して、私に言った。
「ヒア、バイ チケット、ゴー!!」
 ななな何ですかあ、まあいいやとりあえず降りよう。すると目の前に何かの店が。迷ってる暇はない、今はとにかくゴーだ!! ってことで店に入ると小さな雑貨屋だった。なるほど、ここならチケットがありそうだ。イラクリオ行きのバスチケットをくれ、というと、店のおばさんはすんなり出してくれた。運賃は確か90セントだったな。金を渡そうと思ったが……ん、何か行きと色が違うな。さっきは青で今度はオレンジ? どっちかは記念切符ですか? と思って手にとってよく見ると、チケットの表面に「0.45」の文字。45セント? おいおい半額じゃん。 チケットとおばさんの顔を交互に見ると、
「ダブル、ダブル」
 とおばさん。よく見るとチケットはホッチキスで綴じてあって、2枚重なっていました。なるほど、これで90セントか。金を払ってチケットをつかみ、バスへ戻る。運転手も納得して半券をちぎってくれた。再びバスが動き出す。う〜んなるほど、ぶっきらぼうな割には、なかなか優しい運転手だったのね。わざわざバスを停めてチケットを買いに行かせてくれるんだからなあ。ちょっと感動。

クノッソス宮殿の入場券。 イラクリオ考古学博物館の入場券。

 空港からイラクリオへ着いた時のように、バスはエレフテリオス広場に着く。大勢の乗客が降りる。私もここで降りた。
 バス停を降りるとすぐそばに、イラクリオの考古学博物館がある。ここはクノッソス宮殿と並ぶ、クレタ島最大の見所の一つ。なぜならギリシア国内の出土品の主要なものはほとんどは首都アテネの国立考古学博物館にあるのだが、ミノア文明の出土品だけはここイラクリオの博物館にあるからだ。時刻は午後2時頃。まだ博物館の開いている時間なので迷わず入る。入口で入場料を払う。3ユーロ。あれ?6ユーロとガイドブックにはあったはずだが……まあいい、安いに越したことはない。
 博物館には貴重なミノア文明の出土品がズラリ。中には教科書や資料集で見たものもある。係員に聞いてみると、フラッシュさえ使わなければ写真撮影もOK。夢中になって見回っていると、係員に何か言われ、最後にニッコリしてソーリー、と。何だろう? と思いながらもそのまま見回っていると、館内にジリジリジリ、と妙なベルが響く。やがてサングラスを掛けたキャリアウーマンっぽいおねーさまがツカツカと歩いてきて話し掛けてきた。
「もう閉まる時間なのよ。You don't know?」
「ソーリー、ソーリー」
 おねーさまは係員らしい。先程別の係員に言われたのも、妙なベルの音も全て閉館時間だから出てくれという合図だったのだ。本来は夕方まで開いているはずだが、年末なので閉まる時間が早い。料金が半額だったのもそういう理由か。そういう訳で博物館には翌日改めて行ったので中の紹介も翌日分にまとめて、ということで。
 頭をかきながら出口へ急ぎ、扉を開けると、先程のおねーさまが
「バァイ」  と挨拶。時間ギリギリで追い出されている割には気さくだなあ。しかも博物館の学芸員なのに。こういうノリがギリシアっぽいところなんですかね。こちらとしても気持ちよく退館できますね。私もバァイ、と返して退場。

 さて、ここで時間は午後3時。まだちょっとホテルに行くのも早い。かと言ってメシも食ったばかりだし。そこでブラブラと海岸にでも向かって歩いてみた。途中のペリプテロでネス・ティー(ネスカフェが製造している紅茶)ピーチ味とかを買ってみる。ギリシアはコンビニがない分、本当にあちこちにペリプテロがある。ペットボトルや缶などの飲み物は外に置いてある冷蔵庫(日本とかでもよくある、透明の扉を開けて中のドリンクを取るやつ)から自分で取ってくるのだが、何気に結構無用心なんじゃないかと思ったりする。まあちゃんと店員は見てる訳だが。で、ちなみにピーチ・ティーはあまり冷えてなく、缶もちょっとベコベコで(なぜかその店にはまともに冷えている商品や缶がベコベコでない商品が一つもなかった)、ちょっと古いんじゃないの、大丈夫なの、とか思ったが、飲んでみると冷えてないこと以外は別に支障なかった。ま、口に入れてみておかしくなければ大概は大丈夫だ(ちなみに筆者には、昔、平泉の中尊寺近くの自販機で買ったコーヒーを口に入れたら錆の味がして、何だこれは、ヤバイ、と思ってすぐ吐き出して、よく見ると賞味期限が4年も過ぎていたという経験がある)。

