3rd.DAY-2nd. 2004/12/31 イラクリオ市街

 考古学博物館の見学も済んだので、ペリプテロ(街頭の売店)でドリンクを買い、すぐ近くのエレフテリオス広場で一服。

エレフテリオス広場に建つエレフテリオス・ヴェニゼロスの像。近代ギリシア国家の確立に尽力した元首相で、クレタ島出身。既に見たように、アテネの空港の正式名称になるほど、現代ギリシアでは親しまれ、尊敬されている。出身地のクレタ島では尚更だろう。広場の名前も当然彼にちなんだもの。ここからは港も見渡せる(右奥に大型客船が見える)。

エレフテリオス広場はちょうど崖の上に建造された城壁の中にあるので、このような地下への入口のようなものがある。 こちらもエレフテリオス広場に建つ像。何の像かは分からないが、「イラクリオ」と書かれているのでこの街に関わる人物であることは間違いない。

 広場で一服した後は、腹ごしらえ。都合のいいことに、エレフテリオス広場にはたくさんのカフェや食堂がある。食堂といってもファーストフードなど軽食が主体の店がほとんだが、マクドナルドなど日本人になじみのあるようなものは一切なく、ローカルチェーンか個人経営の店のみ。そういえばクレタ島では知っているフードチェーンは一つも見かけなかった。アメリカのグローバル・スタンダードも意外に影響力が低いのか、それともここが想像以上に「欧米の辺境」なのか……。
 広場に集める店を物色していると、「メリークリスマス!」と声を掛けてきた店があったので、適当に入ってみた。造りは日本にもあるファーストフード店、しかし店名は忘れてしまったがやはり聞いたことのないものだった。メニューも、普通のハンバーガーやホットドックもあるが、ご当地料理であるギロ・ピタ(一時期日本でも流行ったピタサンドだがギリシアやトルコが本場)、果てはグリークサラダまである。そういえば機内食で食べたグリークサラダは美味かったな、ということでハンバーガーとグリークサラダを注文。しかし頼んでびっくり、ファーストフードのサラダなので小さいかと思いきや、これがデカイ!

昼食のグリークサラダとハンバーガー。ハンバーガーと比較するとサラダの大きさが分かる。ちなみにドレッシング等はなく、写真奥のオリーブオイルをかけて食べる。ファーストフードでもオリーブオイルはかけ放題。本当に醤油と同じ感覚だ……。

 昼食の後、エレフテリオス広場近くにある郵便局に向かう。知人等にギリシアからの「年賀状」を出すためだ。中に入ると、日本の郵便局とさして変わらない感じ。切手の自販機もある。ここで切手を買おうとしたが、ハガキの郵便料金が分からず、国内・国外で郵便料金に違いがあるのかも分からなかったので、窓口で出すことにした。日本の金融機関と同じように、機械で受付番号が書かれた整理券を受け取って、椅子に座って自分が呼ばれるのを待つ。しかし、日本の金融機関のように、窓口が空いたときに、人間や機械の音声で呼び出しがある訳ではないようだ。ただし現在の受付番号は各窓口に表示されているのでそれを見ていなければならない。ところが自分の座った席は柱などがあって全ての窓口を見渡すことが出来なかったので、席から乗り出したり、建ったり座ったりと忙しなく窓口を確認しなくてはいけなかった。郵便局は年末ということもあって結構混んでいたが、しかし皆おとなしく座っている。しかも、椅子は窓口とは90度違う向きなのに、皆窓口を気にする様子もなく別の方向を向いて平然と座っている。うーん、誰も受付番号が気にならないのだろうか? それともこういうところが日本人は忙しないと思われるところなのだろうか。などと思っていると……
「ヘイ」
 おもむろに隣に座っているお兄さんに声を掛けられた。お兄さんが椅子の向き、即ち座って待っている皆が向いている方向の先の、壁から下がっているモニターを指して言う。
「あそこにモニターがあるだろう? あれを見れば、今どの窓口で何番を受け付けているかが分かるんだ」
「なるほど! すごいね! ありがとう!」
 などと感心してお礼を言ったが、よく考えると自分はバカみたいじゃないか。おそらく自分の姿が異様に映ったんだろう。というか、このやりとりだと、まるで最新技術に感心している発展途上国の人間みたいじゃないか。この手の技術が一番発展している日本の出身なのに……でもこういうモニターは日本の金融機関では見たことがないな。呼びかけや音声で注意を促すのもいいけれど、こういうシステムの方が合理的かもしれない。

