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紅葉紀行
其之八、春の戸隠 さらなる紅葉紀行 ヘ、追通
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 荒倉山の南、渡土の上流北岸に、追通という集落がある。ここは紅葉が鬼無里と柵を行ったり来たりして、通った場所であるため、そのような名が付いたという。

国道四〇六号にある追通のバス停。ここから脇道に入ると追通の集落に着く。

追通集落の中心に鎮座する、栃原御厨神明宮(とちはらみくりやしんめいぐう)の入口。このあたり一帯では最も大きな神社である。栃原とは柵や紅葉の岩屋、荒倉山などを含む旧戸隠村の大字で、その栃原の名を冠する神明宮のある追通は、古くから開けた集落であった。そのこととも関係あると思われるが、追通には荷取洞穴、座禅岩洞穴という縄文時代早期の洞穴遺跡もある。

神明宮鳥居。古くは栃原の中心的集落であったと思われる追通は、紅葉の時代にも地理的に重要な場所だったであろう。そもそも地名自体が交通の要衝であることを示している。このあたりで何か事を成そうとするならば、必ずおさえなければならない戦略上の重要地点なのであろう。来るべき戦に備えて忙しく行き来する紅葉やその郎党達の切迫感や緊張感が伝わってくるリアルな地名である。

栃原御厨神明宮社殿。案内板等は特になかったが、祭神は天照大神か豊受大神であろう。厨とは台所を示す言葉で、御厨というのは伊勢の神宮に供物を納める神宮の神領(荘園)のことであり、神明宮はそうした神領に伊勢の神(伊勢の内宮は天照大神、外宮は天照大神に対して食物供進の役目を負う豊受大神が祭神)の分霊を祀ったものである。おそらくは他の御厨と同様、武士や豪族などが神宮に寄進したものであろうが、平維茂の寄進したものかもしれない。あるいは紅葉のような反朝廷勢力封殺のための民衆鎮撫の拠点であったかもしれない。しかしより古くは、縄文時代以来の精霊信仰の拠点であろう。紅葉とはそのあたりで関連があるかもしれない。

神明宮の近くの民家の敷地に咲いていた牡丹の花。



追通への案内
 追通バス停は、旧戸隠村の西方、旧鬼無里村にも近い国道四〇六号沿いにある。そこから県道四〇四号栃原北郷信濃線に入った先が追通集落。国道から五百メートル程進んだあたりに神明宮前のバス停があり、そこが栃原御厨神明宮の入口。荷取洞穴、座禅岩洞穴の場所は定かではないが、長野市役所あるいはその戸隠支所などの観光関係・文化財関係の部署に問い合わせれば分かるだろう。ただし、推測するに荒倉山中や裾花川沿いの断崖など容易にはたどり着けない場所にあるのではないかと思われる。


大きな地図で見る
追通の場所は左の地図の通り。



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