考古学博物館近くの路地。 25 アウグストゥ通りを港へ。

ヴェネチアン・ポート。 ヴェネチア時代の要塞。

堤防入口から東方を望む。 右上の高い建物がラト・ホテル。

 モロシニの噴水をのある25 アウグストゥ通りを真っ直ぐ歩いていくと、段々と道が下ってきて、やがて海に突き当たる。ここがオールド・ハーバーで、ヴェネチアン・ポート(ヴェネチア時代の港)とも呼ばれる。港を挟んだ向こう側には、ヴェネチア時代の要塞がデーンと控えていて、いかにも城塞都市らしい雰囲気。この要塞は港を取り囲む堤防と一体になっており、街を取り囲む城壁が海の上にも続いていて、港をも守る格好になっている。もちろん、堤防の上は歩道になっていて、歩いて気軽に要塞まで行ける。時間的にもちょうどいい感じなので、私も要塞に行ってみた。

堤防から西方を望む。 堤防から見た要塞。

要塞壁面のライオンの彫刻。 港に浮かぶ大型客船。アテネとの定期便と思われる。

 堤防の上は散歩している市民が結構いる。杖を突いている歩くおじいちゃん、ランニングするおばちゃん、自転車で駆け抜ける子供の集団、いちゃつくバカップル……と日本の公園や河川敷などでもよく見る光景が広がる。ヴェネチア時代の要塞は、間近で見てもなかなかデカイ。本当は中が見れたり上に登れたりするらしいのだが……どうも工事中か何からしく、入口も閉まっていて人の出入りもない様子。仕方ないので堤防で寄せ返す波の音など聞きながら佇んでみた。
 見ると、堤防は要塞のずっと先まで続いている。散歩している人も、ずっと先まで行って帰って来るようだ。せっかくなので自分も突端まで行ってみることにする。長々と続く堤防には、これも日本と同じくスプレーによる落書きなんかが多数。しかもそんなにアートっぽいのではなく、暴走族とかが書いていくようなあまり品のないやつ。どこも一緒だなあ、なんて眺めていると、ギリシア語で「ナショナルソーシャリスト」と読める文字が。国家社会主義者ですか。ネオナチですかー、なるほどネオナチというのは不良グループみたいな側面もあるからなあ。しかしクレタ島ってナチに占領されてパルチザンとかしてたんじゃなかったっけ。などと思いながら堤防を歩き続けたが、どれだけ歩いてもなかなか突端に着かない。どうも片道2、3キロはあるようだ。途中、小雨もパラついてきた。しかし、中途半端なところまで来てしまったので戻るのも遠い、ええい、ままよとばかりに前進、やがて雨も上がって晴れてきた。すると、おお!なんとクレタ島に虹が! 初めて外国に旅行に来て、その実際的な初日に虹を見るというのもなかなかツイてるなあ。そんなこんなで足取りも軽くなり、ついに突端に到着。まあ、別に何かがあるわけでもないんだが、対岸の島や、クレタに聳える山々の威容も見れてなかなかの景色。釣りなんかしている人もいて、のどかな光景だ。

クレタ島にかかる虹。 イラクリオ対岸の島。

堤防の突端近くからより東方を望む。イラクリオを一歩出れば、雄大な景色が広がる。 港へ帰ってきた船。何の船だろう?

