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紅葉紀行
其之三、鬼無里 ロ、内裏屋敷
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 荒倉山の岩屋とともに紅葉伝説の最も重要な史跡が、紅葉の住んだという内裏屋敷跡である。内裏屋敷跡は、鬼無里の中心部から大分外れたひっそりとした谷あいに今も残る。

道の右側に立つ、内裏屋敷の案内板。

道の左側に広がる内裏屋敷跡。この山の麓、裾花川との断崖に挟まれた広場のような場所が内裏屋敷跡である。結構な広さがある。

内裏屋敷跡に立つ紅葉の供養塔。ここは縄文時代以来の遺跡でもあり、石鏃・石斧・玉類などの石器やその原石となる黒曜石、建物の礎石らしき自然石などが発見されている。また、ちょうど紅葉が生きたとされる時代の層からは、土師器や製鉄の跡を示す鉄滓も見つかっている。

内裏屋敷跡に植えられている紅葉の樹。

内裏屋敷跡で舞う紅葉様。

内裏屋敷の真上に、「月夜の陵」(つきよのはか)がある。

「月夜の陵」の標柱。山に続く小高い墳墓である。鬼無里に伝わる、天武天皇の鬼無里遷都伝説の跡の一つで、都から派遣され、当地で客死した皇族某の墳墓と伝えられる。また、内裏屋敷自体も遷都計画の際に定められた内裏の跡でもあるという。

月夜の陵の案内。この案内にある由来のほか、紅葉に仕えた侍女「月夜」の墓だとする伝承もある。

内裏屋敷から裾花川上流を望む。対岸の北側には「やかぶし」という地名があり、内裏屋敷の背後の守りに置かれた「館武士」(やかぶし)の跡とも、川越しに矢を放って稽古した矢場「矢形ぶし」の訛ったものとも言われる。ともかく宮殿警護に関した地名で、紅葉に組織的な武力があった、または遷都の際に軍備も考えられていた、ということを伝えるものである。


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内裏屋敷の場所は左の地図の通り。また、後日再訪した様子はこちら(初夏)こちら(秋)。内裏屋敷で行われる「鬼女もみじ祭り」に関してはこちら(第五回)こちら(第十一回)。また、月夜の陵の墓を再訪した様子はこちら



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