4th.DAY 2005/1/1 イラクリオ→アテネ

 年も明けて2005年、今日はクレタ島からギリシアの首都・アテネへと向かう。
 昨晩はかなり夜更かししたのだが、それでも8時過ぎには起床した。のんびりホテルの朝食を済ませ、10時前にチェックアウト。ホテルのカウンターではバーは使ってないか、と聞かれ、使ってない、と答えた。しかし、部屋の冷蔵庫にあった飲み物は結構飲んだ。そう伝えたのだが向こうは理解していない様子。そのときはミニバーという単語が出てこなかったのだが、よく考えるとカウンターのオネーサンが言ってた「バー」というのはミニバーのことだったのかもしれない。もっとも1階のレストランの横にバーがあったので、バーと言えばそれしか思い浮かばなかったのだ。ほか、昨晩見た「PAY TV」の料金も精算時の料金には含まれていなかった。申告制だったのだろうか? ひょっとしたら聞かれたのかもしれないが……まあ、金を取られなかったのだから、よしとしよう。

 荷物を背負ってホテルを出、ゆっくりと道を歩く。昨日夕食を食べたタベルナ「ΤΟ ΚΟΥΤΟΥΚΙ ΤΟΥ ΘΩΜΑ」も今朝は静まりかえっている。何度も通った、25 アウグストゥ通りに出た。今日も海がきれいだ。最後にちょっとだけ海岸に立ち寄ってみた。一昨日、昨日と海岸に出ていた魚料理のレストラン(ギリシア語で魚を意味する「ΨΑΡΙ」(プサリ)と看板に書いてあった)がひょっとしてやっていないかと思ったが、さすがに元旦は休みらしい(ちなみにこの店にも「ウゼリ」と書いてあって、昨晩のタベルナと同系列の店かと思った。この文章執筆中にもしや「ウゼリ」はギリシアの地酒「ウゾ」と同じ語源の言葉の「酒場」とかの意味なのでは……と思ったのが昨晩のタベルナの真の店名が分かったきっかけ)。
 海岸とヴェネチア時代の要塞に別れを告げ、街の中心を目指す。途中、荷物を背負って25 アウグストゥ通りの坂を登っていたら、一台の車が通り過ぎざまにスピードを落として窓を開けた。ひょっとして自分に用か? まさかな……と思っていたら、中の人間(若い男)が窓から顔を出し、握りこぶしの親指を立てて笑顔でこちらを振り向き、
「ハッピーニューイヤー!」
 なんて陽気な地元民だろう。自分も親指を立ててハッピーニューイヤー! と返した。そういえばクレタ滞在中には一人として東洋人には会わなかった。夏のバカンスシーズンになれば日本人もそれなりに訪れると思うのだが、真冬にイラクリオを訪れる東洋人というのは余程の物好きのようだ。まして新年をここで迎えるなんてのは。しかしそれだけに地元民にとっては珍しく、新年を迎える場所に選んだことに感謝の念すら覚えるのかもしれない。確かに自分の地元のごくローカルな場所を、新年の朝に明らかに旅行者と分かるような外国人がいたら声の一つもか掛けたくなる気はする。でもそこで本当に声を掛けてしまうところが、陽気で国際的なギリシア、クレタというところなんだろう。
 さて、空港行きのバスに乗らねばならないのだが、どこからそれに乗れるのかはよく分からない。ガイドブックなんかも、空港から街への行き方は書いてあっても逆は書いていないものだ。まあ、往きはエレフテリオス広場で降りたのだから、おそらくはエレフテリオス広場から乗ることができるだろう。ということでエレフテリオス広場に来てみた。例によってペリプテロで空港行きのバスチケットを買う。ついでにバス乗り場も聞くと、
「ビフォア アストーリア カプシス」
 という答。アストーリア カプシスとはエレフテリオス広場にある、イラクリオで一番高級なホテルである。バス乗り場でバスの時間を見ると、20分おきぐらいにはバスが来るようだった。飛行機の時間は13:40なのでまだまだ時間があった。そこでエレフテリオス広場の店で軽食を取ることにした。
 広場に面した多くの店は、店舗の外に屋根と柱だけの建物を建て、日陰でオープン・カフェを楽しめるようにしている。その分ちょっと店の位置が分かりづらい。屋根の外にピタを売っている店の看板があり、そのまま奥に直進して行ったが、どう見てもコーヒーか紅茶、よくてサンドイッチかマフィンぐらいしか出さない、ややお洒落なカフェしかない。半信半疑で店に聞いてみたがやはり隣の店「サバドール」だと言われた。日本でも個人経営の喫茶店に行って「ハンバーガー下さい」と言ったら、マックに行けと言われるだろう。それと似たようなものだ。
 さて隣の「サバドール」という店に行ったが、どうもクレープしか売っていないようだった。店員のオネーサンに、
「ピタある?」
 と聞いてみたが怪訝な顔をされつつ、 「エ? バナナ? チョコレート?」
 と返されてしまった。お互い母国語ではない英語で、向こうの予想外の単語が出たら自分が想定する範囲内のものに無理矢理結び付けようとするものだ。何だかこちらも面倒臭くなってきたので、結局なりゆきでクレープを頼むことにした。途中どんな具を入れるかと聞かれたので、最初に向こうが答えたバナナとチョコレート、と答えた。向こうが言ったからには具として入れることが可能だろうから。