ギリシアから出したハガキ。「AIRMAIL JAPAN」と書いておけば宛先や宛名は日本語でもいい。

 窓口で料金を払って、ハガキを出した後は、ホテルにあったイラクリオのマップを片手に市街を散策した。イラクリオ市街で有名な場所は既に見た考古学博物館、ヴェネチア時代の要塞、モロシニの噴水といったところだが、それ以外にもそれなりの見所がいくつかある。まずはモロシニの噴水のあるヴェニゼル広場の裏のエル・グレコ公園に行ってみた。

エル・グレコ公園にあるエル・グレコの像。
    エル・グレコ公園内に立つモニュメント。モダンアートか? 奥の建物は「ヨーロピアンインフォメーションセンター」らしい。

 エル・グレコは16世紀にスペインで活躍した画家で、イラクリオ出身。エル・グレコという名は本名ではなく、スペイン語で「ギリシア人」という意味だ。郷土の偉人の一人で、市内にはその名を冠したホテルや店がいくつかある。もっとも、公園自体は普通の小公園で、変わったところといえばエル・グレコの像が建てられているぐらいである。エル・グレコ公園からはまた海岸に行ってみた。

途中の路地で見つけた廃屋。門の上らしきところにダビデの星が描かれているところを見ると、かつてユダヤ人が住んでいたのだろうか。

 ヴェネチアン・ポートに出て、今日は要塞の方には向かわず、城壁に沿って港を散策してみる。

港に放置されているSL。昔はクレタ島にも鉄道が走っていたのだろうか。
ヴェネチアン・ポート付近の城壁。要塞とは港を挟んだ反対側。そもそも、このあたりも要塞の一部である。    

このあたりはちょうどラト・ホテルの真下に当たる。写真右上に見えている建物がラト・ホテル。それにしても見事なまでの路上駐車。
このあたりの城壁にはこうしたアーチも残っている。    

 港付近をしばらく散歩した後、再び市街に戻った。せっかくギリシアに来たのだから、東欧固有の正教会建築も見ておかなくてはならない。

25 アウグストゥ通り沿いに建つアギオス・ティトス教会。ドーム状の屋根は正教会建築のシンボル。ちなみにアギオスとはギリシア語で「聖なる」を意味する。

 アギオス・ティトス教会は街中にある教会で、観光名所でも何でもない、一般的な教会だが、はじめて見る本場の正教会建築かと思うと感慨深い。そういえば大学時代、大学の近くにあるニコライ堂(東京御茶ノ水にある正教会)をよく見たけったなあ。しかしはじめて見る本場ヨーロッパの教会が正教会というのも妙な話だ。ちょっと礼拝でもして行こうと思ったが、名所でも何でもない教会におもむろに信徒でもない者が入るのもどうかと思われたのでやめておいた。さらに25 アウグストゥ通りを進む。この先にはタウンホールやアギオス・マルコ大会堂がある。

