5th.DAY-2nd. 2005/1/2 古代アゴラとローマン・アゴラ(アテネ市街)


アクロポリスは出入口が一つしかないので、見終えた後、再び同じ場所に戻って来た。アクロポリス入口の向かいにはアレイオス・パゴスがある。アレイオス・パゴスとは「アレスの丘」という意味で、神話において、軍神アレスが自分の娘を犯そうとしたポセイドンの息子を殺し、ポセイドンがそのことでアレスを訴え、オリンポスの神々による裁判が開かれたのにちなむという(アレスは結果無罪となった)。また、古代アテネの最高法廷が置かれた場所でもある。
ここには写真(前日夕方撮影)のような石灰岩の岩塊があって、登れるようになっている。ここに登ると、古代アゴラを見下ろすことが出来る。


アレイオス・パゴスより古代アゴラを望む。写真下部の林の中の遺跡群が古代アゴラ。「アゴラ」とは広場とか市場を意味する言葉だが、聖域や議事堂、音楽堂などが建ち並び、古代アテネの政治・文化の中心地であった。ソクラテスやプラトンといった哲学者達が哲学論を交わした場所でもある。写真右下、アゴラ内の細長い建物はアタロスのストア(柱廊)。その下はアギイ・アポストリ(聖使徒)教会。

写りがいいので上の写真を大きく掲載したが、こちらの方がアゴラを広範囲に捉えている。なお、こちらは前日夕方撮影したもの。 アタロスのストアとアギイ・アポストリ教会のアップ。(前日夕方撮影)。

ヘファイストス神殿のアップ。鍛冶の神ヘファイストスを祀っていた。また、かつてはアテネの英雄テセウス(ミノタウロス退治で有名)を祀っていたと思われていたため、今でもテセイオン、テッシオンの別名で呼ばれる。
写真中央やや左下の神殿は、アゴラ内にあるヘファイストス神殿。

こちらはアレイオス・パゴスから見てアゴラとは反対方向にあるニンフの丘(手前の教会の建つ山)。アテネには丘が多いようだ。 アレイオス・パゴスよりリュカヴィトスの丘を望む(前日夕方撮影)。

 アレイオス・パゴスから降りて、古代アゴラへ向かう。アレイオス・パゴスはアクロポリスの中腹にあり、麓のアゴラに向かって坂を下っていく形になる。坂を下っていく途中で、向かいから来た白人のグループに「ニャーオ」と声を掛けられた。どこかの挨拶かと思って「ニャーオ」と返しておいたが、後で考えてみると「ニーハオ」だったのだろう。中国人に思われた訳だ。そして挨拶を返してしまったことでそのまま中国人と思われて終わってしまった訳だ。

 途中、土産物屋にも寄ってみる。よく分からないギリシア民族服風のパーカーとかを買ってみた。あと、会社のマニアックな同僚のため、イコン(礼拝の対象として用いる聖像画で、イエスやマリア、天使、聖人などが描かれる。正教会では特に重視されている)を買った。店の人は英語で「アイコーン」と言っていた。現在コンピュータの世界で非常に多く用いられている「アイコン」とは元々この「イコン」のことなのだったなあ、と改めて思い出した。この店には、古代ギリシア人が纏っていたのと同じデザインの服(いわゆるキトンというやつか、白いヒラヒラした服)も売られていてかなり買いたい衝動に駆られたが、荷物になるだろうし結構高かったのでさすがに我慢しておいた(苦笑)。

 アゴラは遺跡地帯で、世界遺産でもあるので、フェンスで囲われた保護地域になっている。そして本来は入場料も必要なのだが、今日は無料日なので必要ない。

アゴラ内(だったと思う)にあったヘカーテの聖所。神話の神々にちなんだ場所が何気なく存在するのがギリシアの凄い所。ちなみにヘカーテとは冥界の女王で、もともとはオリンポスの神々以前の大地母神であり、月を象徴する農業神、産婆の守護神でもあったようだ。また、魔術や予言の神であり、三叉の辻でヘカーテを崇める風習があったという。後のキリスト教社会では魔女の女王とされ、黒い羊や犬が捧げられた。また中世以降のヨーロッパにおいて辻で魔術が行われたのもヘカーテに由来する。「世界邪神紀行」にはふさわしい場所だ。

