5th.DAY-4th. 2005/1/2 リュカヴィトスの丘(アテネ市街)

 シンタグマ広場からリュカヴィトスの丘までは、歩いて行けないこともない距離なのだが、夕暮れも近づいてきているので、メトロLine 3で一駅隣のエヴァンゲリスモスへ移動した。

エヴァンゲリスモス駅のステーション・ミュージアムに展示されている古代の水道管。
エヴァンゲリスモス駅から地上に出て、プルタルウ通りを進んで行く。プルタルウ通りはリュカヴィトスの丘の麓にさしかかっていて、写真の通り結構急な勾配。両側は住宅街が続く。高級住宅街のようで、環境が良さそうだった。

 途中、道端に立っていた黒人系らしき人に話し掛けられた。火を貸してくれとのこと。ライターで相手のたばこに火を点けてやったら、喜んで向こうのたばこを一本くれた。

 さて、このプルタルウ通りを登りつめると、リュカヴィトスの丘の頂上へ登るケーブルカーの乗り場があるはずだが……。おかしい。どうも見当たらない。やがて真っ直ぐだった道も曲がりくねってきて、住宅街の中に迷い込む。一応道自体は登っていっているので、見当はずれということもないのだろうが……。道が曲がりくねり始めてから、通行人もいなくなってしまった。と、そこに頭にスカーフを巻いて、シスターのようにしたお婆さんが通りかかった。やれやれ、ようやく道を聞ける。
「リュカヴィトスの丘はこの道をまっすぐ行けばいいんですか?」
「ケーブルカーの駅はどこでしょうか?」
てな事を英語で尋ねてみた。ところが、こっちが言ってる事が通じていない訳でもなさそうではあるのだが、どうにも相手の言うことが全く理解できない。どうも、英語を話しているのではないようだ。かと言ってギリシア語でもない。発音からすると……どうもフランス語のようである。フランス語は一応大学で履修はしたが、七、八年も前の話で、以後まともに学習していないのだから、いきなり実践ヒアリングなどできようはずもない。ギリシアは観光地や市街地なら問題なく英語が通じるし、それ以外でも概ね通じる……という話だったが、こんなところで例外が発生しようとは。しかも、フランス語。まあ、きっとお婆さんは英語をあまり知らず、他の最もよく知っている外国語でもって、通りがかりのアジア人に精一杯対応してくれているのだろう。まあ、何を言ってるかはよく分からなかったが、身振り手振りでこのまま進めばいい事は分かったので、良しとしよう。

麓の住宅街で迷っているうちに、段々と夕暮れが迫ってきた。美しい夕日……だが、見惚れている場合ではない。このまま住宅街で迷っているうちに真っ暗になってしまうのはごめんだ。

 そろそろ本気で急がないとまずいな……と思っていたところで、住宅街が途切れた。そして森と、登山道。あれ?ケーブルカーは?登山道には「リュカヴィトスの丘」と書かれている。ここまで来てしまったら仕方がない。ええい、ままよ!とばかりに徒歩で登ることにした。見た感じ、森は深い訳でもないし、そう山頂まで遠い訳でもなさそうだ。散歩している人もいることはいる。何とか暗くなる前には山頂に着けるだろう。……遠くから見えていた急峻な形状を思い出すと、少し気力が萎えそうではあるが。

アテネ市街(アセンズ・ゲート・ホテル屋上)から見たリュカヴィトスの丘(3ページ前の冒頭に掲載したものと同じ写真)。あまり徒歩で登りたい形の山ではない。ちなみに標高は273mで市内最高峰。
 薄暮の中、黙々と丘を登っていく。それなりに急な山道だが、階段はしっかりとつけられているので、歩きにくいということはない。段々と山頂部に近づき、森がなくなってきた。視界も急に開けて来る。