タウンホールの中。正面奥は中庭のようになっている。
タウンホール全景。    

モロシニの噴水の斜め向かいに建つアギオス・マルコス大会堂。
タウンホール中庭。なかなか立派なものである。    

 タウンホールはヴェネチア様式の建物を復元したもの。イラクリオは第二次世界大戦時にナチスに占領されたりした関係で、街の古い建物はかなり失われてしまっている。アギオス・マルコス教会は、もとは14世紀に建てられたイタリア様式の教会。キリスト教会とはいえ、クレタ島を占領していた宗旨の違うヴェネチア人(カトリック)の教会であるし、その後イスラムのオスマン=トルコに占領されてヴェネチア人はいなくなってしまったので、現在は展示場として使われているのだろう。中にはイコン(正教会固有の聖像画)などが飾られている。
 25 アウグストゥ通りから車も多く通る大通りのディケオシニスを渡り、市街のまだ訪れていないエリアに向かう。商店が並ぶ猥雑ながら活気に満ちた通りと路地を抜け、アギオス・ミナス大聖堂へ向かう。クレタ島で最も大きな教会だ。

路地の向こうに姿を現したアギオス・ミナス大聖堂。 壮麗なアギオス・ミナス大聖堂の時計塔。

アギオス・ミナス大聖堂正面。中央上部の左にアルファ、右にオメガが記されている。聖書の「私はアルファでありオメガである」から取られたものであろう。正教会にはこういう様式が多いと聞いたような気がする。 アギオス・ミナス大聖堂左側面。大聖堂の左側は広場のような公園のような場所になっていて、子供が遊んでいたり市民が散歩していたりする。写真左端はアギア・エカテリニ教会。

 アギオス・ミナス大聖堂もクレタ島最大の教会とはいえ、観光化されたものではない。外から中の様子をうかがってみると、どうも人気(ひとけ)がなさそうな雰囲気。ここは一つ私も礼拝してみることにした。私はキリスト教徒ではないが、こうして宗教施設に観光で訪れている以上、地元の信仰に敬意を払う必要はあるだろう。
 大聖堂に入ってみると、いかにも教会といった薄暗い感じ。実は父方の祖母がクリスチャンだったため、教会自体は子供の頃に何度か出入りしたことはある。一方で母方の祖父は修験道にまつわる家系で幼い頃毎年山伏に引率されて山中での儀式に参加させられたのだが……とにかく、教会の中というのは、初めてではない。しかし、子供の頃に見た教会内部というのは、やはり暗かったとはいえ、もうちょっときらびやかだった。例えばステンドグラスなんかも、もっと極彩色で派手だった。確かに今目の前に見ている教会内部は少し地味な感じである。しかしその一方で、子供の頃に見た教会よりも、ずっと重厚な感じがする。子供の頃に見た日本の教会は、派手な分もっと軽い感じだった。ここには、子供の頃に見た教会よりも、ずっと重い人々の信仰と歴史が、ずんとほこりのように降り積もって(実際内部はほこりが降り積もっているような感じがした)、重苦しさの一方で重厚感を出しているように思える。建造は19世紀後半とのことなので、教会としては比較的新しい部類なのだろうが、それでも子供の頃に見た日本の教会よりはずっと古いだろうし、同じくらいの歴史があったとしても、地元住民に対しての重要性にはるかな開きがあるだろう。まして、19世紀後半といえば、ギリシアがトルコから独立して間もない時代であり、クレタ島はいまだトルコの支配下にあって強くギリシアへの帰属を求めていた時代であった。そういう近代ギリシア独立の歴史の重みがあるのだろう。
 そんなことを思いながら、中に入っていく。入り口に寄付金箱があって、すぐ近くに数多くのロウソクが並んでいる。寄付金箱に小銭を入れ、ロウソクを取った。中央に燭台があり、そこに多くの供えられたロウソクが火を揺らめかせている。私もそこから火をもらい、ロウソクを燭台に供えた。祈りを捧げてみる。聖堂内にはだれもおらず、静まり返っている。ミサ参列者用の椅子が並び、奥のドーム部にはキリストや聖人の像。天井には重々しいシャンデリア……とここで天井を見上げてはっと息を飲んだ。
 天井を、極彩色で彩られた巨大なイコンが覆っていたのだ。まるでプラネタリウムのようだった、というと少し奇妙なたとえだが、神の世界を描いた図と宇宙を描いた図とはそれほど違いはないだろうし、詳しい図像までは覚えていないが青みがかったものだったので、天井画ということもあってそう思えたのだろう。とにかく全く予想していないことだったので、ただただ圧倒されてしまった。

