狭山田女:ここはどこかな?小山の上に祠があるよ。
大山田女:日本書紀によると、神功皇后が、かつて「山門(やまと)」と呼ばれたこの地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を討ったとのことです。また、その兄である夏羽(ナツハ)が軍勢を従えてやって来たのですが、妹が討たれたと知り、逃げ去りました。こちらに詳しく書いてあります。
狭山田女:ほんとだ。景行天皇が討った「朝廷に従わない者」の首長を葬ったって書いてある。景行天皇と言えば、九州のあちこちで土蜘蛛やその他の「賊」を討ったって人だね。討たれたっていう首長は土蜘蛛とは書いてないけど、討った人が景行天皇ってのは、かえって土蜘蛛っぽいなあ。
大山田女:そうなのですよ。こちらは合併してみやま市になる前の、瀬高町の文化財パンフレットです。
大山田女:そうですね。初めは大和王権に従ったか、同盟関係を結んでいたけれども、途中から対立したという事なのかもしれませんね。もっとも「女王塚」という名前も含めて、この土地の場合はもっと複雑な事情も考えられるのですが……。それはそれとして、まずはこの古墳をよく見てみましょうか。
狭山田女:こうやって見るとちょっと古墳ぽく見えるね。案内には雨が降ると古墳から血が流れたって伝説が書いてあったなあ。昔の人は土蜘蛛の怨念だと思ったんだろうか。
狭山田女:上の祠はお地蔵さんを祀ってあるって書いてあったなあ。
狭山田女:由緒が書いてあるね。災害や飢饉のときに身代わりになってくれたって伝説があるんだね。地元では相当大切にされて来たんだろうねえ。
狭山田女:ご先祖様がここから見守ってるって事か。確かに、そうじゃなきゃ「女王塚」なんて別名はつかないかもしれないね。
狭山田女:この古墳は神社の境内にあるんだね。
大山田女:ええ、元は吉野ヶ里遺跡で見つかっているような、墳墓に併設された礼拝所のようなものだったのかもしれませんし、「巫女王」の祈りの場だった聖地の傍らに、「女王塚」を作ったのかもしれません。|
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大山田女:実はこの近くに、卑弥呼の墓ではないかと言われている古墳が、別にあります。 狭山田女:えっ、そうなの?じゃあ次はそこへ行こうよ。蜘蛛塚への行き方は、左の地図を参考にしてね。 |