3rd.DAY-3rd. 2004/12/31 イラクリオ市街(年越し)

 イラクリオ市街散策の後、ラト・ホテルで少し休み、再び市内に繰り出した。陽はすっかり落ちてしまったが、街は活気に満ちている。今日は2004年最後の夜なのだ。

夜のアギオス・ティトス教会。

夜のモロシニの噴水。 夜のタウンホール。

 夜になってライトアップされた古の建築は、殊更に美しい。ということで、再度アギオス・ミナス大聖堂へ赴いてみた。こちらはモロシニの噴水付近と比べると、大分閑散としていた。

夜のアギオス・ミナス大聖堂正面。 夜のアギオス・ミナス大聖堂側面。

 アギオス・ミナス大聖堂から、今度はエレフテリオス広場へと向かった。ここは街の中心部で飲食店も多いのに加え、広場としてそれなりのスペースもある。そのため、ここは年越しイベントの会場となっていて、特設ステージが設けられて様々なイベントが行われていた。私が到着したときにはちょうど民族舞踊が終わるところで、次に4人組のバンドがステージに上がった。どうも民族音楽らしきものが演奏されているようだが、よく分からない。何だかアラブっぽい要素も入っているようだが、おそらくバルカンの民族音楽というのはこういうものなのだろう。地理的な影響もあるし、長年トルコの支配下にもあったのだから。


民族音楽らしきバンドの演奏(画像クリックで動画再生)。 エレフテリオス広場に設置されたクリスマス・ツリー。

 エレフテリオス広場には特設ステージの他にも、巨大クリスマスツリーや、ラクダの像や砂漠が描かれた絵が置かれている記念撮影セット(かどうか分からないが、子供を連れた家族などがここで入れ替わりで記念撮影していた)、各種夜店・屋台などが出ていて大盛況。ステージの歌を聞きつつ、そうした広場の様子をしばらく楽しんだ後、今度は市場のように各種の店がひしめき合う1866通りへと向かった。
 1866通りはおそらくいつも賑やかな通りなのだろうが、今晩は特に賑やかなようだ。時々、知人同士が道端で出会って、「カリフォルニア!」と叫んでいる。何だろう? カリフォルニアがどうかしたのか? どうも何かの挨拶らしい。実は次の晩に見ていたテレビで確信が持てたことだが、これは「カリ ホリニア」という新年の挨拶らしい。ギリシア語で言うハッピーニューイヤー、明けましておめでとうという訳だ。ただ年が明ける前から使うというのがちょっと違うところだ。
 1866通りの店には本当にいろいろなものが売られている。軒先に果物や野菜が箱にどっさりと積まれている様なんかは、まさに市場。その他にも土産物屋なんかが結構あって、ギリシアらしい彫刻や陶磁器、ほかにクレタ島らしい牛頭のリュトン、フェストスの円盤なんかの模型も売られている。雑貨屋も数多くあって、前に書いたように1ユーロショップなんてものもあった。内容はまさに日本の百円ショップ。このあたりの適当な雑貨屋で、3ユーロぐらいの小銭入れを購入。また、スーパーに入って、クレタ産のオリーブオイルなんかを購入した。オリーブオイルは350mlくらいの一瓶が1ユーロくらいで、本当に安い。それからちょっと歴史のありそうな喫茶店のオープンカフェで一服。いわゆるグリークコーヒーというやつを注文してみた。グリークコーヒーはどろどろしていて甘いということぐらいしか知らなかったが、注文すると店員に何か聞き返された。予想外の質問というやつは何を言っているのか、日本語でも分からないものだ。二、三回聞き直して、メニューをよく見たら、どうも甘さ加減をどうするかということだったようだ。結局どうなったかあまり記憶にないが、確か「very sweet」を頼んだような気がする。ベリースウィートなコーヒーをオープンカフェで堪能していると、黒人系の女の子が客に金をくれとせがみ、ことごとく断られている様子が目に入った。観光シーズンはどうか分からないが、結局アテネでも物乞いもホームレスも見なかったので、ギリシアでは珍しい光景だろう。
「マニ、マニ」
 女の子が自分の前に来て言う。仕方なく1ユーロだけめぐんでやった。結構な収穫だったらしく、喜んで帰っていった。こういうのはどうなんだろうなあ。日本人は金を持ってるとか思われてしまう原因になってしまうだろうか。まあギリシア人から見たら日本人だか韓国人だか中国人だか分からない訳だが。