アギオス・ミナス大聖堂の左脇手前に建つアギオス・ミナス教会。15世紀の建造。屋根には鳩がいっぱい。
アギオス・ミナス大聖堂内部。天井画が全く分からないのが残念。注意書きもなく人もいなかったがフラッシュ撮影する訳にいかないので仕方がない。    

アギオス・ミナス大聖堂左脇奥に建つアギア・エカテリニ教会。16世紀の建造で、かつては修道院だった。エル・グレコの時代には美術学校も兼ねていて、エル・グレコもここで学んだという。現在は美術館になっており、エル・グレコの師、ミハイル・ダマスキノスのイコンが展示されているらしいが、年末で休館だった。
アギア・エカテリニ教会裏側。歴史の重みを感じさせるドームである。ちなみに教会のすぐ右に「MAGIC」と書かれた看板があったのでよく見たら、何とカードゲーム屋だった(苦笑)

 アギオス・ミナス大聖堂と周辺を散策し、街の南へ向かう。イラクリオは北側が海に面している街で、南に高くなっている街なので、南にいけば街を見下ろすことが出来るだろう、と思ってのことだ。イラクリオは城壁に囲まれた城塞都市。その全容を、城壁内で一番標高が高いであろう城壁の南端から眺めてみることにしたのである。
 が。アギオス・ミナス大聖堂から一番近そうなルートで城壁の南端に向かったのだが、途中から住宅街の細く入り組んだ道に入ってしまった。観光客はおろか、居住者か郵便配達人でもなければ訪れることのないような本当の住宅街だ。いつ行き止まりや袋小路になってしまっておかしくない。しかし街を囲む城壁を目指しているのだから、少々方向が違ってもたどり着けないということはないだろう。それに街は基本的に北に向かって下っているのだから、坂を登っていく道を選べばそんなに方向も間違えないだろう。
 住宅街は思ったよりも長く続いている。細い道の両側に一軒家とアパートとあまり大きくないマンションがひしめき合い、無理やり切り開かれたような駐車場に車が置いてあって、時折子供が道端で遊んでいる。西欧風ベースにやや中東風をミックスした家の塗装やデザイン、家屋や標識などに書かれているギリシア文字、道端で遊んでいる子供の髪や瞳の色を除けば、東京や地方の大都市の住宅街と全く同じだ。車も「TOYOTA」などと書かれた日本車が多い。夕刻にさしかかり傾いてきた陽を浴びながらこうした路地を歩いていると、まるで自宅へ帰っている途中かと錯覚してくる。
 と、突然住宅街が途切れ、比較的大きな通りに出た。そしてその向こうには、城壁が立ちはだかっている。このあたりの城壁はレンガを積み上げた部分よりも土を盛った部分が多くて、土塁そのもの。堤防が続いているような印象を受ける。適当な道を探して城壁の上へと登っていった。城壁の南端にこだわったのは、単に標高が高くて見晴らしがいいからだけではない。ここには、近現代ギリシアの文豪・思想家、ニコス・カザンツァキスの墓があるのだ。と言っても、私はカザンツァキスの本など読んだこともないし、正直その名前すらも旅行の準備を進めているときに初めて知ったぐらいである。映画「その男ゾルバ」の原作者でもあるらしい。生憎私は映画には疎くそう言われても分からないが……とにかく、クレタ島だけでなくギリシアではかなりの有名人のようなので、訪れてみることにしたのである。

