5th.DAY-1st. 2005/1/2 アクロポリス(アテネ市街)

 8時頃起床。ホテルの朝食を食べる。やはりバイキング形式だが、イラクリオのラトホテルと比べると質がやや劣るか。
 オリンピア・ゼウス神殿の向かいのホテルに泊まってみたものの、泊まったは全く何も見えない位置だったので、朝食後、一度屋上へ上がってみた。なかなか素晴らしい景観だ。ここがギリシアであることを実感。

アセンズ・ゲート・ホテルの屋上からオリンピア・ゼウス神殿を望む。

ホテル屋上からアクロポリスの丘を望む。 ホテル屋上からリュカヴィトスの丘を望む。

 さあ!いよいよアクロポリスだ。9時頃ホテルを出て、歩いていく。まずはイロド・アティコス音楽堂が視界に飛び込んでくる。しかし、ここは何か催し物がないと、入場できない。入口から中を少し覗きこんだ。アクロポリスに登ると、音楽堂の中はよく見える。

アクロポリスより眼下に見える音楽堂内部。
イロド・アティコス音楽堂。    

アクロポリス一帯は、本来有料なのだが、この日は年に何日かある無料の日。アクロポリスだけでなく、市内の有料遺跡、国立博物館等が無料となる(その分チケットがどんなものか見ることはできなかったが、この日周った施設の計約2千円くらいがタダになったのだからよしとしよう)。

アクロポリスの入口にあるブーレエの門。前門防御の為、紀元後280年頃ローマ人が建造したもので、名称は調査した考古学者の名にちなむ。

前門(プロピュライア)。紀元前437〜432に名建築家ムネシクレスによって建てられた。中央左右の三棟から成り、右の上にはペルシア戦争の勝利を記念して建てられたアテナ・ニケ神殿がある(写真では見えない)。 前門左。左の大きな台座はローマ皇帝アウグストゥスの婿・アグリッパの戦車競技での勝利を記念して建てられた「アグリッパの記念碑」。かつては台座の上に戦車像が載っていたらしい。

 こうして二つの門を潜ると……

近づいてきましたよぉぉ、パルテノンがっっ!!なお、パルテノン神殿の手前には、「アルテミス・ブラウロニオンの聖域」と呼ばれる場所があって、かつてアルテミス女神を祭る列柱館があり、さらにそのアルテミス・ブラウロニオンの聖域とパルテノン神殿との間には、ハルコスィキと呼ばれる神器、武器、奉納物を納める建物があった。現在はいずれも倒壊してしまっている。

パルテノン神殿の向かって左にあるのがエレクテイオン神殿。このエレクティオン神殿とパルテノン神殿の間には、紀元前6世紀頃建造のアテナ古神殿というパルテノン神殿よりも古い神殿があったが、ペルシア戦争により再建不可能なまでに破壊されてしまった。アクロポリスの建造物には複雑な変遷があるのだ。

とりあえずパルテノンの前で記念撮影。幼い頃からの憧れだったパルテノン神殿の前で……感無量。


その前に立ってみると、パルテノン神殿は想像以上に巨大で、圧倒された。幅約31m、奥行き約70m、高さ約10.5m。想像以上に巨大ということでは、生まれて初めて見たときの東大寺大仏殿や出雲大社を思い起こす。
パルテノン神殿は、アテネの守護神である女神アテナを祀るものだが、上にも書いたようにアクロポリスにはかなり古くからアテナを祭る神殿があったが、ペルシア戦争により破壊されてしまった。戦争の勝利後、世界史の教科書にも登場する政治家ペリクレスなどの主導によって神殿が再建された。完成は紀元前432年頃で、手がけた建築家はイクティノスとカッリクラテス。建築様式は、ドーリス式。創建当時は、黄金と象牙で出来たフェイディアス作の巨大なアテナ像が安置されいた。また、今でこそ素材の大理石が構成する「白亜の神殿」がギリシアや古代ヨーロッパを象徴するものとなっているが、当時は極彩色や黄金に彩られており、今こうして見るのとは全く違ったイメージだったようだ。今見ている姿は「建築中」当時のものに近いとも言えるだろう。

