パウチ紀行
レ(三)、流氷に乗ってやって来た人々とパウチのルーツ
イ、網走と流氷とオホーツク文化人
ロ、宗谷岬と樺太(サハリン)
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ロ、宗谷岬と樺太(サハリン)
淫魔と伝えられるパウチだが、御由緒冒頭
アイヌ神話の淫魔パウチで書いたように、精神的な錯乱状態をもたすものともされていた。また、
巫女神パウチカムイに書いたように、パウチが住む天界のシュシュランペツという川の名は「トゥス・ラン・ペツ」が訛ったもので、それは「巫・神・川」の意である。そして、樺太の古謡では、パウチは巫女を意味するものであった。
シャーマンである巫女が神憑りになり、トランス状態になる事から、精神的な錯乱をもたらすものになったのだろう。また、日本神話の例であるが、天鈿女命(アメノウズメノミコト)に見られるように、巫女が神憑りになるときは、全裸になることが多々あって、それはアイヌ民族の間でもあったことなのだろう。そこから、淫魔へと変容していったものと思われる。
パウチが、巫女や巫女に憑く神として、神聖視されていた樺太は、パウチの故郷、ルーツである。それは、日本最北端である、北海道の宗谷岬と、宗谷海峡を挟んで向かい合う地なのだ。

北海道及び日本の最北端、宗谷岬の日の出。平成九年八月三十一日、初訪問時。この時は自転車にテントを積んで、野宿しながら一人で北海道を周った。まだ当時は大学三年生であった。天気も良く、感動的な景色であったが、樺太を見る事は出来なかった。

宗谷岬に建つ最北端の地碑と間宮林蔵の像。間宮林蔵は江戸時代後期、幕府の命により樺太を探検するため、宗谷岬近くより船出した。そして、間宮海峡を発見、樺太が島である事を確認した。これは平成二十八年三月二十一日、十九年振りに再訪した時のものである。

宗谷岬にある宗谷海峡周辺の地図を描いた石碑。樺太の西能登呂岬(クリリオン岬)までは、わずか43km。パウチは、宗谷海峡の向こうの島からやって来たのだ。

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宗谷岬より撮影した樺太。十九年前の夏は、よく晴れていたにも関わらず、全く見えなかったが、再訪時は、吹雪にも関わらず、見ることが出来た。宗谷岬の土産物屋に尋ねたところ、冬の方が空気が澄んでいて見えやすいとのこと。年間を通して、見える日は結構多いということだ。冬は樺太の山が雪をかぶっているのも、見えやすい理由の一つだろう。迫力もある。
パウチの故郷の大地を、宗谷海峡の向こうに望むことが出来て、感無量であった。最北端の北にも、大地はあり、はるか太古から、人々が行き交っていたことを、身を以って実感した。
流氷と樺太見物の案内
流氷がオホーツク海沿岸にやって来るのは、大体二月から三月、見頃は三月中旬から下旬あたり。網走や紋別が有名で、両市とも期間中は砕氷船が発着している。ただし、自然のものなので気候などにより見頃は変動する。気象情報をよく確かめよう。筆者は四月上旬に網走を訪れたが、十分に見ることができた。上の写真はそのときのもの。砕氷船も迫力があるが、浜に降りて直接押し寄せている巨大な海氷や凍りついた海氷原を眺めるのもいい。場所によっては観光客も誰もおらず、ゆっくりと感慨にふけることができる。写真の上二つはモヨロ貝塚裏の海岸。下は砕氷船からの眺めである。
また、オホーツク沿岸には夏でも流氷について見聞きできる施設がある。網走の流氷館や紋別のオホーツクタワーなどがそれだ。網走のオホーツク水族館には流氷の妖精と呼ばれるクリオネもいる。
オホーツク文化や北方民族について知りたければ、網走の北方民族博物館へ。なかなかの大施設で展示物も見ごたえがある。ほか、オホーツク沿岸にはオホーツク文化の遺跡が点在している。紋別のオムサロ遺跡公園、サロマ湖近くの常呂町にある常呂遺跡などには復元住居もある。
パウチ伝説の原型を伝える樺太(サハリン)はロシア領(南樺太は政府見解としては領有未確定、だったと思う)。稚内からフェリーで行くことも可能だが、パスポート及びビザが必要。
※稚内-サハリン航路は平成二十七年廃止
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