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紅葉紀行 其之八、春の戸隠 さらなる紅葉紀行>チ、平出(ひらいで)
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紅葉紀行
其之八、春の戸隠 さらなる紅葉紀行 チ、平出
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 旧戸隠村の最南部、上祖山の平出集落には、維茂が紅葉攻略を祈って植えたという二本の栂(「つが」と読むことが多いがここでは「とが」と読む。一位(イチイ)の木のこと)の大木がある。
 またここ平出は紅葉出生の地とも伝えられる。筆者はこの伝説を真実に近いものだと思う。筆者は紅葉を、現実に存在した、朝廷に反抗的な山岳土着民の原始宗教を奉じる女性指導者と考えているが、であれば奥州ではなく地元出身者のほうがふさわしいからだ(もちろん当時蝦夷の地であった奥州や、文化の中心地・京にも何らかの縁がある可能性はあるが)。紅葉がここ平出の出身であるという伝説は異伝だが、同じく異伝と言うべき八坂村・大姥山の伝承(近隣安曇野の反朝廷集団の指導者・八面大王と恋仲になった「紅葉鬼人」が、大姥山で子の金太郎を育てたが、八面大王の敗死を悲しみ鬼無里へ去って自害したという話)とともに、話の整った本筋と根本から異なるこうした異伝にこそ、重要な真実が反映されていると思うのである。
 であれば、夫婦栂と呼ばれる二本の栂は、実は紅葉の両親に関わるものなのかもしれない。出生の地に夫婦とくれば、そうであっても不思議はない。

平出の夫婦栂の雄株(左の背の低い方の木)。諏訪神社の境内にある。

中央の建物が諏訪神社の社殿で、左に生えているのが栂である。信濃の主神というべき諏訪の神の社があること自体は珍しいことではない。だが、当の諏訪では諏訪の祖神は「ミシャグチ神」であり、ミシャグチ神は第六天と同一視されることがあって、また紅葉の守護神は第六天とされていることから、紅葉は縄文以来の東日本の土着神「ミシャグチ神」の巫女ではないかという自説(紅葉伝説考参照)を踏まえると、紅葉の出生地ともいう平出の、紅葉伝説伝承地に諏訪神社があるというのは出来過ぎていて寒気すらする(もっとも諏訪の神は軍神でもあるので維茂との関連性もある)。

雄株の案内板。千年以上という樹齢が、伝説に真実味を加える(伝説によれば紅葉征伐は西暦九六九年)。

雄株の根元。御神木にふさわしい力強さだ。

夫婦栂の雌株(中央の木)。樹齢千年を越す大きな一位の木が、このようにすぐ近くに雌雄で生えているのは非常に珍しいことらしい。

雌株にも案内板がある。左下の直立した石は道祖神。

雌株の案内板。雄株が諏訪神社の御神木なら、雌株は道祖神の御神木である。また、樹高や幹囲を見れば分かるが、雄株に比べると雌株はやや小さいようだ。

雌株を見上げる。こちらも雄株に負けず劣らず霊力がありそうだ。

雌株の根元にある道祖神。右の小さな碑が古く、左は比較的新しいようだ。道祖神も諏訪神社同様、信濃では一般的なものである。しかしこれも上で出てきた紅葉伝説考に書いたことだが、ミシャグチ神は「石神」とも書かれる石の神でもあり、道祖神のルーツとも言われている。またミシャグチ神は御柱祭など樹木信仰とも関わりが深い。紅葉を倒した維茂が植えたという夫婦の大木が一対で生え、それぞれ諏訪神社と道祖神の御神木であり、両者はミシャグチ神と深い関係にある土着信仰。その地にミシャグチ神と同一視される第六天を守護神に持つ紅葉が生まれたという伝承がある。この平出には紅葉伝説の核心に迫る何かがあるような気がする。

碑の根元には、子供が作って供えたと思われる素朴な雛人形のようなものが草に埋もれていたので、供え直してみた。道祖神は男女一対の姿で表されることが多いが、それと関係した土着の信仰であろう。男女一対といえば、夫婦栂もそうであるが、何か関係があるかもしれない。また柵の十二社のように、維茂を男神、紅葉を女神としてペアで信仰するようなこともある。それとも関係があるかもしれない。

道祖神碑と人形。こうした信仰が今も息づいているのは微笑ましい。これはただの道祖神人形か、柵の信仰のように平維茂と紅葉の宿敵同士なのか、伝説に基づくならば源経基と紅葉の夫婦なのか、あるいは八面大王と紅葉の夫婦なのか、はたまたここで紅葉を生んだ両親か……信仰の積み重なってきた時の波間の向こうに、そんな想像が浮かんでは消える。