エレフテリオス広場の「サバドール」で食べた、バナナとチョコレート入りのクレープ。しかし「サバドール」というのはチェーン店らしき趣だったが、実際どうなんだか。ちなみに以前に書いたように、イラクリオ市街ではマクドナルドなど日本で見たことのあるファーストフードチェーンは一店舗も見かけなかった。

 「サバドール」でクレープを食べると、11時過ぎになった。まだ少し早いような気もしたが、とりあえず空港へ行く事にした。
 空港は、閑散としている。空港の玄関前には売店だか案内所だかの小屋みたいなものが横に長く並んでいるが、ことごとくシャッターが閉まっている。夏のバカンスシーズンにはこの空港も賑わうのだろうが。規模といい発着便の数といい閑散具合といい、日本の地方の小規模空港そのものだ。自分の知っているところでは福島空港あたりだろうか。ただし発着便も夏になれば断然多くなり、国際線も飛んだりするようだ。
 退屈でタバコを吸ったり外のベンチで横になってひなたぼっこしたりしているうちに、ようやくチェックイン、金属検査がはじまった。乗客もそれほど多くないのでどの手続きもすぐに済む。金属検査では、検知器の感度が良すぎて(性能としては落ちるのかもしれない)、ほとんどの乗客が引っ掛かっていた。私も検知器を通り過ぎようとすると警告音がなったため、一度戻ったが、係員が手招きしながら、
「ミスター、ヘイ ミスター」
 と呼ぶので再度通ってみたやはり警告音が鳴ったが通り過ぎた後も、通常ならハンドタイプの検知器でしつこく検査するものだが、そうしたものも持っておらずロクに検査しなかった。まあ、シーズンオフのギリシアの国内線なんてこんなものだろうか。検査の簡略さは、日本なら屋久島か種子島の空港レベルである。

イラクリオ発アテネ行きのオリンピック航空機。ギリシアのナショナルカラーである青でまとめられ、尾翼にはオリンピックの五輪が描かれている。手前ではためくギリシア国旗もカッコイイ。

 そんなこんなで機に乗り込んだ。最終的には、それなりの乗客数となった。機はほぼ定刻通り離陸。クレタ島は 私の事実上最初の海外滞在地となった訳だが、そこにクレタ島を選んだのは、間違いではなかった。さらば、クレタ島よ!

 1時間もしないうちに、オリンピック機はアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス空港に着いた。国内線なので入国チェック等は何もない。空港から出て、アテネへ向かう鉄道の駅に向かう。さあ、いよいよギリシア本土だ!
 空港から駅へは真新しい連絡通路を通っていく。以前は空港からアテネ市街へ向かう手段はバスかタクシーしかなかったが、数ヶ月前に開かれたアテネ・オリンピックの開幕に合わせて鉄道が敷かれたのである。
 市内行きの切符を、はじめ自販機で買おうとしたが、どうも今ひとつよく分からないところがある。実は空港から市内へ向かう鉄道には、国鉄アテネ駅へ直行するSuburban Railway(郊外鉄道)と、途中のドゥキシス・プラケンティアス駅からメトロ(地下鉄)に乗り入れる二通りがある、ということは空港に置いてあるパンフレットをギリシア来訪初日に読んでいたので、知っていた。が、日本で売られているガイドブックは全て年度始めあたりに発行されたものであり、その時点で空港への鉄道はまだ開通していなかったので、詳細は何も書かれておらず、現地で得たパンフ以上の情報はないのである。自販機ではどっちなのかよく分からず、自分はメトロ経由のほうが都合がよかったので、窓口で買うことにした。窓口のオネーサンに話し掛ける。
「プリーズ チケット フォー アセンズ シティ」
「※@#(聞き取れなかったが多分Suburban Railwayとか言っていたのだと思われる)? メトロ?」
「バイ メトロ」
 ということで切符を入手。アテネ市街まで6ユーロ。刻印機に切符を通して、ホームに向かう。