リュカヴィトスの丘の登山道より。アテネの街の向こうにサロニコス湾とサラミス島(写真中央右の海峡の向こうに山々が連なっている島)が見える。B.C480年、サラミス島との海峡において、ギリシア軍とペルシア軍の間で「サラミスの海戦」が行われた。ここでギリシアは勝利し、ペルシアを撃退した。この戦いでの勝利は「アジアに対するヨーロッパの勝利」という見方もされる。 登山道より山頂を見上げる。山頂付近は岩山と化している。

 さあ、いよいよ山頂だ。登山口より20分程度、意外に早く到着できた。急峻な山ではあったっが、しっかりと整備してあったのでそれほど苦ではなかった。むしろ、眺めがよくてケーブルカーに乗るよりよかったかもしれない(ケーブルカーは地下を走る)。


リュカヴィトスの丘の山頂に建つ白亜のアギオス・ゲオルギオス教会。19世紀、古い教会の上に建てられた。

白亜の教会はいかにもギリシアらしい。エーゲ海の島々には同じような教会が多いようだ。決して観光用という訳ではなく、歴とした教会なので、内部には礼拝堂がある。
アギオス・ゲオルギオス教会の鐘の塔。この塔のあたりが一番の展望スポット。

山頂から南方を望む。写真中央やや下、森に囲まれた白く長い建造物は第一回近代オリンピックが開かれたパナティナイコ・スタジアム。 南西方向を望む。中央やや右、岩山の上に建つのがパルテノン神殿。オレンジの光でライトアップされている。

こちらは南南西。中央やや下、オレンジ色の大きな建物が国会議事堂。 こちらも南西方向、中央がアクロポリス、パルテノン神殿。

南の海の向こうに、エギア島がうっすらと浮かぶ。エギナ島は、古代にはアテネと競合するほど栄え、今もアフェア神殿という立派な神殿が建ち、観光名所になっている。

 これらの写真、折角の大パノラマで、大きなサイズで掲載したかったのだが、残念ながら若干ブレていたので、細部を誤魔化す為に小さなサイズで掲載。その代わりに、パノラマ動画を掲載。カメラを動かしている方向は東→西。00:15あたりでアクロポリスが中央に来る。

山頂で佇んでいるうちに、日も暮れてきた。アテネの夕景が、段々と夜景に変わっていく。暗くなっても山頂は大賑わい。ある白人が、写真を撮ってくれと頼んできた。ヨーロッパで白人がわざわざアジア人に写真を頼むとは……周りは白人だらけなのに。まあ、旅行者には頼みやすいと言えば頼みやすいのだろうか。


暗くなってきて、明かりで逆にアテネの街がくっきり見えてきた。中央右がアクロポリス。なお、山頂に着いたのが午後5時半頃で、この写真を撮影したのが午後5時50分頃。夜景のパノラマ動画も掲載。

 午後6時も回り、完全に夜になったが、夜景を見るためにますます賑わいを見せている。ここで一度山頂にあるレストランに入った。レストランは半地下になっていて、ケーブルカーの駅とつながっている。中は大変な賑わいだ。ここでグリークコーヒーなどをすすってくつろいだ。


コーヒーをすすった後、改めてアテネの夜景を眺めた。

夜のアギオス・ゲオルギオス教会。ライトアップされている。
夜の鐘の塔。

 夜の7時も回り、そろそろ丘から降りることにする。地下に入り、ケーブルカーに乗る。運賃は2ユーロ。自販機でチケットを買おうとするが……硬貨がない。紙幣も投入できるのだが、最大20ユーロまでのようで、このときは50ユーロ札しかなかった。係員もいない。並んでいたカップルに両替できないか聞いてみたら、レストランで両替してくれとのこと。応じてくれるのか不安に思いつつも店員に尋ねてみたら、あっさりと応じてくれた。まあ、駅員もいないのだからココで両替してくれなきゃ小銭のない人は乗りようがないのだが。
 無事チケットもゲット、少し待っているとケーブルカーが来た。こんな時間でも乗客が結構沢山降りる。このケーブルカーは午前3時頃まで運行しているらしいので、まだまだ早い時間のうちなのだろうか。この丘はアテネの夜遊びスポットでもあるらしい。それにしても2時までケーブルカー動かすということからして、アテネっ子の夜遊び振りは尋常じゃないな。

