邪神大神宮 道先案内(ナビゲーション)
鳥居(TOP)斎庭(総合メニュー)万邪神殿紅葉宮紅葉紀行 其之三、鬼無里>イ、松巖寺
紅葉紀行一覧(時系列)  紅葉紀行一覧(地域別) 



紅葉紀行
其之三、鬼無里 イ、松巖寺
 呉葉門へ戻る



 都を追われた紅葉が移り住み、村人に迎え入れられたという水無瀬の里、即ち鬼無里村。戸隠と並んでこの村にも数多くの紅葉ゆかりの史跡が残る。
 村の中心部に近い場所に、松巖寺(しょうがんじ)という禅寺がある。ここは、紅葉の守護仏地蔵尊を祀る、大昌寺と並ぶ紅葉のもう一つの菩提寺である。

松巖寺入口。平維茂が紅葉を討った後、彼女が護持していた地蔵尊をここに祀ったのがその始まりだという。

入口に掲げられた看板。紅葉とともに木曽義仲公の持仏をも祀る。

松巖寺山門。山門前の左側に、かつて紅葉の守護仏を祀っていた地蔵庵が建てられていた(その後、跡地に観音堂が建てられて現在に至る)。右側には川端康成の文学碑がある。川端康成は紅葉伝説に興味を抱き、戦前鬼無里にやって来た。その後著した「牧歌」では、当地の紅葉=官女の伝承や、京にちなんだ地名などに触れている。

松巖寺本堂。中には紅葉伝説を描いた絵巻や絵画が飾られている。また、江戸時代中期に二十年以上に渡ってこの地の山に籠り、木食単衣の修行をした僧侶・山居(さんきょ)がその修行の際に彫ったという木彫仏も見ごたえがある。

松巖寺の縁起。かつては鬼立山(きりゅうざん)地蔵院と称した。その後、江戸時代初期に松巌和尚(大昌寺の開山でもある)が曹洞寺院を開いて松巖寺となり、さらにその後江戸中期には長雨による村の被害のため、凌雲山(りょううんざん)と称した。紅葉の持仏地蔵尊は空海作といわれ、今も境内の庫院に祀られている。

松巖寺にもある紅葉の墓。写真では雪に埋もれてしまって分かりにくいが左下の五輪塔がそれである。平維茂は紅葉に釜岩紅葉大禅定尼(ふがんこうようだいぜんじょうに)の戒名を贈ったという。

紅葉の墓の標柱には紅葉の享年も書かれている。すぐ後ろの祠は鎮守堂。

自らの墓の前で紅葉様が舞っておられます。

紅葉の墓の参道を挟んで向かい側には紅葉の家臣の墓もある。やはり雪に埋もれてしまってわかりにくいが標柱の後ろの五輪塔がそれである。

松巖寺では、紅葉のお守りや「紅葉香」のほか、当寺についての縁起や鬼無里村に伝わる伝説をまとめた冊子も頒布している。また、鬼無里には鬼婆伝承もあって、その鬼婆が松巖寺の住職の説教によって改心したと伝えられ、その伝承に端を発する霊験あらたかなお札も頒布している。紅葉伝説との関連が気になるところである。


大きな地図で見る
松巖寺の場所は左の地図の通り。また、後日再訪した様子はこちら(初夏)。松巖寺で行われた第十三回鬼女もみじ祭りはこちら。松巖寺で行われたイベント「鬼無里へのいざない」についてはこちら



紅葉紀行其之二 ロ、鬼の塚へ ロ、内裏屋敷へ 道先案内へ戻る