大山田女:山田の里から東へ約十キロ、弥生時代の遺跡、吉野ヶ里遺跡へやって来ました。
狭山田女:このパンフレットやチケットに描いてあるのは……。
大山田女:そうですね。それから、吉野ヶ里遺跡は「土蜘蛛」とは直接の関係はありませんが、私達が暮らしていた世界を知ってもらうのに、空間・時間的にも近くて、見た目にも非常に分かりやすい場所なので、やって来たのですよ。
狭山田女:この杭や柵は防御用のものだよね。なかなか物騒な感じだね。
大山田女:こちらは先程の入口とは反対側にある濠(ほり)ですね。吉野ヶ里のクニは、自然の川とこうした人工の環濠に囲まれ、何重もの柵や杭を巡らした、お城のような場所でした。城塞都市と言ってもいいでしょう。
大山田女:一方、川や海が近いという地の利を生かした、商業・貿易都市のような側面もあったようです。ここには衣食住にまつわる様々な品々を納めた倉が建ち並び、市も開かれていました。中国や朝鮮半島、南西諸島のものも出土していて、広範囲の取引を行っていた事が分かっています。
大山田女:ここは吉野ヶ里の中枢の一つ、「南内郭」です。
大山田女:これらの家が、王やその親族の住まいだったそうです。
狭山田女:さすがにここの物見櫓からは、周りがよく見渡せるね。