アゴラ内のアギイ・アポストリ教会。アゴラ内に残る唯一の中世遺跡。11世紀の建造で、現在のものは、20世紀に建造当時の姿に復元したもの。実際には19世紀までに増改築が繰り返され、かなり違った姿になっていたという。

天井に残されているキリスト像のフレスコ画。
アギイ・アポストリ教会内部。部分的に装飾が残されている。

 こうしたものも見つつ、いよいよアゴラの中心部へ迫る。まずは最大の見所の一つ、アタロスのストア(柱廊)だ。

アタロスのストア。ペルガモン王アタロス二世がB.C150年頃に寄贈したものという。長さ約150m、奥行約20mの巨大な建築物。 内部には21の部屋が並び、商店として使われていた。古代アテネのスーパーマーケットといったところ。実際、英語のストア(店)の語源はギリシア語のストア(屋根付の場所)にある。

 アタロスのストアは、現在はアゴラの考古遺物を展示する博物館になっている。もちろん中に入ってみる。

紀元前8世紀のワイン入れ。 こちらは紀元前6世紀の壷。

古代オリンピックのような競技の選手の形をした香水入れ。頭上のものは勝利のリボンらしい。 紀元前5世紀の青銅のニケ(勝利の女神)像の頭部。

文字が刻まれた石板もしくは建造物の一部。真ん中あたりにΕΛΑΔΑと書かれているが、ΕΛΛΑΔΑ(エラーダ、ギリシア語でギリシアのこと)と同じだろうか。 どんなものだったか忘れてしまったが、穀物や果実を入れておく瓶だろうか。模様は豊穣の女神を表しているようにも見える。

古代アテネで行われたオストラシズム、いわゆる陶片追放に用いられた陶器。政治家の名前をこの陶片に書いて市民が投票し、その数が一定数に達した場合、その政治家は10年間国外追放となった(ただし追放者の市民権や財産は守られたらしい)。陶片追放は紀元前6世紀末〜前5世紀末に行われ、扇動に乗った市民によって有能な政治家が追放される事もあった。
写真上の陶片には「ペリクレス」と書かれている。パルテノン神殿建築を主導した、世界史の教科書にも載る、古代アテネの名政治家ペリクレス(B.C495年?〜B.C429年)だろう。この教科書にも名が載る人物への「不支持票」を見たとき、2500年前の歴史が俄然リアルなものとして迫ってきて、軽い目まいがした。

反僭主制決議碑文。僭主とは端的に言えば独裁者のことで、上の陶片追放も元々僭主追放のための制度である。カイロネイアの戦い(B.C.338年に起きたマケドニアとアテネ・テーベ連合軍との戦闘で、マケドニアが圧勝、以後ギリシアでのマケドニアの覇権が確立される)の翌年、マケドニア王フィリッポス二世やその支持者によるアテネ民主制崩壊を危惧して決議した内容が書かれたもの。僭主やその擁護者の殺害に対する罪を不問にすること、アテネ民主制の崩壊後に議員がページトップのアレイオス・パゴス(アテネの最高法廷)に行く事を禁じている。ちなみに、フィリッポス二世の子がかのアレクサンドロス大王である。上部のレリーフには、民主主義(を擬人化した人物)が椅子に座った市民に冠を授ける様子が描かれているという。

古代ギリシアの貨幣。B.C.200年頃のもの。ギリシアでは紀元前6世紀には貨幣が造られている。
女神像の頭部。ゼウスの妻ヘラのもの……だったと思う。

美と愛の女神アフロディーテ……だったか。勝利の女神ニケだったかも。写真では分かりにくいが、比較的小さなものだったと思う。 これは聖所等の建物の支柱に彫られたものと思う。

これはギリシア神話における冥界での死者の審判の様子を表したものだったような気がするが、違ったかもしれない。
このレリーフは確かペルセポネー(ヘカーテと同一視される冥界の女王)だったような。