空港−アテネ間の切符(左側、上は往き、下は帰り)とメトロの切符。メトロの切符も買う場所によってデザインが様々だが、空港発または空港行きの切符には飛行機のマークが描かれている。切符は磁気式ではなくただの紙製で、改札にある刻印機で日時を刻印する。刻印し忘れているのが見つかると、罰金を取られるようだ。ちなみに「メトロ」はギリシア語では「ΜΕΤΡΟ」と書く。

こちらはSuburban Railway。 こちらはメトロ乗り入れ列車。

 ホームも全般的に真新しくてキレイだが、ホームは一本しかない(もう一本あるようだが使われていないようだ)。両側にそれぞれSuburban Railwayとメトロが停車しているが、どちらもこじんまりとしている。特にSuburban Railwayなどは2両編成だ。一国の首都と空港を結ぶ線にしてはかなり小規模だが、シーズンオフはこんなものなのだろう。
 メトロの車両に乗り込んでみると、これまたこじんまりとしていて簡素ではあるが新しくて清潔ではあった。ロングシートはなく、ボックス席のみである。そんなに混雑しないのだろうか。車両の中央に電光掲示板(車両の前後ではなくて本当に中央)があり、ギリシア語と英語が代わる代わる掲示される。空港はギリシア語では「アエロリメナ」だと日本で読んだ本に書いてあったが、実際には「アエロズロミオ」と言うようだ。日本語でも空港とか飛行場とか言ったりするが、それと似たようなものらしい。
 空港−市内間の列車とは言えど元旦の日中ということもあってそれほどダイヤは充実しておらず、結局30分くらい待ってから列車が発車した。
 地下鉄車両とは言えど、空港から出た列車は結構高速で走っている。東京の都営浅草線の車両が京成線内で特急として走っているようなものだ。風景の田舎ぶりも京成線の佐倉あたりと同じくらい。ただしギリシアらしい準乾燥地帯の風景(茶色の土とこんもりした低木)が続く。途中いくつか駅もあったが通過していった。ということは、Suburban Railwayより速いのかもしれない。ただしドゥキシス・プラケンティアス以降メトロ路線に入ってからは、各駅となる。メトロ路線に入ると乗客も増えてきた。駅に到着してドアが開いたり、駅を出たときには、電光掲示板の表記が変わるとともに、録音された女性の声で、ギリシア語と英語でアナウンスが入る。そのアナウンスや電光掲示の比較で、英語の「NEXT STATION」はギリシア語で「エポメニ スタシ」と言うらしいことが分かった。
 空港から40分くらいで列車はアテネの中心部、シンタグマ(ちなみにアクセントは「シン」に置く)に着いた。ここまでメトロLine 3に乗ってきた訳だが、ここでLine 2に乗り換え、一駅先のアクロポリ駅で降りる。アテネでの宿泊先へはここが一番近い。

アクロポリ駅構内のステーション・ミュージアム。遺跡の宝庫・アテネでは地下鉄を掘るとやたらと遺跡に出くわし、そのためにかなり工事が遅れるという。そうした工事の際の出土物を、メトロのいくつかの駅でこうして公開している。

 アクロポリ駅の改札を出て(改札を出る際には切符の回収等はなく、ただ通るだけ)、地上に出る。いよいよアテネの大地だ。
 地上に出ると、それなりに人通りはあるが、意外に殺風景な感じ。とりあえずホテルに向かうべく、歩を進めた。するとほんのしばらくして、眼前に教科書で見たような巨大なモノが……そう、あれがアクロポリス、パルテノン神殿だ!


