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土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─ト、宇津良姫塚
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狭山田女:どこかの神社の入口だね。
大山田女:こうやの宮と同じみやま市瀬高町太神(おおが)の、宇津(うづ)というところです。こちらは天満神社ですね。

狭山田女:この宇津という集落の、産土神(うぶすながみ)様かな。
大山田女:ええ、そうですね。天満神社ですので、祭神は菅原道真公です。さて、お参りしましたら、車道の反対側のあちらの森へ行きましょう。目的地はそちらです。

狭山田女:こっち?何だか頼りない感じの、鉄板の橋があるよ。
大山田女:ええ、その橋を渡った先の、あの森です。周囲を完全に小川に囲まれた、島状の土地のようですね。

狭山田女:祠の中に石の塔があるよ。注連縄や御幣もあるから、神様だね。
大山田女:はい、こちらが目的地の「宇津良姫塚(うづらひめづか)」です。このあたりの女性首長「宇津良姫」の墳墓とのことです。
狭山田女:へえ~、神功皇后に討たれたっていう、土蜘蛛・田油津媛さんのほかにも、古代の山門には女性首長がいたんだ。

大山田女:ただし田油津媛さんとは立場が違います。日本書紀や風土記で、九州中を巡って土蜘蛛などの逆賊を討ったとされる景行天皇が、南からこのあたりにやって来たとき、その航行を守護したのだと言い伝えられています。宇津良姫については、日本書紀や風土記にはない、独自の言い伝えですけどね。
狭山田女:なるほど、天皇に協力した側なんだね。土蜘蛛とか討ちに来た天皇を、その近くの土地の女性首長が迎えるってパターンは、豊後にあったね。速津媛だったか。
大山田女:そうですね。豊前や肥前にもあります。しかも皆海沿いです。ここは海岸ではありませんが、そう遠くもありません。山門郡を貫く矢部川は、かつてはよく氾濫を起こして頻繁に流れが変わり、このあたりは低湿地帯のようになっていたようですから、古くは海から続く、入り江の奥のような位置付けであったと思います。今でもこの一帯には縦横に水路が張り巡らされていますし、山門郡に含まれる隣の柳川市にもやはり縦横に水路が張り巡らされ、「水の都」として全国的に有名です。
狭山田女:まあ、この塚も島になってるくらいだからね。天皇の航行を助けたって言うくらいだし、船の扱いに長けた人達だったんだろうね。ここは港みたいなところだったのかな。
大山田女:「津」は港を意味する言葉ですが、「宇津」の「津」もそうかもしれませんね。さて、それではお参りしましょう。

狭山田女:注連縄や御幣もあるけど、石の塔には梵字が刻まれてる。
大山田女:仏教と習合したのでしょうね。お墓ですから習合しやすかったのかもしれません。
狭山田女:塔の後ろに案内が書いてあるけど、かすれてて半分くらいしか読めないなあ。

大山田女:こちらにこうやの宮で氏子の方に頂いた、周辺史跡の案内パンフレットがあります。ほとんどの内容は既に話しましたが、「黒崎から宇津に至る」と書いてありますね。黒崎と言うのは、ここから南西に五キロほど、みやま市と大牟田市の境界部になります。今は周囲は干拓地になっていますけども、かつては完全に海岸でした。

狭山田女:じゃあここから海までの、湿地みたいなところの首長が、宇津良姫だったって事か。
大山田女:そんなところでしょう。パンフレットにはここが川の合流点で、一帯を領有した大地主神(おおとこぬしのかみ)の娘と書いてありますね。
狭山田女:大地主神って、大地の神様だね。
大山田女:今でも神道の地鎮祭などで名を唱えられる神ですね。出雲の大国主命と同一という説もあります。「地」と「国」の違いしかなく、その二つも非常に近い言葉ですからね。いずれにしても、大地そのものである神や、「出雲の大王」とも言うべき神が、この九州の限定的な地域の一首長というのは奇妙です。邪馬台国を持ち出すならそれでも解釈可能かもしれませんが……。強いて言えば、祖先が出雲にルーツを持っていたという可能性くらいはあるでしょうか。
狭山田女:大地の神様の娘が、大地に網の目のように張り巡らされた水路を、船に乗って滑るように移動する、ってのはちょっと神話的だけど、大地と川ってのがちょっとつながりが弱いかな。海の神様の娘だったら分かるけど。河口近くだし。あとは……大地の神様に仕える巫女だったとか。
大山田女:それも有り得そうですね。他に、たまたまこれらの神々と同じ名前の首長だったということも考えられなくはないですが、それよりは、この場合の「大地主神」というのが固有名詞ではなくて、「大いなるこの土地の神」あるいは「大いなるこの土地の持ち主」という一般名詞だった、という可能性のほうがまだあるかもしれませんね。大地主神の信仰と祖神の信仰が混ざり合った結果、祖神の名前が忘れられてしまったという事もあるかもしれません。
狭山田女:う~ん、何にしろ謎だね。でも、大地と水に関係ある人だったのは間違いないね。
大山田女:ええ。かすれてはいますが、石塔の後ろにある案内にも、「浮島」に墳墓を築いたと書いてあります。この場所の事ですね。いわゆる沼の上の水草が固まって出来る、本当に水に浮いている「浮島」ではないでしょうが、そういうイメージを抱かせる小島なのでしょう。「島」という事になると、大地と水の両方が関わって来ますね。
狭山田女:浮いてる島、ってところからは、船のイメージにもなるよね。変わった場所に葬られてるけど、それが宇津良姫のイメージに合っているって事だよね。それで、こういう変わった場所をご先祖様が眠る場所として、聖地として大事にしてきたのが、宇津の人達なんだね。川の合流点で、周りは水路だらけ……ってところからして、宇津の人たちは島に住んでるような気分だったんだろうね。まあ、昔は本当に川の中の島同然だったかもしれないし。そのシンボルなんだろうね、この浮島は。