中央は美と愛の女神アフロディーテ、左右はその子・愛の神エロス。エロスはいわゆるキューピッドのことだが、ここでは既に現代人が思い描く、羽を持ち、わずかに布を纏う少年の姿が表現されている。これらはかなり小型のもの。
この躍動感ある独特のポーズの裸体の青年像は、愛の神エロス(右の写真の文参照)だったか太陽神アポロンだったか。サイズとしては人間の等身大くらいだったと思う。

牧神パンの像。羊飼いと羊の守護神。羊や山羊のような下半身と角を持つとされている。ここではそのような表現はされていないが、山羊を捕まえている。サイズは人間の等身大くらい。 右上はエロス。ここでもいわゆるキューピッド形で表現されている。左下はゼウスと関係したため、ゼウスの妻ヘラの呪いで怪物に変えられた女性、ラミアだったと思う。ラミアはよく人頭蛇身の姿で現されるが、これはほとんど全身が蛇となっているようだ。サイズは小型。

これらの仮面は、古代ギリシアの演劇で用いられたものだと思われる。右側が鍛冶の神ヘファイストスで、左側がアフロディーテだったか。この組み合わせを見ると、日本の神楽の猿田彦と天鈿女を思い出す。特異な取り合わせの夫婦神ということでは、共通するものがあるかもしれない。 中央と左はアフロディーテだった思う。アフロディーテはいわゆるヴィーナスの起源だが、これらの像は後のヴィーナス像によく似ている。右はエロス。この博物館ではキューピッド形のエロス像をよく見かけたが、古代ギリシア人の思い入れが強かったのだろうか。

アゴラ博物館は、室内だけでなく、外の柱廊にも多くの遺物が展示されている。室外の展示品は、主に大理石像だ。

この胸像の前を通りかかったとき、白人が「アントニヌス・ピウス」と言う聞き覚えのあるローマ皇帝の名をつぶやいていたのでよく見てみると、確かにプレートにそう書いてあった。アントニヌス・ピウス(86年〜161年)は「五賢帝」と呼ばれるローマ帝国皇帝(在位138年〜161年)。ここにはローマ皇帝の像もいくつか展示されていた。 こちらはトリトン像の頭部。海神ポセイドンの子で人の上半身に魚の下半身という人魚のような姿を持つ。古代アゴラには頭部の欠けたトリトン像が今も建っており、その頭部に当たる。

何を表したレリーフだったかは忘れたが……オリンポスの神々を表したものだったか。中央の最上部がゼウスだったような……。
勝利の女神ニケの像。解説プレートには「FLYING VICTORY」と書かれていた。ニケはアテナに付き従う神で、有名な「サモトラケのニケ」にも表されているように、背中には羽があり、エロスとともにその後のキリスト教世界における天使のイメージの元になったともいわれる。この像も「飛んでいるニケ」というくらいだから羽があったのだろう。

 アタロスのストアでアゴラからの出土品を見た後は、古代アテネ市民になったつもりでアゴラ内を散策。

アゴラの中心にあったアグリッパのオデイオン(音楽堂)の跡。初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスの腹心にして娘婿である、軍人・政治家のアグリッパ(B.C63年 - B.C12年)によってB.C15年頃建てられた。彼はローマ帝国内の数多くの公共施設を建てており、有名なものとしてパンテオンやガール水道がある。写真手前は、オデイオンを支えた柱のコリント式柱頭。 アグリッパのオデイオンの入口を飾るトリトン像群。かつては巨人像を含め六体の像があったという。アタロスのストアに展示されていたトリトン像の頭部は、これらの像のものである。なお、オデイオンはアゴラ内最大の建物で、パルテノン神殿よりも大きかったという。屋根付二階建てで、千人を収容できたらしい。

このトリトン像には頭部が残っている。この形状からすると、オデイオンの支柱に彫られたものでもあったのだろうか。 トリトン像の正面。彼は法螺貝を吹いて波を立てたり鎮めたり出来るという神話が伝わっており、そのために音楽堂の入口に建てられたのであろう。

 アゴラは古代アテネの中心街だったというだけあって実に多くの施設があり、遺跡も数多い。その中でも非常に保存状態が良いのが、ヘファイストス神殿だ。

ヘファイストス神殿を見上げる。ヘファイストス神殿はアゴラの丘の上に建っている。B.C.450〜440年の建造。 パルテノン神殿と同じドーリス式で、よく似ているが、規模は小さい。しかし、保存状態は非常に良い。