道祖神碑の前に、お内裏様とお雛様に囲まれて紅葉様降臨! これは紅葉様とご両親と見るべきか。千年振りの里帰り? 紅葉様は男女一対の道祖神のお嬢様か。また紅葉様はお内裏様(鬼無里・内裏屋敷の主)でありかつお雛様(貴婦人)でもあるという稀有な方。二面性といえば鬼女と貴女とか、都の貴婦人と山奥で都の軍勢と戦う女傑とか、名族の末裔なのに没落して貧しい、美しけれども邪心あり、鬼と化すほど純粋な恋、矛盾は多いがその分文学的な訳で、能や読み物の題材にはふさわしい。なおここでの紅葉様の写真は、やはり「内裏屋敷」にて公開。

雌株付近から雄株(灰色の屋根の上)を望む。

雌株付近から平出集落、遠くに飯綱山を望む。平出は山深い小さな集落である。中央の道を下っていくと、裾花川に出るが、途中には「九竜」(読み方不明)という戸隠の九頭竜と関係ありそうな地名がある。また道を上っていくと地蔵峠という峠を越えて七二会(なにあい)という集落、さらに犀川(さいかわ)を越えて北国街道篠ノ井宿へと至る。古くから重要な道であり、維茂の軍勢はこの道を通って荒倉山を目指したとも伝えられている。



平出への案内
 平出は旧戸隠村の最南部に位置する集落である。国道四〇六号から柵へのメインルート、県道八六号戸隠篠ノ井線は参宮橋のところで北へ分岐するが、その百メートルくらい上流にも県道八六号が南に分岐するところがある。この道をずっと進んでいけば平出の集落である。
 国道から平出までは基本的に山登りの一本道なので、嫌でも平出には着くだろう。平出に着いていれば夫婦栂も視界に入っているはずなのだが、気付くのは難しい。それでも、雄株の方は神社の境内であるし、諏訪神社自体は地図に出ていることもあるので、まだ容易なほうである。上のこのページ最後の写真で言えば、道がビニールハウスの前で大きく湾曲していて、そこから小さな道が分かれているが、まさにその行き止まりに諏訪神社と雄株がある。
 雌株は案内板にある通り、雄株から南東約二百メートルの場所にあり、上の集落の写真で言えば、中央の道をさらに写真の下の方向に、傾斜としては上っていくことになるのだが、車道からだと別の木々の奥にあって、素人目にはまず判別不可能だろう。道を少し上って行って、森の中で道が大きく右にカーブする場所があるが、このとき右側をよく見ると、森の中に入っていく人道が見える。これを登って行けば程なく雌株に着く。地元の人に、雄株のところで聞いたときには、あそこに黒い唐松の木があるがあのへんだ、と教えてくれた。しかし、都会の人間に、そもそも山の中にある唐松などよく見分けられない。とりあえずそれと思われる方角にある、黒っぽい色の針葉樹を目指していったら着いたので、それなりに頼りにはなったが。しかしそういうことで、地元の人に聞けば分かるというものでもない。事実、筆者は一度目に訪れたときは、集落で地元の人に聞いてもたどり着けなかった。しかも、今思えばその人は雌株の位置を教えてくれていたのだが、すぐそばの雄株には何の言及もなく、おそらく視界に入っていたであろうという目前の場所まで来ながら、どちらにもたどり着けなかったのである。
 このように書くとまるで筆者が方向音痴のように思えるかもしれないが、謙遜なく言わせてもらえば、筆者の方向感覚や地理感覚は他人も舌を巻くほど鋭敏であり、行ったことのない場所でも地図が頭に入っているぐらい知識もあって、「歩くカーナビ」と言われる程である(実際未知の土地で、カーナビより適切な道を選択したことも多々ある)。別にここでそんな事を自慢したい訳ではないが、そんな人間でも到達が困難なほど分かりにくい場所であるということを理解して頂きたいのである。筆者が一度でたどり着けなかった紅葉伝説伝承地は、今(平成十七年六月)のところ紅葉の岩屋、矢本神社、そしてここ平出の夫婦栂の三つだが、このうち前者二つはいずれも最初は夜であった。しかし夫婦栂は一回目も日中に行ったのである。そういう事実からすれば夫婦栂は最も場所の分かりにくい紅葉伝説伝承地であろう。そもそも木々が生い茂る山中で一本の木を見出すのだから、木の種類に詳しくないと発見が難しいのは当たり前である。行かれる方は、このページの情報と写真をよく頭に入れた上で、地元の人にも尋ねてもらいたい。途中の道の運転に注意が必要なぐらいで、体力的にどうこうという訳ではないので、頑張って探せばたどり着けるだろう。ちなみに数軒の人家と畑のみと思われた平出に予約制の「峠の茶屋 由兵衛」という店があるようだ。
 なお平出を通る県道八六号は、南進すれば山を越えて国道十九号にも通じているので、山の反対側からアクセスすることもできる(ただし地蔵峠付近は冬期通行止め)。


大きな地図で見る
平出の場所は左の地図の通り。



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