ミケーネ文明の黄金の品々。ミケーネ文明の豊かさを窺わせる。中央上の黄金のマスクは「アガメムノンのマスク」。 | 「アガメムノンのマスク」は、シュリーマンが発見したもので、彼はこれをアガメムノン(トロイア戦争時のギリシア軍の総大将)のものだと主張したため、この名がある。しかし、その後の調査で、実際には紀元前16世紀のものだと判明した(トロイア戦争は紀元前13世紀頃とされる)。 |
アテネの南東、アッティカ半島の南端スニオン岬のポセイドン神殿から出土したクーロス(裸体の青年像)。アルカイック期、B.C.600年頃の作品。 | アッティカのメレンダで発見されたコレー(着衣の少女像)。B.C550年頃の作で、作者はパロス島の彫刻家、アリスティオン。 |
ブロンズ像の後ろ側。筋肉といい、姿勢といい、今にも動き出しそうな素晴らしい造形だ。 | このブロンズ像は、高さ2m9cm、指先から指先までの長さ2m10cmと、かなり巨大なものである。 |
この壺の由来は忘れてしまったが、生き生きとした動きが描かれている見事な作品。保存状態もてとても良い。 | アナペ島で見つかった墓標の石柱の一部。人間の足元にいる犬が人間を見上げている構図だが、人の右足と犬の部分しか残っていない。犬の造形が見事だ。B.C.460年頃の作。 |
ブロンズ像の近くに展示されているミノタウロス像。「円盤投げ」(ミュンヘンのグリュプトテーク所蔵)で有名な、アテネで活躍した彫刻家ミュロン(B.C.480年頃〜B.C.445年)の作。 | こんなところでミノタウロスに会えるとは思ってもみなかった(笑) |
国立考古学博物館の前の28is Oktovriou通りを走るトロリーバス。日本ではもうほとんど見ることが出来なくなってしまったが、アテネではバリバリ現役。もっとも、トロリーバスとか路面電車とかは、地球環境や都市環境の観点から世界では見直されつつある。 |
国立図書館。デンマークの建築家、ハンセン兄弟によって1902年に建てられた。モデルは古代アゴラのヘファイストス神殿。 | アテネ大学。同じくハンセン兄弟によって1864年に建てられた。モデルはアクロポリスのプロピュライア(前門)。 |
左の柱の上に立つアテナ像。 | 右の柱の上に立つアポロン像。 |
人でごった返すシンタグマ広場。ちなみにシンタグマとは「憲法」の意で、1844年、ここで憲法が発布されたことにちなむ。 | 大人気のメリーゴーランド。この様子を見る限り、オモニア広場よりもはるかにカオスな感じがする。 |
シンタグマ広場はどこもかしこも大混雑。クリスマスツリーの向こうに見えるのが国会議事堂。左右のカラフルな建物は、スナック等を売る売店。 | ||
シンタグマ広場と国会議事堂の間の通り(アマリアス大通り)に、トラムの始発駅がある。トラムはアテネオリンピックのための交通手段として2004年に開通したばかり。シンタグマと海岸部を結んでいる。 |
国会議事堂。元々は王宮だったもので、1842年、ドイツ・バイエルンの建築家ガルトナーによって建てられた(ちなみに当時の初代国王はバイエルン王家出身)。1933年以降、国会議事堂として使われている。 | 国会議事堂の前にある無名戦士の碑。独立戦争以来の戦没者を追悼するための記念碑で、1923年に建てられた。横たわる兵士のレリーフの横に、古代アテネの歴史家トゥキディデスの言葉が彫られている。 |
無名戦士の碑は、常時左右に一人ずつの衛兵が守っている。フスタネーラという民族衣装をまとい、直立不動の姿勢を保つ。自分を被写体にして見物客が絶え間なく記念撮影をしていても、眉一つ動かさない。 |
無名戦士の碑を守る衛兵は、30分毎に交代式を行う。丁度午後4時の交代式を見ることできた。独特の手足の上げ下げを、一糸乱れることなく行う様は流石。日曜の午前11時には、大規模な交代式が行われ、かなりの兵士が動員されるようだ。交代式の動画はこちら:動画1 動画2 |
ミトロポレオス大聖堂正面。1855年に完成したアテネ最大の教会。プラカ地区の街中にある。 | ミトロポレオス大聖堂後部。大統領就任時の宣誓式など、重要な国家行事の多くが行われる権威ある教会である。 |