眼前に飛び込んできたアクロポリス!! 言うまでもなく頂上の神殿がパルテノン神殿。

アクロポリ駅近くからアクロポリスは、等倍だとこんな感じ。しかしはじめて見ると上の望遠写真ぐらいの迫力がある。ちなみに駅名は「アクロポリ」で、脱字ではない。現代と古代ではスペルや発音が異なるのだろう。なおアクロポリスとは「高い丘の都市」という意味で、固有の地名ではない。神殿の建つ聖域、また都市国家の要塞として古代ギリシア各地に存在した。
アクロポリ駅の近く、アマリアス大通り沿いに建つハドリアヌス門。AD131年、ローマ皇帝ハドリアヌスが旧市街と新市街の境界として建てた門で、アクロポリス側には「ここはアテネ、テセウス(神話上のアテネの王、英雄)の都市」、反対側には「ここはハドリアヌスの都市、テセウスのではない」と書かれている。高さ約18m、幅約13m。

 ホテルに向かう途中、ハドリアヌス門、オリンピア・ゼウス神殿を横目に見た。駅からホテルまではほんの数分なのだが、その間だけでもいくつかの遺跡が現れてくるのが、アテネという街の凄いところだ。

ホテルの向かいに建つ、オリンピア・ゼウス神殿。
アテネでの宿、アセンズ・ゲート・ホテル。    

 アテネでの宿は、オリンピア・ゼウス神殿の道を挟んだ向かい側に建つ、アセンズ・ゲート・ホテル。「アテネの門」という意味だが近くのハドリアヌス門にちなんで付けた名称だろう。アクロポリスにも近いし、アクロポリス、ゼウス神殿が見えるだろうというロケーションからここを選んだ(もっとも泊まった部屋の窓はホテルの中庭(というほどのものでもない)を向いていたので向かいの部屋しか見ることが出来なかった。ただし屋上の景観はすばらしかった)。チェックインし、荷物を置いてすぐに外へ飛び出た。今日は元旦なので遺跡や博物館は休業で中には入れないが、先程のアクロポリスを見ては部屋にじっとなどしていられない。はじめてアクロポリスを目にしたときには武者震いさえ覚えたのだから。小学生からの憧れだったパルテノンが、目の前にあるのだ!

アセンズ・ゲート・ホテルの部屋。特に変わったところのない、普通のシティホテルである。オクトパス・トラベルというロンドンの旅行代理店のサイト(日本語有)を使い多少割引で予約したのだが、それでも料金はイラクリオのラト・ホテルと同じくらい。しかし部屋のグレードや内装は明らかにラト・ホテルの方が上だった(バスタブなどの設備や部屋の面積ではこちらのほうが上だが)。代理店経由だと割引はされるが、景観などを重視するなら直に予約したほうがいいようだ(ラト・ホテルはホテルのサイトから直接予約)。

 アセンズ・ゲート・ホテルを出て、アクロポリスの南側を通るディオニシウ・アレオパギトゥ通りを歩く。通りは坂になっていて、次第に傾斜がきつくなっていく。途中のペリプテロでスプライトを買ったら、お釣りをごく微小な額だがお釣をごまかされたような気がする。アテネは油断ならない街だ。

イロド・アティコス音楽堂ごしにパルテノン神殿を望む。イロド・アティコス音楽堂は161年、アッティカ(アテネとその南に続くアッティカ半島を含む地域の地方名)の大富豪イロド・アティコスの寄贈により建てられた。現在も野外劇場として使われている。

 アクロポリスの南西端にあるイロド・アティコス音楽堂を過ぎると、より急な登り坂になってアクロポリスの入口に至る。しかし今日は中に入ることが出来ない。アクロポリス入口の向かいにあるアレイオス・パゴスの岩塊の上から古代アゴラ(アレイオス・パゴス、古代アゴラとも詳細や写真は2005/1/2分で公開)の景観を楽しんだ後、アクロポリスの北側に広がるプラカ地区へと降りていった。

アクロポリスの入口。ここからでは全貌はよく分からない。 北西方向から望むアクロポリス。

 プラカ地区は、19世紀頃の街並みが保存されていて、迷路のように入り組んだ幅の狭い路地に、土産物屋やタベルナ、レストランなどが所狭しと軒を連ねている。アテネ市民も観光客も集まってきて、夜も賑やかだ。

プラカ地区に残るハドリアヌスの図書館。2世紀、ローマ皇帝ハドリアヌスによって建てられた。現在は壁が残るのみ。夜が近づき、ライトアップされている。

 プラカ地区をブラブラしていると、暗くなってきたので夕食を取ることにした。プラカ地区の中でも、タベルナやレストランは南東部を走るキダネシオン通りというメインストリート沿いに多い。そのうちの一つ、「アクロポール」というレストランに入った。