ケーブルカーの車内。全線地下なのでひたするあトンネルを下っていくだけ。鉱山とかダムの専用軌道みたいだ。
ケーブルカーの外観。どことなくヨーロピアンな感じ(ヨーロッパなので当たり前だが)。麓の駅にて。

 ケーブルカーはあっという間に麓の駅に着く。駅から出てみると、なぜ往きにこの駅の場所が分からなかったのか不思議なくらい、プルタルウ通りからはすぐだった。


夜のプルタルウ通り(上り)。山頂の賑わいが嘘のようにひっそりとしている。 夜のプルタルウ通り(下り)。

 プルタルウ通りを下りきって、シンタグマ方面へと向かう。帰りは時間に余裕もあるので、メトロに乗らず徒歩で行くことにした。途中、シンタグマ広場やオモニア広場と同じく、アテネ中心街の広場の一つ、コロナキ広場に寄ってみた。

コロナキ広場。周辺は高級住宅街ということもあって、ブランド店やお洒落なカフェ・レストランが並ぶ。また、アテネの流行発信地的な場所でもあり、流行の先端を行くファッションに身を包んだ若者で賑わっている……らしいが、1月2日の午後7時半のコロナキ広場は、閑散としていた。ただ、周囲の雰囲気や、写真にも写っている噴水などから、確かにお洒落スポットであることは実感できた。オモニア広場が歌舞伎町だとすれば、コロナキ広場は青山か代官山か。シンタグマ広場は東京のどこかに例えるのは難しいが……敢えて言うなら桜咲くの季節の九段下か?(国会議事堂=旧王宮を皇居、無名戦士の碑を靖国神社として、千鳥ヶ淵の桜が満開の時なら人が集まり騒いで夜店も出ているという、強引な解釈)

コロナキ広場には、歩いて去っていく人と、バスを待つ人、乗り降りする人が少し行き交うだけだが、上品な場所なので静かなのはそれはそれで雰囲気がある。ここで少し休んでから、再びシンタグマ広場へと向かった。
 歩いてみると、ケーブルカーの駅からシンタグマ広場までは意外に近かった。エヴァンゲリスモスから歩くのと大して変わらない気もする。やがてシンタグマ広場が近づいてきた。この時間になっても、シンタグマ広場は相変わらず賑やかだ。新年の夜に街中で遊びたいアテネ市民は、皆リュカヴィトスかシンタグマへ行くのだろうか。閑散としている場所と、賑わっている場所の差が随分激しい。

夜の国会議事堂。ライトアップされている。国会議事堂の周りにもクリスマス的な装飾があるのは、キリスト教国ならではというべきか。さすがに議事堂自体は装飾されてはいないが。

こんなサンタの姿も。トナカイはもちろん作り物。
夜のシンタグマ広場。電飾がなかなか見事。

 既に書いたことだが、ヨーロッパでは年明けまで「クリスマス休暇」なので、まだまだクリスマス期間。また正教会でのクリスマスは現行暦の1月7日となるので、厳密にはまだクリスマス前だと言う事もできる。この広場の賑わいもクリスマスの賑わいということもできる訳だ。こうしたイベントシーズンではない時期の、シンタグマ広場やリュカヴィトスの様子も気になるところではある。

