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土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─ロ、権現塚
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狭山田女:まあるい小山があるね。さっきの蜘蛛塚に比べるとかなり大きいなあ。これが卑弥呼のお墓って言われてる古墳?
大山田女:ええ、「蜘蛛塚」からわずか東に数百メートルの場所にある「権現塚」です。福岡県内でも有数の規模を誇る円墳で、周溝(しゅうこう)と呼ばれる、古墳の周囲に巡らした溝も残っています。

狭山田女:ここに案内があるよ。本当だ。卑弥呼の墳墓説について書いてあるね。
大山田女:魏志倭人伝にも、卑弥呼の墓は大きなものだと書いてある訳です。ただ、そこに書かれている「径百余歩」は、現代で言えば約百四十メートルに相当しますので、この権現塚では少し小さいのですよ。

大山田女:こちらは蜘蛛塚で見たのと同じ、瀬高町の文化財パンフレットですが、径四十五メートルと書いてあるでしょう。これでは三分の一程度です。
狭山田女:卑弥呼のお墓ってそんなにデカかったのか。ん?このパンフレットには、権現塚は神功皇后が田油津媛(タブラツヒメ)さんを討った際の戦死者の塚、て説も書いてあるね。

大山田女:実はそうなのです。ですから土蜘蛛と無縁の場所という訳ではありません。
狭山田女:なるほど~。そういえば豊後の竹田にも、土蜘蛛のお墓だっていう小さな「蜘蛛塚」と、その近くに天皇軍のお墓って言われてる、もう少し大きな古墳群があったね。ここの蜘蛛塚と権現塚も組み合わせとしては似てるねえ。

大山田女:そうですね。伝承のパターンが似ているのは、ちょっと興味深いですね。
狭山田女:おおっ、このあたりは丸くなってるのが良く分かる。
大山田女:周溝が残っている様子もよく分かりますね。墳丘に段差がついているのも、一応確認できます。

狭山田女:魏志倭人伝に書いてある卑弥呼のお墓の大きさには及ばないけど、この古墳もなかなか大きいよね。
大山田女:ええ、卑弥呼のものと言われるだけの事はあると思います。周辺には縄文時代から古墳時代の遺跡もありますので、古くから人の住んだ場所だったのは確かなようですね。

狭山田女:それにしても、この山門(やまと)ってところは、「女王塚」があったり、卑弥呼のお墓と言われる大きな古墳があったり、さすが邪馬台国があったって言われるだけの事はあるね。しかも、「女王塚」が「蜘蛛塚」の別名だったりして、なぜか卑弥呼と土蜘蛛がかぶってるようなところもあるし。不思議な土地だなあ。


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大山田女:不思議というなら、山門にはまだまだ不思議な場所がありますよ。古墳とはまた違った古代遺跡もありますので、今度はそちらに行ってみましょう。権現塚への行き方は、左の地図を参照して下さい。



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