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土蜘蛛紀行 肥前編
其之弐、吉野ヶ里遺跡─イ、環濠、南内郭など
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大山田女:山田の里から東へ約十キロ、弥生時代の遺跡、吉野ヶ里遺跡へやって来ました。
狭山田女:へ~、あの現代的な建物は入口かな。
大山田女:あれは歴史公園センターです。中にはシアターやレストラン、売店もあります。吉野ヶ里遺跡は国営歴史公園として整備され、今や佐賀県を代表する観光地ですからね。

狭山田女:このパンフレットやチケットに描いてあるのは……。
大山田女:これは吉野ヶ里歴史公園のマスコットキャラクター、ひみかちゃんとやよいちゃんです。売店でぬいぐるみも売られていますよ。

大山田女:そうですね。それから、吉野ヶ里遺跡は「土蜘蛛」とは直接の関係はありませんが、私達が暮らしていた世界を知ってもらうのに、空間・時間的にも近くて、見た目にも非常に分かりやすい場所なので、やって来たのですよ。
狭山田女:なるほど。東にある大きなクニは当時も有名だったしね。じゃあ早速入ってみよう。

狭山田女:この杭や柵は防御用のものだよね。なかなか物騒な感じだね。
大山田女:こうした先の尖った杭や鋭い枝の付いた木を斜めに大量に立てたものは、「逆茂木(さかもぎ)」と呼ばれています。バリケードの一種ですね。弥生時代は稲作が本格的になって、水や土地の奪い合いの激しい時代でしたから。


大山田女:こちらは先程の入口とは反対側にある濠(ほり)ですね。吉野ヶ里のクニは、自然の川とこうした人工の環濠に囲まれ、何重もの柵や杭を巡らした、お城のような場所でした。城塞都市と言ってもいいでしょう。
狭山田女:う~ん、緊迫した様子が伝わってくるね。

大山田女:一方、川や海が近いという地の利を生かした、商業・貿易都市のような側面もあったようです。ここには衣食住にまつわる様々な品々を納めた倉が建ち並び、市も開かれていました。中国や朝鮮半島、南西諸島のものも出土していて、広範囲の取引を行っていた事が分かっています。
狭山田女:活気のある場所でもあったんだ。

大山田女:ここは吉野ヶ里の中枢の一つ、「南内郭」です。
狭山田女:柵で囲んであって、物見櫓もいくつかあるね。重要な場所だったんだろうね。
大山田女:王やそれに近い立場の支配者層の住居があったそうですからね。
狭山田女:つまり王宮って事か。そりゃあ警備も厳重になる訳だね。

大山田女:これらの家が、王やその親族の住まいだったそうです。
狭山田女:南内郭の中で、さらに柵に囲まれてる。
大山田女:南内郭には、こうした支配者達の住居や物見櫓のほか、兵士の詰所、集会の館などがあります。また、吉野ヶ里の住居には煮炊きの跡がなく、南内郭にあった共同の煮炊屋を使ったようです。

狭山田女:さすがにここの物見櫓からは、周りがよく見渡せるね。
大山田女:吉野ヶ里の物見櫓は、物理的な防御はもちろんのこと、内外に対する権威の象徴としての意味もあったようです。向こうに見えているのが、吉野ヶ里のもう一つの中枢、「北内郭」です。次はあちらへ行ってみましょう。




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