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紅葉紀行
其之九、別所温泉 ホ、常楽寺
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 北向観音の本坊であり、安楽寺と同じく「別所三楽寺」の一つでもあるのが常楽寺である。天長二年(八二五年)慈覚大師円仁により北向観音と共に開かれたという、天台宗別格本山。神奈川県立図書館蔵の金沢文庫に、京都・南禅寺の開祖大明国師が正応五年(一二九二年)に「信乃国塩田別所常楽寺」で筆写した経文があるが、それだけ古くから学問寺として名高かった寺院である。境内には、国の重要文化財である石造多宝塔や、様々な古美術を収蔵する美術館がある。

常楽寺本堂。享保末期~元文期(一七三〇代)建立。本尊は妙観察智阿弥陀如来。

斜めから見た本堂。趣のあるある建物である。上田市の文化財で、長野県内の江戸中期後半の天台真言系本堂としては屈指の規模。

本堂の前に植えられている「御船の松」。樹齢三百年、長さ一八.二メートル、幅一〇.三メートル、高さ六.二メートル、樹周一二五メートルの大木。

御船の松の全体像。左奥に美術館があり、仏像・曼荼羅の他、塩田陸奥守北条国時自刻像、重要美術品の徳川家康日課念仏と三浦屋絵馬、葛飾北斎の絵馬、飛鳥~明治時代の古瓦等、貴重な美術品や考古資料を数多く収蔵している。戦前の日本画家・荒井寛方が、実際に戸隠山に登って景観や地形を調査して描いた、謡曲「紅葉狩」の絵巻十六帖もある。

国の重要文化財・石造多宝塔(中央)と、上田市指定文化財・石造多層塔(多宝塔の向かって右)。石造の多宝塔は全国的に見ても少なく、重文指定のものはこれと滋賀県の小菩提寺の二基のみである。小菩提寺の塔は多宝塔本来の形とやや異なるが、この塔は笠や裳階(もこし)が鎌倉時代の典型を示しており、非常に貴重なものである。

石造多宝塔の拡大。天長二年(八二五)、この場所に大きな火の口が開いて紫煙が立ち上り、たなびいて北向観音の愛染桂に止まったが、そこに金色の千手観音が現れたという。愛染桂の場所には北向観音堂が、火の口の跡には木造の多宝塔を建立した。しかし寿永年間(一一八二~八四)に焼失してしまったので、弘長二年(一二六二年)に賴真(らいしん)という僧侶が石で塔を造り、金銀泥で書かれた一切経一部を奉納した、という由来が銘文として刻まれている。

斜め後ろから見た多宝塔。石造多層塔(この写真では中央の細長い塔)も鎌倉時代のもので、大正時代に北向観音近くの山で水道工事の際、一八六基発見された石造塔群のうちの一基。当時学会を騒がせた大発見だったが、その後全て散逸してしまった。しかし地元の熱心の研究家が滋賀県の旧家に一基あるのを突き止め、昭和五十六年に当地へ戻されたという。各層の笠の反り、軒の厚み、相輪の形、一層から上層へ次第に減らした安定感など、鎌倉時代の特徴をよく備えた多層塔である。

常楽寺美術館の近くにある茶店「梅楽苑」。

常楽寺近くの庭園に咲く色とりどりの牡丹。庭園は常楽寺所有のものであろう。

常楽寺に隣接する別所神社。明治までは「熊野社」と呼ばれており、紀州の熊野本宮大社より分祠されたという。

別所神社本殿。一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみきいりかすがづくり)で、紀州の熊野大社本殿や長野県内の熊野神社に多く用いられている形式である。数ある棟札のうち、天明八年(一七八八年)のものが現在の社殿のものと考えられている。大工棟梁は末野庄兵衛安定とあり、塩野神社本殿・拝殿や安楽寺の山門など社寺建築に多くの業績を残した末野氏の一族。十八世紀の神社本殿としては規模も大きく、彫刻などの装飾も充実しており、当初の形式がよく残されている。市の文化財。

別所神社より塩田平を望む。遠方に美ヶ原など二千メートル級の山々が見える。


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安楽寺の場所は左の地図の通り。



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