夜のシンタグマ広場付近からアクロポリスを望む。中央やや右上にライトアップされたパルテノン神殿が浮かび上がっている。

 時間はそろそろ午後8時。シンタグマ広場の賑わいはまだまだ続いている。そこからまたプラカ地区で土産物などを物色してみることにした。友人などへの土産物も探してみる。プラカ地区のお土産屋は本当に数が多くて種類も豊富。とある店の店先には、明らかにギリシア国旗をイメージしたと思われる、青地に白文字のユニフォームが出されていた。
「イズ ジス グリーク ナショナル フットボールチームズ ユニフォーム?」
と、店員に問いかけてみるとyesの返事。こいつをサッカー好きの友人に買っていこう。しかしギリシアのサッカーチームって強いんだろうか。あんまり聞いたことないような気がするが。まあ、サッカーにそれ程関心のない自分なので分からんが、いい土産にはなるだろう(尚、購入から二年半経った2007年6月7日現在、いまだにその友人に手渡していない。というよりこのテキストを書いていて思い出した)。

 その近くの店には様々なアクセサリーを売っていた。渦巻き模様のブレスレットとか。眺めていると、店員のお婆さんから、
「ジス イズ グリーク トラディショナル デザイン」
との言葉。そして同じ模様の首飾りやイヤリングもセットであるよ、と言ってあれこれ持ち出して来る。さらに同じくギリシア伝統の模様である青い目玉が連なったブレスレットも持ち出してきて、何だか上手いこと言って買わされてしまった。しかし結構買ったので、おまけでギリシアの観光名所の写真が載っている卓上カレンダーをタダでくれた。もっとも2004年の10月から始まるカレンダーなので既に3ヶ月は過ぎてしまっているけど。
 この店に限らずプラカの土産物屋は、さすがに世界の観光地だけあって商売上手だ。まあ、アジア程ではないだろうけども。日本と同じで客が入ってきてもまったく意に介さないような店もあるし。

 それからまたブラブラ歩いていると、これまで入っていなかった比較的大き目の店があったので入ってみた。そこは地下にも広い売り場があって、チェスのバリエーションが非常に多かった。駒のみセットで箱に入ったものもある。駒だけなら比較的安価なので、これを色々な知り合いに配る土産物として購入。そして、店内を見回っているうちに、他店では見たことのない、とんでもなくマニアックな土産物を見つけた。
 それは、「古代ギリシアドール」であった。GIジョーのような「トイ」っぽいものだが、こんなものが売られている、というより存在することが驚きだった。ゼウス、ポセイドン、アレクサンドロス大王、ピュティア(デルフィでアポロンの神託を受けた巫女)の4種類。本当なら全種類買いたいところだが……さすがにドール4体はあまりにも荷物になるので、今回の旅行と関係の深いゼウスとポセイドンだけを買うことにした。それにしてもどうしてこんなラインナップになったのだろう?神々で統一すればいいと思うのだが、神々だけでない「古代ギリシアシリーズ」ということであれば、アレクサンドロス大王は分かる。しかしピュティアは随分マニアックではないか。そしてこの商品の存在意義についても……あまり観光客が欲しがるものでもないだろうし(神像を買うとしたら石膏製の彫像のレプリカ・ミニチュアなどを買うだろうから)、もしやギリシアの子供用の玩具なのだろうか。ギリシアの子供は神々やアレクサンドロスのドールで遊ぶのか?他の土産物店にないのは、本来土産物として作られたものではないからかもしれない。もちろん、土産物として作られたが、人気がなくとうの昔に生産中止になったものがこの店に眠っていたのかもしれない。超人気商品で品切れ続出ということはないだろうし(それならガイドブック等に載るだろう)。あるいはごく少数のマニア向けの、数量限定商品なのか?まあ、自分のように買って行く観光客が現実に存在するのだから、それなりに需要はあるのかもしれないが。なお、古代ギリシアドールの画像は次の日のページに掲載。

しかし、この古代ギリシアドールは箱が大きいこともあって、荷物として非常にかさばる。昨日は大理石のチェス盤買ってるし、確か同じ店だったと思うが、石膏のアフロディーテ像とアテナ像(15cmくらいのもの。一体3ユーロとかなり破格だったが、かさばるしそれなりに重い)も買っているし、全部カバンに入るのか?入らないにしても持って帰ることができるのか?という不安もよぎる。さすがに土産物購入はこれまでにした。
なお、左の写真がおそらく昨晩買ったと思われる石膏のアフロディーテ像。アテナ像はお土産として会社の先輩に贈呈した。

