紅葉紀行
其之三、鬼無里 ハ、東京の加茂神社と西京の春日神社 呉葉門へ戻る
紅葉は京を偲んで村内各地に京にちなむ地名をつけたというが、その代表的なものが東京(ひがしきょう)と西京(にしきょう)である。それぞれの地には、紅葉の建てたという神社が今も残る。
内裏屋敷の少し下流、裾花川に掛かる橋のたもと。内裏屋敷から望んで川の左岸を東京、右岸を西京と呼ぶ。
東京に鎮座する加茂神社。紅葉が京都の賀茂神社を偲んで建てたものといわれる。祭神は武御雷命(たけみかづちのみこと)と天思兼命(あめのおもいかねのみこと)だが、もとの祭神とは異なっている可能性が大きいと思われる。京都の賀茂神社の祭神は賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、あるいは賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)である。おそらく後者の混同の結果、武御雷命となったのではないか。
加茂神社の案内板。紅葉伝説のほか、遷都伝説の地でもあり、勅使の館が置かれた場所ともいう。
加茂神社社殿。社伝によれば日本武尊が白鹿を撃ち、その矢を奉納して加茂大神を祀ったのが始まりという。であれば、日本書紀の信濃で尊が荒ぶる神の化身たる白鹿を撃った記述と重なり、この地が蝦夷の地であったことを物語る。また祭神も出雲系の神にして賀茂氏の祖神・味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)となる。古事記にいう加茂大神とは味耜高彦根神である。
加茂神社脇の民家。大きなつららが並んで垂れ下がっている。付近には「加茂川」が流れ、付近には二条、三条、四条、五条、また加茂川を遡ると清水、高尾、といった京の地名が残っている。
西京に鎮座する春日神社の案内板。加茂神社と同じく紅葉が京を偲んで建てたものといわれるが、ならば平安京ではなく平城京を模したものか? また遷都伝説にまつわる地でもある。もっとも遷都伝説の時代には平城京はまだなく、春日神社もなかった。このあたりの整合性のなさは伝説ゆえだが、かえってそのズレが何か奇妙で、何か隠されているのではないかと思わされもする。祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)。ちなみに奈良の春日大社祭神は先の加茂神社の祭神・武御雷命であるが、春日大社は藤原氏が氏神として茨城の鹿島神宮の神を招いたものであり、また藤原氏の祖神は天児屋根命なので、それほどおかしなことでもない。
春日神社社殿。付近には「天神川」が流れ、対岸に「吉田神社」と「吉田山」、さらに天神川を遡ると「府成」(ふなる)の地名がある。由来に若干整合性のないところがあるとはいえ、これほどまでに京にまつわる地名や施設があるのは尋常なことではないだろう。
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加茂神社と春日神社の場所は左の地図の通り。 |
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