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土蜘蛛紀行 豊後編
其之壱、五馬─ハ、宇土古墳群
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狭山田女:ここは……竹薮?何だか荒れ果ててるように見えるけど。
大山田女:ここは先程の元宮神社からそう離れていない、宇土古墳群です。
狭山田女:古墳?う~ん、あんまりよく分からないな。
大山田女:かなり崩壊してしまっているようですからね。こちらを見て下さい。

狭山田女:おおっ、本当に古墳だ。え~と、弥生時代の住居跡もあったんだね。それから、この「三号墳」には二つの石室があったんだ。勾玉や鉄器なんかも一緒に見つかったんだね。
大山田女:ええ。そして、この古墳で特徴的なのは、埋葬者なのですよ。案内の後半をよく見て下さい。


狭山田女:一号石室から女性一人・男性一人、二号石室から女性二人・男性一人。女の人の方が多いね。姉弟で葬ったって書いてある。
大山田女:さらに言うと、埋葬の順序も、この案内にある年齢の高い順だということが分かっています。
狭山田女:つまり、どっちの石室も女の人を最初に葬ったって事か。

大山田女:そうです。この三号墳という古墳は、一番初め、女性のために造られたものだという事です。
狭山田女:そりゃあそうだね。最初に女の人を葬っているんだもの。
大山田女:これは、古墳としては珍しい事なのですよ。まず、父が最初に葬られ、その後に息子や娘が一緒に葬られるというのが普通なのです。時代が下ると、妻も葬られるようになりますが。
狭山田女:お父さんが一族の中心という事だよね。
大山田女:そうです。いわゆる父系社会というものです。これは古墳時代に始まって、現代まで続く社会制度です。しかし、この古墳は、そうではありません。
狭山田女:女の人のために古墳を造ってる訳だからね。お母さんが一族の中心。母系社会って事か。
大山田女:ちなみに、古墳時代より前、縄文時代や弥生時代には、父系母系どちらもあります。そして、この古墳のように、同じ墓の埋葬者は、血縁者、つまり兄妹・姉弟か親子となっています。非血縁の男女が一緒に葬られる例はありません。
狭山田女:夫婦じゃないって事だね。まあ、あたし達からすれば普通の事だけど、現代とは大分違うね。
大山田女:もっとも、古代には異母兄妹・姉弟の結婚は一般的でしたけども、非血縁の例がないという事は、夫婦を一緒に葬るという意識はなかったのでしょう。血のつながりが重要な社会だったのです。そして、父が中心とは限らず、母が中心という事もありました。それが、古墳時代から変わっていきます。
狭山田女:ああ、つまり、この古墳は古い時代の習わしに基づいてるんだ。
大山田女:ええ、しかも古墳時代というのは三世紀後半から七世紀後半までですので、この古墳の築造時期の五世紀中頃から後半というのは、古墳としても特別古いものではないという事を意味します。
狭山田女:ますます、新しい時代になっても、古い習わしに従ってたって事になるね。
大山田女:母系と血縁の慣習を頑なに守る、それが古代の五馬の社会という事になるでしょう。
狭山田女:伝統を守ってたって事なんだろうけど、よその人からすれば、古臭い、田舎者、って思われてたかもしれないね。……ん?まるで「土蜘蛛」っていう言葉に込められた印象みたいだ。
大山田女:そして、女性の権力者がおり、それを中心とした社会でした。こうしたイメージと言い伝えが、後の時代まで残ったとしましょう。今でも五馬媛さんを祖神と祭る五馬です。無理のある想像ではありません。そして、この古墳が造られた時代から約三百年後、豊後国風土記が編纂されたときにも、そうしたイメージと言い伝えが残っていたとしたら……。
狭山田女:女の人の土蜘蛛がいた、って書かれるよ!そうか、そういう事なんだ。もしかすると、この古墳に葬られた女の人の一人は、本物の五馬媛さんかもしれないね!
大山田女:そうなのです。実際にそう考える人も多いようです。もっとも、「五馬媛」という名前は、特定の人物を指す固有名詞とも限らず、「五馬の女性首長」という意味かもしれませんし、あるいは、五馬の女性首長が代々継承する称号のようなものだったかもしれません。ですが、何にせよ、この古墳が風土記の記載を裏付けるものである事に違いはありません。
狭山田女:う~ん、現代でも古墳から風土記に迫れるなんて、凄い場所だなあ。でも、さっき行った元宮神社も五馬媛さんのお墓だって言われてたよね。
大山田女:ええ。ただし元宮神社でお話したように、あちらは発掘されていないので、何とも言えません。どちらが本当に五馬媛さんのお墓なのか、はたまたどちらも違うのか、最終的にはっきりとは分からないかもしれません。しかし、五馬媛さんのお墓だと伝わる場所の近くに、こうして考古学的にそれと思しきお墓があります。これは大変な事だと思います。実際に五馬媛さんを思わせるような証拠があり、風土記に記載があって、その言い伝えを土地の人が語り継ぎ、今も祖神として崇めているのですから。

狭山田女:今は石室くらいしか残ってなくて、外からこうして見ても古墳だか何だか分からないけど、風土記と伝説、発掘調査を合わせて考えると、ちょっと寒気すらしてくるよ。あたし達の故郷も、風土記に書かれてるし、「山田」って地名や、ヨドヒメ様の神社や伝説、それに巨石も残ってるけど……それに負けない場所だね、ここは。

大山田女:そうですね。このように標柱も折れ曲がったままで、荒れ果てた感が否めないのは、少し悲しいですが。
狭山田女:う、う~ん、本当だ。この左の岩は、古墳の一部かな。
大山田女:どうでしょう。周りに大きな岩など見当たらない場所ですから、あるいはそうかもしれません。

狭山田女:確かに、この岩だけじゃ、何とも言えないや。
大山田女:古墳の建材だった石の一部が、単独で残っていたりするのは、飛鳥などで見掛ける事もありますけどね。尚、三号墳に関しては、事前に日田市役所に連絡すれば、見学も可能なのだそうです。作者の大宮司は、その事を後から知ったそうですが。



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狭山田女:まあ、それはしょうがないか。これで五馬媛さんに関する場所は終わりかな?
大山田女:実はもう一ヶ所、若干関係した場所がありますので、行ってみましょう。宇土古墳群への行き方は、左の地図を参照して下さい。



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