カザンツァキスの墓入口。城壁の階段を登って行く。日本の城郭の石垣のような感じ。 城壁の上から西方を望む。海岸へと続く城壁の内側(向かって右)が旧市街、外側が新市街。

カザンツァキスの墓近くからイラクリオ市街を望む。 同じ場所から見たアギオス・ミナス大聖堂の拡大。

 城壁の階段を登り終えると、そこはちょっとした公園のようになっていた。市街がよく見渡せる。公園の中央には素朴な木製の十字架と小さな墓碑がある。これがカザンツァキスの墓らしい。あまり豪勢ではないのはきっと彼の思想とも関係あるのだろう。彼の思想や作品はキリスト教の教義に抵触するようなところもあったというから、素朴な墓がポツンと孤立して、教会墓地でもない、しかし見晴らしの良い場所に自由を謳歌するように建てられているというのは、いろいろな思惑や経緯があってのことなのだろう。

ニコス・カザンツァキスの墓。 カザンツァキスの墓碑と墓碑銘。

カザンツァキスの墓からアギオス・ミナス大聖堂を望む。 こちらは新市街の向こうにイダ山を望む。植え込みが何とも異国的で南国的。

 カザンツァキスの墓の墓碑銘は「ミハリス隊長」という彼の作品から採られている。結構有名なもので、いろんな本や観光ガイドにも取り上げられているので、ここにも原文と読みと訳を紹介しておこう。辞書を片手の独自訳だし、墓碑銘も装飾された筆記体で、しかも正規の表記ではないようなところもあるようなのだが、結局いろいろな本に出ている訳と大差なくなった。意味が分かったところで、なかなか謎めいた言葉なのだが……原作を読めばまた違ってくるのだろう。

原文 読み
Δεν ελπιζω τιποτα ゼン エルピゾ ティポタ 望むものは何もない
Δε φοβαμαι τιποτα ゼ フォバメ ティポタ 恐れるものは何もない
Ειμαι λεφτεροσ イーメ レフテロス 私は自由である

 さて、こうしてカザンツァキスの墓の前で感慨に浸ったのはいいが、ここで小便がしたくなってしまった。しかし海外に行ったことのある人なら分かると思うが、公衆便所なんてものが充実しているのは日本ぐらいのものなのだ。だから店や施設の中にいるうちにしておかねばならないのだが、長い時間外に出ているときや、近くに家も何もないときはどうしようもない。西洋じゃ立小便は厳しく取り締まられるという話も聞いたような気がするが、確かフランスでさえもナポレオンかナポレオン三世くらいの時代まで市街地でも道路に排泄物を捨てていたという話を聞いたことがある。おそらく西洋人は本当の市街地でもなければ立小便ぐらい何とも思っていないのではないか。ここは高台だが、店やら家屋やらが近くにない分、人気もない。ええい、迷っている場合ではない、事は一刻を争うのだ!
 そうして端っこの植え込みとはいえ、現代ギリシアを代表する文豪の墓で……ということになってしまった。カザンツァキスさん、許してね。ちなみに間違っても上の墓碑銘の写真にあるシミは、断じて……ではない。私はあくまで公園の端で……したのであって、そんな罰当たりなことは毛頭していない。……し終わった直後、犬の散歩に人が来たのには少し焦ったが。
 そんなこんなで、カザンツァキスを後にし、市街へと戻った。多少汗もかいたし、とりあえず一旦ホテルに戻ることにした。

カザンツァキスの墓からしばらく東に歩いてきたあたりの交差点。城壁の下を道が潜る。よく見ると三菱のトラックが……。
    街の南部から中心部、モロシニの噴水の方へと向かう1866通り。雑貨屋、食料品店、土産物屋など、様々な店がひしめき合う市場のような商店街のような活気のある通りで、人通りも多い。小さなスーパーや、1ユーロショップなんてのもある。百円ショップみたいなものか。

一旦ホテルに戻った後は、夜の散策と夕食、そしてニューイヤー!

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