グリークコーヒー。ドロドロしていて濃くて甘い。甘党の私は美味しく飲めた。ちなみにターキッシュコーヒーとほとんど同じものなのだが、間違ってもギリシアの喫茶店でターキッシュコーヒーなどと言ってはいけない。ギリシアとトルコには歴史上の深い溝があるし、キプロスなどの領土問題を巡って今なお犬猿の仲なのである。

 グリークコーヒーを飲んだ後も、市街をブラブラしていたのだが、いい加減腹が減ってきた。そろそろ晩飯を食おうか、と思ってあちこち歩いてみたが、店の外にテーブルが置いてある店でも、多くは満席に近い状態だ。ガイドブックに掲載されているような店は尚更だった。時間は午後8時前くらいで、早いわけでも遅いわけでもなかっただろうが、やはり大晦日ということで外食する人が多いのだろう。それならホテルのレストランはどうだろうか、ということでホテルに戻ってみたのだが、ホテルの1Fはレストランから人があふれてダンス・パーティ状態、いろんな意味で入れない状態だった。
 仕方なくホテルの前の小さな通りを歩いていると、一軒のタベルナ(ギリシアで一般的な食堂。レストランほど格式ばったものではない)があった。扉の窓ガラスから中を覗いてみると、客はあまりいない様子。よし、ここに入ってみるか! ということでこの「ΟΥΖΕΡΙ」(ウゼリ)というタベルナで夕食を食べることになった。(かなり後になって気付いたのだが、「ウゼリ」とは店名ではなく「居酒屋」という意味の一般名詞だった。店名は「ΤΟ ΚΟΥΤΟΥΚΙ ΤΟΥ ΘΩΜΑ」で推定発音「ト クトゥ トゥ ソマ」。ソマが英語のトーマスに当たることが分かったぐらいであとは意味不明。多分店の主人の名前を付けているんだろう。)

夕食を食べたタベルナ「ΤΟ ΚΟΥΤΟΥΚΙ ΤΟΥ ΘΩΜΑ」。静かな通りにポツンと光が灯っていたのと、その外観から、はじめはバーかと思った(居酒屋でもあるので間違いではない)。 昼間の「ΤΟ ΚΟΥΤΟΥΚΙ ΤΟΥ ΘΩΜΑ」。次の日の午前中に撮影。

 店の中に入ると、中央の大きなテーブルでは、家族か親戚同士らしい10人程度が集まってパーティのようなものを開いていた。あとは男同士2人が別のテーブルに。全て地元民らしい。その中で東洋人単独は結構他の客や店員(といっても完全な家族経営)の目を引いたが、臆することなく一人テーブルへ。店長の息子らしき若いニイチャンが注文を聞きにきたので、グリークサラダと魚の料理、確かcod fish(タラ)の塩焼きか何かを頼んだ。あと飲み物はと聞かれ、勢いでテーブルワイン(食事と一緒に飲むワイン)を頼んでみた。初の本格的な現地の西洋料理となるのだが、ものが来てみてからいくつかの重大なことに気づいた。その第一は、料理を頼むと無条件にパンが付随してくること。そのため腹が減ってるからと調子に乗って多くの品を頼むと、パンと合わせたトータルの量が予想外になってしまうのだ。そして第二は、酒が予想外に安く、やはり予想以上の量が出てきてしまう場合があるということだ。古代ギリシアはワイン発祥の地であり、現在でもワインの生産が盛ん。クレタ島でもミノア文明時代からワインが作られており、今でも有数の産地である。それだけワインが安いのだ。ここで頼んだワインも値段(2.5ユーロ、1ユーロ=144円として360円)からしてグラス一杯だと思っていたが、見事にデキャンタで出て来てしまった。またこれが飲みやすく美味いのでガブガブと……。