大山田女:まさに「浮島の女神」ですね。さて、案内によると、塚の右の、この地蔵尊が大地主神を祭っているとのことです。
狭山田女:お地蔵さん?じゃあ宇津良姫はお地蔵さんの娘って事になるね。何だか変わった話だなあ。
大山田女:地蔵菩薩と大地主神や大国主命が習合したという話も聞いた事がないですしね。

狭山田女:あっ、でもお地蔵さんの「地」は大地の地だなあ。
大山田女:いいところに気が付きました。「地蔵」という名前は、古代インドのサンスクリット語「クシティガルバ」を意訳したものです。クシティは「大地」、ガルバは「子宮」という意味で、大地が全ての生命を育むように、慈悲の心で包み込む」というようなニュアンスがあります。つまり、地蔵菩薩には大地の神としての属性があるのです。
狭山田女:そっか!大地主神と同じ、大地の神様なんだ。なんでお地蔵さんなのか、よく分かったよ。
大山田女:大地と子宮を結び付けるイメージは世界中に存在し、そうした大地の女神は「地母神」という言い方もされます。地蔵菩薩のルーツはそのような「地母神」なのでしょう。もっとも、少なくとも日本では、あまり女性とは受け止められておらず、大地の神という認識も希薄です。大地主神と習合するというのは、大変珍しい事だと思います。しかし、ここの場合、両者をつなぐものは「大地」しかありません。ですから、宇津良姫の伝説における父・大地主神とは、特定の人物や大国主命を指すというよりは、大地の神を意味するところが強いように思います。つまり……先に狭山田さんが言った通り、宇津良姫が大地の神に仕える巫女だった、という事を意味している気がします。
狭山田女:うんうん、なるほど。大地の巫女にして水の巫女か。「浮島の女神」としてはふさわしいかもね。

大山田女:さて、この姫の塚の案内には、パンフレットにも書いていない、興味深い事が書かれていますね。後半の、割とはっきり読めるところにそれが書いてあります。
狭山田女:どれどれ……んっ!この塚の百メートルくらい南に、通称「カッパさん」て祠があるって書いてある!
大山田女:祭神は罔象女神(ミツハノミノカミ)と、「その神人カッパさん」とも。