様々な角度から見たヘファイストス神殿。鍛冶の神であるヘファイストスと共に、工芸の神でもあるアテナも祀られていた。この辺りに多く住んでいた職人達に篤く信奉されていたようである。


ヘファイストス神殿は、ギリシアの神殿の中でも最も保存状態の良い神殿の一つである。

ヘファイストス神殿のあるアゴラの丘からアクロポリスを望む。 アゴラの中は本当に遺跡だらけである。

 古代アゴラはそこら中遺跡だらけで、かつその種類も多様(神殿や祭壇、行政・司法施設、排水溝等)なので、ゆっくり見ようと思えばいくらでもじっくり見ることが出来るのだが、今日は1月2日で各施設の開館時間も限られているので、このあたりで切り上げることにした。
 ところで、古代アゴラの中は、結構大きな犬がやたらとうろついていたが、番犬なのだろうか?野犬なのかもしれないが、それにしては人に危害を加える様子は全くなかった。むしろ昼寝している姿が微笑ましいくらいだった。

 古代アゴラを出て、土産物などを物色しながら少しだけプラカ地区を歩くと、ローマン・アゴラが現れる。ローマン・アゴラは、カエサルが建造を開始し、オクタヴィアヌスがB.C.12年〜B.C.2年に完成させたもので、元々どういう名称だったか不明になり、現在はローマン・アゴラ(ローマ時代のアゴラ)と呼ばれている。古代アゴラほど広くはなく、ちょっとした広場程度の大きさで、現在ではプラカ地区の家屋群に囲まれて少し窮屈な印象すら受ける。元々古代アゴラが手狭になったために造られたものなので、古代アゴラより規模が小さいのは当然といえば当然だ。ただ、ここも古代アゴラと連続するアテネの中心街だった訳で、当時から周辺は住居等がひしめく過密地帯だったかもしれず、それほど現在と印象は変わらないのかもしれない。

ローマン・アゴラの西門に当たるアテナ・アルケゲテス門。ドーリス式。 アゴラ内側から見たアテナ・アルケゲテス門。

ローマン・アゴラ内に建つ「アンドロニコス・キュレステスの時計塔」、通称「風の塔」。マケドニアの天文学者、アンドロニコス・キュレステスによって紀元前二世紀〜紀元前一世紀に建てられた高さ約14mの時計台で、外側に日時計、内部に水時計がある。塔の形は八角形で、それぞれ東西南北とその間の八方位に向いている。塔の上部には各方位の風の神(北風ボレアスや西風ゼピュロス等)のレリーフがあり、これが風の塔と呼ばれる所以。
下の写真は風の神のレリーフの拡大。ここに描かれた風神達(アネモイ)は皆羽を持っているが、やはりこれも後の天使に通じるイメージだろう。この写真のものは北風の神ボレアスのようだ。厚い衣を着て、ほら貝を持っている。なお、かつては風の塔の屋根の上にはトリトン像があり、これが風見鶏のように風の向きで回転して、トリトンの持つ棒が丁度各方位の風の神のレリーフを指すように出来ており、それによって風向きが分かるようになっていたという。また、この施設は、後にギリシアを占領したイスラム教徒にも神秘感を与えたらしく、スーフィー(イスラムの神秘主義者達)が儀式に使っていたこともある。


アゴラの東側に隣接して建てられていた公共施設の跡。アーチ状の三つの扉に当たる部分が今も残っているが、中央の扉は後世塞がれた。紀元一世紀の建造で、アテナとローマ皇帝に捧げられたものらしいが、詳しいことは不明である。 公共施設の側よりローマン・アゴラを見下ろす。公共施設はアゴラより少し高い場所に位置する。手前の柱が数多く建っているところが、東門の跡。奥に西門のアテナ・アルケゲテス門が見える。