レストラン「アクロポール」。キダネシオン通り沿いだが、少し奥まった場所にあり、他の店に比べると比較的空いている。このあたりの店は食事時はいつでも混雑している。

 「アクロポール」は確かにレストランという感じ。地域物価差とか、観光地であるとかないとかいったこともあるが、やはりイラクリオのタベルナと比べると値段もかなり違う。ここでムサカ、スブラキ、フタポディ・マリネといったギリシア料理を注文。

ムサカ(右)とフタボディ・マリネ(左)。ムサカはなすとじゃがいも、ミートソース、パルメザンチーズを重ね焼きしたラザニアのようなようなもので、ギリシアを代表する料理。フタボディ・マリネはタコのマリネ。 スブラキ。塩と胡椒で味付けした串焼きである。魚や肉などいろいろあるが、写真のものは確か豚だった。同じ皿に添え物が盛られている場合が多く、写真のものはフライドポテトとライスで、一般的である。今回の旅行で初めて米を食べた。

 アクロポールは空いてはいるものの、味は確かだった。計32.5ユーロ。さすがに値段もそれなりだ。食事のあとは土産物を物色しつつブラブラした。ギリシアの土産物はやはり彫刻など遺跡・神話に関係したものが多い。特に神々の石膏彫像は目を引く。そのほか、ポピュラーで目を引くものといえばチェス。もちろん駒はギリシアの神々や彫刻である。石膏彫刻は20センチくらいの比較的大きなものでも5ユーロくらいと大して高くはないのだが、チェスは駒だけでも(もちろん単体ではなくフルセット)15〜30ユーロくらいはする。店では大抵大理石のチェス盤とセットでディスプレイしてあるのだが、チェス盤のほうは50ユーロ以上。ただ、なかなか気に入った駒と盤の組み合わせがない。そういう訳でいろいろな店でじっくりと見回すことになるのだが、高額商品なだけに、脈がありそうな客には店員も声を掛けてくる。
「兄さん、どう、安くしとくよ、どれがいい?」
 みたいなことを言ってくるのだが、その度に、
「もう少し考えさせてくれ」
 と答える。そのうちにようやくいい組み合わせが見つかったのだが、しかし値段も張るし大きさもそれなりにある。大理石のチェス盤となると重量もかなりあって、荷物のことも心配だ。いろいろ迷ったが、意を決して注文。すると、
「駒だけでいいんですか? 盤はどれにする?」
 みたいなこ答えが返ってくる。そうか、よく考えたら駒とチェス盤は必ずしもディスプレイされてるセットじゃなくてもよかったんだよな……しかしこれ以上フレキシブルに考えると判断不能になるのでディスプレイされてるセットをそのまま注文することにし、値段を確認してみた。
「盤もセットでいくら?」
 そう言うと、どうも私が値切ってると思ったらしく、店員の若いニイチャンは、
「グッドアイディア!」
 と答えて急いで計算機取りに行き、ボタンを叩きながら戻ってきた。75ユーロ。元が90ユーロくらいだから、まずまずといったところか。その値段で承諾し、レジでクレジットで支払おうとすると、
「オー、クレジットじゃ割引できないよ、これは現金払いの値段だよ〜」
と言われてしまった。しかし手持ちは20ユーロくらいしかない。どこかで金を降ろすか……ATMの所在を聞かねばならないが、どう言おうか。
「フェア イズ ア バンク?」
 と、とてもシンプルに聞いてみた。この状況で銀行に行くといったら、ATMで金を降ろす以外にはあり得んだろう。
「マシーン?」
 そうか、マシーンか。しかし双方ともよく理解できたようだ。イエス、と答えると、こっちにあるから、ついてきてくれ、と言われた。観光地プラカの中心部ということもあってATMはすぐ近くにあり、そこで国際キャッシュカードでの出金を試みた。しかし、何度やっても上手くいかない。そういえば、ギリシアのATMでは出金が上手くいかないことが結構あると、国際キャッシュカードのしおりみたいなものに書いてあった。駄目だと分かると、ニイチャンは別のATMに連れてってくれた。ニイチャンも高額商品が売れるかどうかが掛かっているだけにこのあたりとても親切である。結局店から5分くらい歩いた場所にあるATMでようやく出金に成功した。ATMからの帰りには、
「アー ユー ジャパニーズ?」
と聞いてきた。そうだと答えると、
「俺はサムライが大好きだ、ラスト・サムライも見たよ」
とのこと。それから、
「スモウも好きだ。彼らはとても強い」
サムライはいかにもという感じだが、スモウは結構マニアックな気がする。しかしまあ、オリンピックの国の国民に戦士と格闘技で知られるということは、余程印象が強烈なのだろう。スモウに関しては相当入れ込んでるのか、力士に殴られたら吹っ飛んで死んでしまうというようなことをオーバーアクションで説明していた。なかなか愉快なニイチャンだ。ニイチャンもかなり大柄で強そうなのだが。