 とりあえずパルテノン神殿を撮りまくった。ちなみに中に入るのはもちろん、触るほど近づくこともできないのだが、それでもその威容に圧倒される。

梁の拡大。
正面拡大。    

入口から向かって右斜め前より。 入口から向かって右側面。

こちらは入口と反対側から向かって左斜め前。 入口と反対側の正面。

入口と反対側から向かって斜め右前。 入口と反対側の正面遠望。

無雑作に置かれた柱頭群。 ギリシア文字の描かれた遺物。

 パルテノンは改修工事をしていたが、これは「いつものこと」らしい。南欧の人々のやることなので遅々として進まないのであろう。非常に貴重そうな遺物が瓦礫のごとく無雑作に雨ざらしで放置されているのも、ある意味で「遺跡の宝庫」ギリシアらしい。  さてアクロポリスの丘は市内でも一際高い場所なので、眺望も素晴らしい。

パルテノンの近くから眺めたイロド・アティコス音楽堂。
アクロポリスの麓にあるディオニュソス劇場。こちらは音楽堂より古いが、現在は使われていない。

オリンピア・ゼウス神殿を望む。
リュカヴィトスの丘を望む。    

アクロポリスの崖に建つ古代の柱。 アクロポリスにはこんな展望台も。


こちらはエレクテイオン神殿。アテナやポセイドン、アテナの養子にしてアテネの王エレクテイオス(神殿名の由来)などを祀っていた神殿だが、諸説あるようだ。完成は紀元前405年頃、建築家は前門(プロピュライア)と同じくムネシクレスと言われている。建築様式はイオニア式。
特徴的なのは、写真右下の女性の形につくられた六本の柱が支える南側ポーチ(建物本体から出っ張り、建物とは別に庇を持つ部分)。この見事な女性像はカリュアティデスと呼ばれるが、現在ポーチを支えているものはレプリカ。オリジナルのうち1体は大英博物館、もう1体は不明、残り4体はアクロポリス内の博物館に所蔵されている。

エレクテイオンの全体像。 南側ポーチの全体像。

西側からカリュアティデスを見上げる。 カリュアティデスのアップ。

東側から見た南側ポーチ。 こちらは北側ポーチ。

 アクロポリス内を一通り巡った後、アクロポリス内にある博物館に入った。ここではアクロポリスの考古遺物を展示している(といっても、彫刻の多くは、1800年代にイギリスに運ばれてしまい、大英博物館に所蔵されている。これに対して現在返還運動も行われているが、なかなか成果は見られないようだ)。
 建物はあまり大きくはないが、所蔵品は充実している。所蔵品は、概ね年代順に並べられていて、テーマ毎に部屋が分かれている。

牛を殺している雌獅子の像。B.C.600年頃の作。
子牛を担ぐ男の像。紀元前6世紀、アルカイック期の作品でいわゆる「アルカイックスマイル」を口元に浮かべている。

スフィンクス像。B.C.560年頃の作。 ギリシア人が、馬に乗ったペルシア人を象ったものらしい。B.C.560〜B.C.550年の作。

こちらは「コレー」と呼ばれる女性着衣立像の代表的なもの。ペプロスという羊毛の衣装を纏っている。B.C.525年頃の作。 こちらもコレー。紀元前6世紀作。これらのコレーはペルシア侵入時に埋められて、パルテノンの時代にも再び使われることはなかった。

古アテナ神殿の破風(日本建築において屋根の妻側にある三角形の外壁部分のことだが、上の最も大きなパルテノン神殿の写真の、正面最上部の三角形の部分と考えてもらえばいい)を飾っていた「ギガントマキア群像」の一部。ギカントマキアとはオリンポスの神々と巨人族との戦争のこと。向かって左のアテナが右の敵に止めを刺そうとしている様子を表している。B.C.525年頃の作。
こちらもコレーだったと思うが、詳細を忘れてしまった上、検索しても分からなかった。

これも破風の彫刻だったっと思うが、忘れてしまった上、検索しても分からなかった。 水瓶を運ぶ4人の青年。パルテノン神殿の帯状レリーフで、支柱の上の帯状の部分に施されていたものだろう。

これは確かアレクサンドロス大王のレリーフ……だったと思う。
これはポセイドン像の頭の部分……だったような。

エレクテイオン神殿の南側ポーチの屋根を頭で支える女性像(カリュアティデス)のオリジナル。

 アクロポリスの次は、古代アゴラへ向かう。

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