土産物を物色していて気が付けば午後9時を過ぎていた。プラカ地区の店の多くも閉め始めている。このあたりでいい加減夕食を食べることにした。入った店はプラカ地区の老舗タベルナ「ビザンティノ」。ガイドブックにも大抵載っている有名店で、夜遅くまで開いている。地元の人にも人気らしい。昨晩は行き当たりばったりで気に入った店に適当に入ったが、今晩は有名店に入ってみることにした。場所は昨晩の「アクロポール」の近くでやはりギダネシオン通り沿い。
 午後9時も過ぎ、プラカ地区の人通りもまばらだが、ビザンティノは大勢の客で賑わっていて、満席に近い状態。蝶ネクタイをつけた陽気なオッサンが盛んに呼び込みをしている。そのオッサンに、通り沿いの、屋根のないオープン席へ案内された。

魚介のレモンクリームソース……みたいな不思議な料理……だったかな。
クラムチャウダーかシチューみたいな料理。奥の瓶はトニックウォーター。

 夕食を食べていると、隣の席にいた、スペイン人を名乗る男が話し掛けてきた。非常に口数が多く、「いわゆるマシンガントーク」をまくし立ててくれた。そのやり取りの中、東京に住んでいると言うと、
「東京の人口はどのくらいか?」
 と聞かれた。東京の人口というと、約1千万。
「アバウト ワン サウザンド」
「ミリオン?」
「イエス」
「サウザンドミリオン?! オーッ トゥー マッチ ポピュレイション!!」
 ああ、しまった。思わずサウザンドって言った上にミリオンだって言ってしまった。これじゃ百億人だよ。地球の人口より多いじゃん。そのまま別の話になっちゃったけど、こいつもおかしいとか思えよ。
 ほか、東京の物価は高過ぎるとか、アルバニアは貧しくて大変だとか、世界の各国の事情の話が続いた。スペイン人を名乗る男が親しく話し掛けてきて、怪しげな店にバーや水商売の店に連れて行って、法外な値段をふっかけるという話も聞くので、若干警戒していたが、特にそういった話も出ずに別れた。
 店を出るとき、呼び込みの陽気なオッサンに、
「カリ ホリニア!」
 と、ギリシアの人々の会話から学び取った挨拶をしてみた。いわゆるハッピーニューイヤー、に当たる言葉。発音が悪いらしく、一度では通じなかったが、二、三度言ってみたら通じたらしく、相手もカリ ホリニア!と応じてくれた。