とりあえず先に出てきたグリークサラダwithパンとテーブルワイン。 一人でメシの写真を撮っていたら、大テーブルの一人のおばさんが写真を撮ってくれた。

 メシもワインも美味いし、別のテーブルの人に話しかけられたりで、自分もなかなかいい気分になってきた。大テーブルの連中は歌なんか歌ってる。ニイチャン店員の嫁か彼女かも途中からやって来て、隣のテーブルでイチャイチャしはじめた。もう何でもアリだ。自分もガンガンワインを飲んだ。かなりの量だったがメシも食い終わった。すると、イチャついてたニイチャン店員が、注文もしていないのにサービスでスウィーツと小グラスに入ったスピリッツ系の地酒らしきものを持ってきてくれた。これがギリシアの地酒「ウゾ」か? と思いニイチャンに聞いてみた。
「イズ ジス ウゾ?」
「ラキィ!」
「オー ラキィ サンキュー!」
 出てきたのはギリシアの地酒の中でもクレタ島特産「ラキ」だったのだ。いや〜こんな貴重な酒に巡り会えるとは。さすがは地元の大衆食堂だ。

これが「ΤΟ ΚΟΥΤΟΥΚΙ ΤΟΥ ΘΩΜΑ」で頼んだ全品。しめて13.90ユーロ(約2千円)。 サービスで出された「ラキ」とジャムのようなスウィーツ。

 しかしラキもなかなか美味い。しかしアルコール度数は40と中々高い。こりゃいい気分に……。ニイチャン店員がときどき、
「グッド?」
 と少し心配した顔で聞いてくる。なかなか優しい青年だ。その度に自分は上機嫌で
「グッド! グッド!!」
 と返した。いい気分にはなったが腹は一杯だったので悪酔いということはなかった。しかし満腹になり過ぎてちょっと長い時間店のトイレに篭ってしまった。その後ニイチャンが吐いてトイレを汚したりしてないか確かめていた。大丈夫だニイチャン、俺はそんな恩を仇で返すような真似はせんよ……。
 そうしてベロベロに酔っ払い、午後11時過ぎくらいに店を出た。大テーブルの一同はまだまだ盛り上がっていた。店を出るとき、
「グッバイ!」
 と言って別れ、すぐ近くのホテルへ。それにしても少し飲み過ぎた。部屋に戻り、しばらくはベッドでゴロゴロ。と、しばらくして、急に吐き気が襲ってきた。無理もない。そして部屋のトイレでゲロゲロ〜。うーん、お約束だなあ。と、その時外でズドーン、ズドーンと大砲のような音と歓声が聞こえた。もしや……と思いベランダに出てみると、東のほうで花火が上がっている。テレビをつけてみると「HAPPY NEW YEAR」の声や文字。あ〜あ、やっちまった。吐きながら新年迎えちまった。私の2005年はクレタ島で飲みすぎてゲーゲー吐くというところからスタートしたのであった。
 しかし、その後の自分の行動は驚くほど手際が良かった。吐いた口元を手早く拭き取り、すぐに部屋から、ホテルから外に出た。そして路地を駆け抜ける。そう、新年は迎えてしまったが、まだ花火は打ち上げ続けられている! もっと広い場所からしっかり見なくては! などというよく分からない使命感に駆られて、気づけば広場があって空もよく見える近くの教会前に来ていた。おー、見える見える……。しかしすぐに花火は終わってしまった。

