邪神大神宮 道先案内(ナビゲーション)
鳥居(TOP)斎庭(総合メニュー)万邪神殿紅葉宮
紅葉紀行 其之八、春の戸隠 さらなる紅葉紀行>ホ、渡土
紅葉紀行一覧(時系列)  紅葉紀行一覧(地域別) 



紅葉紀行
其之八、春の戸隠 さらなる紅葉紀行 ホ、渡土
 呉葉門へ戻る



 柵橋の少し上流にあたる場所で、紅葉伝説の異聞が残されている。平維茂が紅葉狩を兼ねて敵情視察に一人で出掛けると、川辺に一人の少女が倒れており、安否を問うと、急に腹が痛くなって川を渡れなくなって困っているという。維茂は気の毒に思って少女を背負い川を渡るが、水面に写った少女の顔が鬼の顔をしていたため、この少女が鬼女紅葉であると悟った。この伝説にちなんでこの地を渡土と呼ぶようになったというものである。

国道四〇六号にある渡土のバス停。ここからは川を見ることはできない。

川の近くまで下った、渡土橋のたもとにある竣工記念碑。記念碑の下には架橋の記が刻まれ、紅葉伝説にも触れられている。

架橋の記。以前この橋は洪水による流出が多く、昭和五十年代に五年の歳月と二億円数千万円の巨費を投じて現在の橋を架けたとか。ここは古来から交通の要所でありかつ難所でもあったようだ。紅葉伝説に関しては冒頭に書かれているが、柵橋に関してのみで渡土に関するものは書かれていない。

竣工記念碑の左にも碑があり、やはり竣工の経緯が書かれている。それによればかつてこのあたりは柵村と戸隠村に分かれていて、それが合併されてより一層橋の架設が望まれたとか。渡土橋の架橋は悲願であり一大工事であったらしい。確かにこの橋は柵橋と違って谷の高い位置に架けられており、難工事であったことが想像に難くない。

渡土橋より上流を望む。柵橋より大分高い位置にある。切り立った崖が川に迫る難所だ。

下流を望む。このあたりの岩場に少女の姿をした紅葉が倒れていたのだろうか。



渡土への案内
 柵橋の入口である土合のバス停から約二キロ程上流に国道四〇六号を進んだところに、渡土のバス停がある。このほんの少し先に、右へ入る横道があり、これを進んで谷を下りていくと、渡土橋が架かっている。この手前に、竣工記念碑がある。渡土橋を渡って道なりに進んで行くと、やがて十二社のあるあたりへ出られる。


大きな地図で見る
渡土の場所は左の地図の通り。



ニ、柵橋へ ヘ、追通へ 道先案内へへ戻る