 で、腹も膨れたので、土産袋を両手にぶら下げながら、プラカ地区からホテルへと向かっていると、後ろから足早にやってきた中東系の顔立ちをした男が回り込んできて、
「オー、日本人だろう? 仲良くしよう。俺はエジプト人なんだ」
 みたいなことを言って握手を求めてきた。さらに、
「どこかいい店に行かないか」
 と言って来たので、断ると、
「じゃあそこの店でコーヒーでも飲もう」
 と、すぐ目の前のカフェを指差した。怪しいことこの上ないが、一般客も大勢入っている、どこからどう見ても一般的なカフェだったので、コーヒーだけ付き合ってやることにした。
 カフェに入ると、男はウェイトレスを呼び、コーヒーを注文した。自分はカプチーノを頼む。
「自分はエジプトから仕事でギリシアに来た」
「ギリシアは最高だ!どんなところを回ったんだい」
「エジプトは行った事あるかい?えっ、ないの!日本人はいっぱい来るよ」
「ピラミッドとか最高だぜ」
「エジプトに行くならドバイ経由がいいぜ」
 なんていうマシンガントークが続く。
「君は40歳くらい?えっ!27歳?!」
 これには相手もしばし絶句した。なんて失礼な奴だろう。日本でもそこまでは間違われん。まあどうでもいいのだが。
「俺はイスラム教徒だ。君は仏教徒か?」
「俺はシントーイストだ」
「シントーイズムって何だ?」
「シントーイズムは日本固有の民族宗教。主に自然と祖先を崇拝する。アニミズムをベースとし、仏教や道教の要素や様式も取り込んでいる」
 などというやり取りも。やがて、
「酒は好きか?どんな酒が好きだい?」
 という話に。自分は少し飲むことはある、というふうに答えると、
「俺は酒が大好きだ。いい店を知っているから行こうよ」
 なんて言ってくる。本当に、ガイドブックに載っている手口そのままだ。分かりやすい奴である。そこでこんな事を聞いてやった。
「あんたイスラム教徒だろう?飲酒は禁じられているんじゃないのか」
 すると、少しうろたえた末に、
「いやあ、エジプトでは飲まないが、イスラム教国以外ではいいんだ」
 そんなバカな話があるか。馬鹿馬鹿しいので突っ込まなかったが。その後も、
「なあ、いい店を知ってるから行こうよ。ナイトライフを楽しもうぜ」
 としつこく誘ってくるが、もとより行く気など毛頭ない。
「妻がホテルで待っている」
「妻に知られたら殺される」
 とか適当な事を言っても、
「いやあ、問題ない、問題ない。だったら一回帰って待ち合わせしよう」
 と必死だ。それでも「難しい」「無理だ」と断り続けていたら、さすがに諦めたらしく、
「もういいよ。じゃあな」
 と言って立ち去っていった。やれやれ、と思ったが、よく考えたら奴は自分のコーヒー代を置いていっていないではないか。しまった、やられた。まあ、自分のと合わせて8ユーロ程度なのでどうでもいいのだが。
 今回の件は、もしかすると「ビザンティノ」で話し掛けてきたスペイン人もグルの可能性がある。スペイン人自身も「ビサンティノ」の呼び込みのオッサンと何やら合図らしきものを交わしていた節もあるので、ひょっとしたら呼び込みのオッサンも関係あるのかもしれない。カモになりそうな客が来たら、オッサンがスペイン人に知らせ、スペイン人が話し掛けて様子を探り、それを聞いたエジプト人が誘う、というような。まあ、彼らは関係ないとしても、「ビサンティノ」での様子を見ていてターゲットを定めた可能性は高いだろう。「ビザンティノ」を出て、店を背にして歩いていたら、後ろから走るようにして追ってきたようだから。ギリシア自体シーズンオフということもあり、今回の旅行ではあまり日本人を見かけなかったくらいだから、ターゲット探しにも苦労していて、ようやく見つけたターゲットを逃すまいと思って追ってきたのかもしれない。そういう意味では人の入りの多い飲食店はターゲット探しには好都合だろう。外国人とそれなりに会話できるかどうかも見極められるし。その点で少なくともスペイン人がグルの可能性は高いのではないかと思う。
 いずれにしろ、こういう誘いは相手にするべきではない。本来なら、カフェに一緒に入るのも止したほうがいい行為である。特にこのあたりでは「自称ナントカ人」による誘いが多いようなので、ギリシアに行かれる方は気をつけられたし。

 そんなこんなで、午後11時頃アセンズ・ゲートホテルへ帰った。いよいよ明日は帰国。荷物をまとめなくては。昨日、今日でかなりの土産物を買ったからなあ……。何とか、全てカバンに詰め込むことはできた。しかしお、重い……。大理石や石膏なんかが入っているからなあ。まあ、自業自得なので仕方がない。カバン一つにまとまっただけで良しとしよう。荷物との格闘も終わり、午前1時頃床に付いた。

 いろいろあったギリシア旅行もいよいよ最終日。明日は少しだけアテネ観光をして帰国の途に。

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