エレフテリオス広場に出ていた夜店。手前はポップコーン屋、裏は綿菓子屋。
アギオス・ティトス教会の上に上がる新年の花火。    

 で、折角ホテルから出てきたので、そのまま帰るのも惜しく、少しイラクリオのニューイヤーを味わってみることにした。
 まずはイベントの行われていたエレフテリオス広場。群集は酒も入って大盛り上がり。テレビの取材なんかも来ていて、インタビューに答える若者が奇声を発したりしている。それから広場の中央で円陣が組まれて、皆ステップを踏みながら何やらギリシア語の歌を歌っている。ホテルから出てきてここまで来るとき、「ΤΟ ΚΟΥΤΟΥΚΙ ΤΟΥ ΘΩΜΑ」の大テーブルにいた客達が、店の前で肩を組んでステップを踏みながらこの歌を歌っているのも見た。きっと国歌か、それに近いような、国民なら誰でも知っているような歌なのだろう。特設ステージのほうは、新年を迎えたところでイベントも終わったらしく、早々に片付けが始まっていた。広場にはまだまだ大勢の人がいる。夜店もまだまだ盛況だ。ここで夜店で何か買ってみることにした。そこで見たのが綿菓子。綿菓子なんて何年ぶりだろう。しかも新年のクレタ島で食べることになるとは。ギリシアでもやっぱり綿菓子は子供に人気のようで、自分も子供に混じって並んで買った。味は日本のものと全く一緒。しかし綿菓子って日本特有のものだと思っていたがどうなんだろう? ちなみに綿菓子は東日本では「綿あめ」と言うらしい。私は名古屋出身で、子供の頃から「綿菓子」と言って来た。分岐点はほぼ糸魚川−静岡構造線沿いらしい。
 綿菓子なんかをしばらく食っていると、段々とエレフテリオス広場からも人が少なくなってきた。時刻は午前1時頃。自分も綿菓子を食べ終わったところでエレフテリオス広場を離れた。
 街を適当にブラブラしてみたが、やはりニューイヤーということで夜中でも街は活気に満ちている。カフェなんかもまだまだ開いていて、おしゃべりに興じている人が沢山いる。やがてアギオス・ティトス教会のところまで来たが、そこにインターネット・カフェがあったので入ってみた。
 中に入ってみると、パソコンが沢山並んでいて、日本のインターネット・カフェと特に変わらない雰囲気。店員がいたので何か言おうとすると、おもむろに空いている席を勧められた。席に座り、自分のサイトや他のサイトの掲示板などに書き込み。1時間ぐらいネットサーフィンして、そろそろ帰ろうと思って、支払いをしようと店員に聞いてみたが、どうも特に支払いはいらないらしい。飲み物とか頼んだらその分は支払いが必要なのだろうが、特に何も飲んだりしなかった。というか、そもそもこのカフェの方式が分からないまま、勧められた席に座ってネットサーフィンしただけ。よく分からないが、これで採算が取れるのだろうか。それともニューイヤーだから無料? まあとにかく得はした。
 インターネット・カフェから出て来たら既に午前3時も過ぎていた。ホテルに戻り、しばらく適当にテレビなんかを見ていた。ギリシア語の番組は少なくて、ギリシア語字幕付きの英語のドラマや、ドイツ語の全ヨーロッパ向けのニュースなんかをやってる。ニュースでは起こったばかりのインド洋の「ツナミ」が特集されていた。「ツナミ」は国際共通語らしい。そういえば街中でも少年が「ツナーミ、ツナーミ」とか言いながら手を動かしていたなあ……。さらにチャンネルを変えていくと、「PAY TV」の文字。そのまましばらく待っているとアダルト番組が映った。そろそろ寝るか、と思いながら適当にチャンネルを回していた自分だったが、そこでぶっ飛び。そう、ここはヨーロッパ、堂々と無修正のポルノが放送されていたのだった。「come! come!」とか言いながら激しくカラミ合う映像にしばらく見入ってしまった。アダルト番組はもう一つ放送されていて、こちらはドイツ語の、女子高生が主人公のちょいHな学園ドタバタラブコメディだった。そうしたものを見ているうちに気が付けば午前4時頃になってしまっていたので、適当なところで切り上げて眠りに就いた。

クレタ島編もほぼ終わり。次はいよいよアテネに向かいます。

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