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土蜘蛛紀行 常陸編
其之壱、久慈─ロ、里川
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大山田女:ほら、川が見えてきたでしょう。常陸太田市を南北に流れ、久慈川(くじがわ)に合流する里川(さとがわ)という川です。
狭山田女:薩都神社からいくらも離れてないね。これが風土記に載ってるんだ。
大山田女:ええ、薩都河(さつがわ)という名で、北の山から南に流れて久慈河に合流すると、なかなか細かく書かれています。

狭山田女:薩都河が訛って里川か。川の名前に「薩都」ってついたって事は、昔はこのあたりが里川の流域で一番栄えてた場所だったんだろうね。あれ、ちょっとこの橋、凄いんじゃない。あたし達の時代からすれば豪華な橋だけど……今の時代にしては素朴な橋だよね。木造ってだけでも凄いんじゃないの。しかも車も走るみたいだし。


大山田女:これは根本橋(ねもとばし)という橋で、いわゆる「沈下橋(ちんかばし)」というものです。大雨で水位が上がると水面下に沈んでしまう橋です。
狭山田女:まあ、高い位置に橋を架けるよりは短くて済むから、手間は省けるけど……洪水で流されちゃいそうだね。

大山田女:ただ、簡単な作りなので、流されても割とすぐに架け直せる、という利点もあります。また、洪水時には取り外すことのできるものや、縄で橋と橋桁を結んでおいて、流されたら手繰り寄せて戻す、というものもあるようです。
狭山田女:なるほど~、頑丈に作るだけが能じゃないって事か。素朴ながら、知恵が詰まってるんだね。

大山田女:とは言え、さすがに近年ではかなり減っていっていますけどね。このあたりは全国でも沈下橋が数多く残っている場所として、一部では有名なようです。映画のロケなどにも使われているそうですよ。さて、こちらが上流方向、北側になりますね。
狭山田女:橋もそうだけど、川岸も昔ながらの雰囲気があっていいねえ。

大山田女:そうですね。護岸工事があまり露骨でないのが幸いですね。
狭山田女:こっちが南側、下流方向か。久慈川に合流して海に注ぐんだ。
大山田女:ちなみにここから里川の源流までは直線で約三十キロ、久慈川との合流点まで約七キロ、久慈川河口までは約十キロです。里川の中流から下流くらいにあたりますね。

狭山田女:見て見て、河原を雉が歩いてるよ。これもあたし達の時代じゃ珍しくもないけど、今時はそうでもないんじゃない。
大山田女:そうですね、関東ではちょっと珍しいかもしれません。このあたりはそれだけ自然が豊かという事でしょう。もっとも雉は日本の国鳥となっており、飼育もされていて、毎年放鳥されているようですが。

狭山田女:堤防の上を歩いて来たけど、本当にのどかだね。ここにも沈下橋がある。
大山田女:これは先程の根本橋の上流に架かる、白羽橋(しらわばし)です。

狭山田女:田んぼの向こうにある杜が、さっきまでいた薩都神社だね。
大山田女:ええ、そうです。その向こうも丘になっているでしょう。里川が山から平野に出るところに、古の薩都の里、今の里野宮があるという事ですね。

狭山田女:ここに「里川」って書いた看板がある。
大山田女:川沿いに歩いて、さらに次の茅根橋(ちのねばし)まで来てしまいましたね。国道三四九号が里川を渡るところです。

狭山田女:さっきの橋のところよりも、ちょっと渓谷ぽくなってきたかな。
大山田女:ええ、川の左が北になりますが、こちらは山がちな地形になっています。右の平らな土地が里野宮。ここは関東平野の終端に位置すると言ってもいいでしょう。里川の源流は、左のずっと奥の、福島県との県境になります。その先は、もう東北地方です。


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狭山田女:本当に平地と山の境なんだ。確かに他の土蜘蛛がいたっていう土地と、共通してるね。ところで、薩都神社の神様に遷ってもらったっていう山も、この川の上流にあるの?
大山田女:ええ、そうですね。このまま里川を遡って、その場所へ行ってみましょう。里川については、左の地図を参照して下さい。



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