狭山田女:罔象女神と言ったら、水の女神様だね。宇津良姫の塚のところにわざわざこんなことを書くなんて……まるで宇津良姫が水の女神様だと言わんばかりだ。
大山田女:実際、かなり結び付いているはずです。船に乗って天皇を守護し、川に囲まれた小島に祭られている祖神です。集落の人にとっては、古くから水の女神も同様だったでしょう。そしてカッパ。「神人」は古い時代に神社の雑務等を行った使用人とも言える「じにん」の事かと思いますが、ここでは水の女神の使いというところでしょう。しかし、水の女神と同じ祠に祭られ、その祠は「カッパさん」と通称されているのです。水の女神とカッパも同一視されていると言っていいでしょう。
狭山田女:てことは、下手すると宇津良姫とカッパも同じだと思われているかもしれないね。あ、そういえばさっきこうやの宮にカッパの像が祭られてて、このへんにはカッパの信仰があるって言ってたけど……。
大山田女:ええ、私はそれを朝廷に従った、この地の「水辺の土着民」の象徴ではないかと言いました。
狭山田女:確かに、このあたりが水辺だっていうのはよく分かったよ。そして、古代から水辺に暮らした人達の伝説もある。ここに眠るっていう宇津良姫がそうだよね。で、その宇津良姫はカッパとかぶって来る。すると、さっきのカッパってのは、もしかして宇津良姫なんじゃ?
大山田女:そうですね。私は田油津媛さんとの関係を指摘しましたけど、宇津良姫のほうがもっと近いかもしれません。字は違うとは言え、ここはこうやの宮と同じく太神の域内ですしね。塚の距離も、田油津媛さんの眠るという蜘蛛塚より、こちらの宇津良姫塚の方がはるかに近いですね。
狭山田女:そうだね。皇后に討たれた「土蜘蛛」よりは、天皇を案内した人の方を神様として崇めるだろうしね。でも、田油津媛さんは田油津媛さんで、お墓に「女王」と付けられるような人なんだよね……。
大山田女:ちなみに、近代まで使われ続けた山門の航路網は、「女王山」が略されたも言う、女山にまで続いていたのだそうです。蜘蛛塚即ち女王塚が麓にある、先程見た古代の巨石遺構が山中にある山です。
狭山田女:もちろん女山はよく覚えてるよ。女山には水門もいくつかあったしね。水は豊富だって事か。あっちの方も「水辺」だったんだね。
大山田女:ええ、田油津媛さんも、水辺の民の女性首長なのだと言えるでしょう。
狭山田女:そうかあ、二人は似たような人なんだね。どっちも水の女神様やカッパになっても不思議じゃないのかもしれない。
大山田女:ただ同じ水辺でもあちらは山に近く、こちらは海に近い。あちらは上流、こちらは下流。しかし、ここに面白い話があります。この地に伝わるカッパの伝説ですが、カッパは秋になると山へ行って山童(ヤマワッパ)になり、春になるとまた戻って来るのだそうです。それにちなんだ祭礼が今も行われています。この河童-山童の説話は、特に九州でよく見られるものですが、この土地の上流には、女山とそれに続く山並みがあるのです。
狭山田女:う~ん、つまり宇津良姫が河童で、田油津媛さんが山童とも言える訳だ。
大山田女:私の連想に過ぎませんけどね。両者は非常に近い存在である事は間違いありません。そもそも、古代の女性首長の伝説と言うのは、そうどこにでもあるものではない、珍しいものです。この山門の瀬高町には、それが二つもある。話の上では互いに接点はありませんが、無関係という事はないでしょうね。
狭山田女:でも、山の方の田油津媛さんは討たれて、海の方の宇津良姫は天皇に味方したんだね。
大山田女:このあたりは、日本書紀や風土記にある、豊前・豊後での景行天皇の巡幸と同じパターンですね。沿岸部の首長は天皇に味方し、山奥の首長は討たれる。山門ではそこまで海沿いではなく、そこまで山奥でもないですし、両者の時代設定も異なりますが、構図としては同じでしょう。そもそも土蜘蛛がいたとされる場所は、山の中か、平地でも山の際、あるいは磯や島など、完全な平原とは縁のない場所が多いのです。そこに田油津媛さんと宇津良姫の違いがある気はしますね。

狭山田女:うう~ん、そうか。似てるけど、やっぱり違うんだね。ん、ここは塚の裏かな。確かに川に囲まれてるね。
大山田女:これが「浮島」と言われる理由ですね。ちなみに、奥の家々が建ち並んでいるところが、宇津の集落です。折角ですから、近くの土手の上に登って、少し周りを見渡してみましょう。

狭山田女:こっちはそれなりに大きな川だね。
大山田女:飯江川(はえがわ)という川で、もう少し先で矢部川と合流し、海に注ぎます。こちらは下流の方角。つまり、宇津良姫はこの川の下流から、こちらに向かって景行天皇を案内して来た事になりますね。

狭山田女:こっちは山が見えるから上流かな。
大山田女:ええ、あの山々が女山とそれに連なる山並みです。ここに注いでいる支流の一つを遡れば、女山や蜘蛛塚の近くに行く事もできます。
狭山田女:なるほどね~、このへんがどういう地形なのかは、ちょっと分かったよ。

大山田女:昔はこんなにきちんとした護岸工事はされていませんので、水路網もはっきり見えたかもしれませんね。交通路として使われていたのですし。ところで、先程のパンフレットのここを見て下さい。これはこの近くの別の神社の案内です。ここでもカッパが祭られており、「河童まつり」も行われていて、山童の事も書いてありますが、祭神のところを見ると……。

狭山田女:「よどひめさん」って書いてある!!これって、あたし達の神様、ヨドヒメ様と同じ?!
大山田女:同じ有明海に注ぐ川のほとりです。そして、カッパを祭っているのですから、水の神を祭る神社でしょう。私達のヨドヒメ様はもちろん水の神です。間違いなく同じでしょう。

狭山田女:この土地にヨドヒメ様を信仰してる人達がいるって事は……あたし達の遠い親戚なのかな。
大山田女:私達の山田の里に建つ與止日女(よどひめ)神社を中心に、佐賀にはヨドヒメ様を祭る神社が結構あります。もちろん、九州の別の地域でも、こうして信仰されています。しかし、私達と同じく「土蜘蛛」がいたと書かれる土地に、同じくヨドヒメ様の信仰がある事は、興味深いですね。


大きな地図で見る
狭山田女:ヨドヒメ様を祭ってるとなると、何だか親しみが湧いてくるなあ。
大山田女:そうですね。邪馬台国だと言われたり、巨石遺構があったり、七支刀を持つ神像が祭られていたりと、不思議な場所ですが、私達と無関係の土地でもなさそうですね。
狭山田女:何たって、あたし達と同じ「土蜘蛛」がいたって場所だからね。田油津媛さんも、あたし達の遠い親戚なのかもしれないね。宇津良姫塚への行き方は、左の地図を参照してね。



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