堤防に置いてあった釣り道具と魚。
    イラクリオの背後に聳えるクレタ島最高峰・イダ山(2456m)。ゼウスが生まれたという神話がある。

 突端で寝転がったりしてのんびりし、再び長い道のりを帰ると、夕闇も迫ってきて午後5時過ぎ。宿に入るには丁度良い時間だ。

 イラクリオで泊まるホテルは「ラト・ホテル」。ヴェネチアン・ポート沿いの高台の上にあるホテルだ。値段は一泊72.5ユーロ(約1万円強)と日本の旅館並み。もっと安い宿もあるのだが、立地や景観を考えてこのホテルを取った。自社でサイトを持っていて、ネットで直接申し込みできたので、それなりの規模のホテルであるはずだ。
 高台のほうに登っていって、細い路地を進んで、ラト・ホテルに着く。建物はそんなに新しい訳じゃないが、そこそこ味があっていい感じ。中もそんな感じだ。受付に行って、予約時に返信されてきたメールを印刷したものを出すと、金髪のなかなか美人のおねーさんが応対してくれた。金髪のおねーさんの宿泊に関する説明は、結構早口で半分も理解できなかったが、そもそも宿泊時の説明なんて日本の旅館でも大して聞いてない。真面目に聞くのもせいぜい食堂の場所とか、チェックアウト時間とかいったことぐらい。そのくらいは理解できたので、まあよしとした。本当はこういう説明をしっかり聞いておかないとトラブルの元になったりするのだが。説明の最後に、
「スペシャル、メリークリスマス!」
 とか何とか。要するに明日は大晦日なので食事か何かがスペシャルだということだった。また最後のメリークリスマスという言葉は店などで何か買うたびに掛けられた。今日は12月30日、一般の日本人からするとおかしな感覚だが、ヨーロッパではクリスマスの後も新年までクリスマス休暇となっている。また、ギリシアは同じキリスト教でも西欧と違う、いわゆる「正教会」の発祥の地。正教会のことを総称して「ギリシア正教会」と呼ぶこともあり、まさしく正教会の本場といえるのだが、その正教会では現代の暦では1月7日になるので、その日にクリスマスを祝う習慣がある。まだまだこれからクリスマス、気分も盛り上がる訳だ。

ラト・ホテルの入口側。 ラト・ホテルのエレベータ。扉は手で開ける。

 説明も聞き終わり、自分の部屋へと赴く。4階ということだったので、エレベータに乗るのだが……これか? 確かにフロントのおねーさんもこれがエレベータだと言ってたし。しかし、何か小さくないか? まるで業務用の貨物エレベータのような。それに、扉に裂け目がない。片開きなんだろうか? などと思いつつエレベータを呼ぶボタンを押す。しばらくして、ガコン、という音。しかし、扉が開かない。どうなってんだこれ? と思っていると、隣に立っていた紳士がおもむろに取っ手を引いて扉を開けた。何これ、手動?! はじめて見たなあ、手動で扉を開けるエレベータってのは。そんな驚きを隠せないまま乗り込む。中はちょっと古めかしいが、レトロっぽくて(と言うか本当にレトロなのだが)これはこれでいい感じ。さて、4階のボタンを押そうとすると……何とボタンが0から始まっている。0階って何だよオイ……ああ、そういえばギリシアでは1階を0階としてカウントするんだったなあ。つまり4階というのは日本式に言えば5階な訳か。いやはやいろいろと文化が違うもんですな。
 エレベータを4階で降りて、自分の部屋へ。部屋はベッドにシャワールームにデスクにテレビ……と、一通り揃っており、部屋の大きさからしても、まあちょっとお洒落なビジネスホテルという感じ。シャワールームはアパートのユニットバスみたいな感じで、トイレ内に半円形のすりガラスの壁で仕切られている。バスタブはない。ヨーロッパ人はそれほど浴槽に浸かるということを重視しないので、ヨーロッパのホテルではよくあることらしい。しかし、これで一万か? と思う人もいるだろう。だが、このホテルの真髄は設備云々ではない。重要なのは、窓からの景色だ。

ラト・ホテル客室の窓とバルコニー。ここを開けると……!


ラト・ホテル客室バルコニーからの眺め。

 すぐ眼下にはヴェネチアン・ポート。そこにたたずむヨットや小船。港をを囲んで浮かぶ要塞。その先に広がるエーゲ海(正確にはクレタ海というらしい)。これこれ、これが見たかったのよ。しかも、バルコニーつきで、テーブルと椅子も置いてある。このホテルはBランク(ギリシアのホテルは上から順にL,A,B,C,D,Eでランク分けされている)だが、市内で一番高いアストリア・カプシスホテルに泊まってもこの景観は楽しめない。これぞリゾート、これぞエーゲ海、これぞギリシア。ホテルのバルコニーに座って、ヴェネチア時代の要塞の浮かぶ港とエーゲ海を眺めながら、冬の風に吹かれて、一人タバコをふかしてたそがれる……。いやあ、いいねえ、ハードボイルドだねえ。冷戦時代のスパイ小説みたいだ。

黄昏のヴェネチアン・ポート。 夜のヴェネチアン・ポート。

 なんてたそがれてるうちに本当に黄昏時になってしまったので、ベッドに入った。テレビをつけると当然ながらギリシア語の放送ばかりで、わずかに英語とドイツ語のチャンネルが。ああ疲れた、もうだめだ……思えばほとんど徹夜の状態だっけ。腹も減ったが、今は眠い、テレビも消し、少しウトウト……とか思いながら、そのまま本日はバクスイ、強制終了。最後に時計を見たのは19:00頃だったか……。

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