「プラカズ・アゴラ・ワークショップ」という店で購入したチェスの駒とチェス盤。1万円以上も出してこんなものを購入する割には、チェスのルールすら知らなかったりする(苦笑)。なお、これを購入した後、店員のニイチャンが、「旅行ガイドは持ってないか?」と言うので「歩き方」を見せてやると、「店の一覧はどこだ」と言う。そのあたりののページを見せてやると、自分で自分の店の紹介を探し出した。どうも日本のガイドブックに載っているということを知っているようだ。多分収入を大きく左右するのだろう。特に日本人にはチェスも知らないのにこんなものを買ったりする人間もいるので(再度苦笑)、日本のガイドブックに載ることは重要なのだろう。


 それなりに土産も購入できたところで、プラカから去った。結構適当に歩いたのだが、いつの間にか通りの先にハドリアヌス門が見えていた。

プラカから見たハドリアヌス門。 夜のハドリアヌス門。

ライトアップされたアクロポリスとパルテノン神殿。
間近で見ると結構大きいハドリアヌス門。    

 アマリアス大通りを渡って、夜のハドリアヌス門を見た後、再度大通りを渡ったのだが、大通りのくせに歩行者用の信号の青の時間がやけに短くて、走って渡らねばならない。ハドリアヌス門から戻るとき、丁度青になったときに風船をたくさん持った太ったおじさんが走ってきたのだが、やはりそのまま横断歩道を走り抜けた。結局二人並んで横断歩道を走り抜ける形となり、渡り切ったとき、目が合ってお互い苦笑した。向こうも「何でこの信号はこんなに短いんだ」と思っていたに違いない。向こうは市内で商売をしている人だろうから、日々痛感していることだろう。

夜のアセンズ・ゲート・ホテル。


 ホテルに戻ってきたのは丁度午後9時頃だった。約4時間かけてアクロポリスを一周したことになる。もちろんただ一周するだけなら30分くらいで済むだろうが、今日とて遺跡等は開いていなかったので、食事や買い物以外には時間をかけていない。明日も予想以上に時間が掛かることを覚悟しておかねばならないだろう。そういうこともあって今日は比較的早く寝た。夜中、喉が渇いて起きた。日本のホテルのように自販機があるわけでもなく、ミニバーもないので、どこかに買いに行かねばならないが、コンビニのないギリシアではどうすればいいのだろう? ただ、イラクリオのラト・ホテルのそばのペリプテロも、年越しのときしか見ていないが、深夜0時をまわっていても営業していたので(そういえばその店で飲み物を買ったときにも「ハッピーニューイヤー!」と挨拶された)、首都アテネならもしや……と思い出掛けることにした。フロントに人がいる。聞いてみよう。
「フェア バイ サムシングドリンク?」
 ちょっと変な英語だと思ったがまあ通じるだろう。と思ったが、サムシングドリンク、というのが分かりにくく、4回くらい言い直した。相手も英語圏の人間ではないのでそういうこともあるだろう。ようやく通じたが、
「レストランに行けばコーヒーは……」
とかフロントの紳士はとんちんかんなことを言ってる。それに時間も午前3時くらいだった。レストランだって営業していない。スプライトとか、コカ・コーラとか……と言ってやっと意図が通じたらしい。ホテルを右に出てそのまま歩いていくと店がある、とか答えてくれた。はじめからペリプテロはどこかと聞くべきだったかな。
 ホテルを出て、結構歩かされたのだが、確かに深夜でも営業しているペリプテロがあった。人通りなんてほとんどないのだが、たまに自分みたいな客がいるのだろう。日本でもコンビニが普及する以前は、都市部ではこういう24時間営業の売店みたいなものがあったのかもしれない、などと思いつつ飲み物を買ってホテルに戻った。日本に比べれば遅れてはいるが、それでも一応はヨーロッパ、ある程度現代的・都市的要求が満たすことが出来るのはありがたい事だ。

 アテネでのウォーミング・アップも終わり。次こそいよいよ今回の旅の最大のハイライト、アテネ観光本番だ!

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