西側(アテナ・アルケゲテス門側)からアゴラを望む。左の丸屋根はフェティエ・モスク。中央やや右寄りに風の塔、その右奥に公共施設のアーチが見える。 南側から東側を見たところ。ローマン・アゴラ内には、商店、オリーブ搾り器の台、水飲み場、公衆トイレ、排水溝等、様々な都市遺構が残されている。写真中央左、赤い屋根の家の左下に18世紀前期に建てられたイスラム教の神学校(マドラサ)の門が見える。

南側の列柱。ローマン・アゴラ内には、数多くの商店が軒を並べていて、このあたりにも商店があったようだ。古代アゴラに比べてより市場としての機能に特化した場所だったのか。 列柱の向こうにファティエ・モスクを望む。フェティエ・モスクは1456年、オスマン=トルコがアテネを占領したことを記念し、元々ここにあったキリスト教会に手を加えてイスラム教の礼拝施設としたもの。フェティエとはトルコ語で「征服」を意味する。

 ローマン・アゴラを見終えたところで、ローマン・アゴラの近くにある、同じローマ時代の建物である「ハドリアヌスの図書館」を訪れた。昨日も訪れたが、既に夕方であったし、敷地内には入っていないので、改めてよく見学したかったのである。

ハドリアヌスの図書館。ローマ皇帝ハドリアヌス(76年〜138年、五賢帝の一人)が132年に建てた。現在では前門とファサード(建築物の正面外観)の一部しか残されていないが、かつては読書室や講義室、庭やプールまで付いた複合施設だった。当時の文献にも、この施設の豪華ぶりが記録されている。
ハドリアヌス図書館のファザードの側面。ファザードの奥の丸屋根の建物は、ズィスダラキ・モスク。18世紀中頃、オスマン=トルコのアテネ総督ズィスタラキスが建てたもので、現在はギリシア陶器博物館になっている。モスクの前はモナスティラキ広場があり、メトロの駅もある。

 ここで一度アクロポリスに戻って、そこから見下ろしただけのディオニュソス劇場に入ってみることにした。途中、また土産物屋を物色。プラカ地区は複雑に入り組んでいて、そこにびっしりと商店が並んでいるので、同じ場所を往復するのでも、一本道を変えれば初めて見る店で一杯だ。ここらで飲食物などを買おうと思ったら、現金が尽きていた。ATMがどこにあるか聞いたら「ミトロポレオス大聖堂のほうにある」と言われた。この複雑に入り組んだ街ではATMを見つけるのに結構苦労する。迷路のような街なので、一回見つけても同じ場所を探し出すのがなかなかに難しい。
 そんなこんなで、プラカ地区を縦断してディオニュソス劇場へ向かった。ディオニュソス劇場へは、アクロポリスに登る道の途中で、二つに分かれる道を右へ行く。結構分かりにくい(実は表通りからもアクセスできたのだが)。

イロド・アティコス音楽堂も、ディオニュソス劇場へ至る途中の道から見るのが最も迫力がある。
アクロポリスからも見えた、中腹にあるこの柱は、演劇コンテスト優勝記念モニュメント。劇を提供したパトロンは、コンテストに優勝した際に受け取る鼎を頂上に飾るために、こうした柱を建てる事が多かった。


ディオニュソス劇場全景。紀元前6世紀には質素な木造のものが建てられ、紀元前4世紀には現在残っているものが完成した。古代アテネでは、毎年春のデイオニュシア祭において、酒の神ディオニュソスに捧げるための悲劇がここで上演された。収容人数は約1万5千人。紀元後の帝政ローマ時代には、剣闘士の試合なども行われたらしい。舞台後ろの壁に彫られた何体もの人形のレリーフは、ディオニュソス神の生涯を描いたもので、紀元二世紀頃に造られた。

ディオニュソス劇場は中に入ることが出来、観客席に座るのも舞台に立つのも思いのまま。舞台の色石は、帝政ローマ時代に敷き代えられたもの。 舞台から観客席を望む。前列にある背もたれの付いた椅子は、貴賓席。右上にアクロポリスの防衛壁が見える。

 アテネ市内の古代遺跡を一通り周ったところで、今度は国立考古学博物館へ赴くことにした。

 電撃的な更新でアゴラ編を終わらせることが出来ました。次は考古学博物館やリュカヴィトスの丘など午後の市内探索です。

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