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パウチ紀行
レ(三)、流氷に乗ってやって来た人々

 イ、網走と流氷とオホーツク文化人
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イ、網走と流氷とオホーツク文化人
 こちらも直接パウチ伝説に関わるものではないが、御由緒の中で言及した、大陸や樺太から北海道にやって来た北方民族に関係した画像を掲載した。パウチ伝説の元はこうした北方からの渡来民、しかもシャーマンの集団だったのかもしれないのである。そうであるなら、紀行トゥ(二)のハで書いたように筆者の祖母は満州人であるらしいから、筆者の先祖とパウチはどこかでつながっていて、同じ血が自分にも流れているかもしれない。

網走市のモヨロ貝塚の復元住居。樺太の先住民ニブフ(ギリヤーク)の住居に酷似する。彼らは黒龍江流域から樺太にかけて居住する民族で、食糧となるアザラシやトドなどを追いかけて流氷に乗り渡来したという。モヨロ貝塚は彼らが残した約千年前の遺跡で、オホーツク式土器と呼ばれる独自の土器のほか、シベリア渡来の装飾品や本州の彫像などが出土した。

網走駅前に立つモヨロ人の像。一般的にはオホーツク文化人と呼ばれる。見ての通りの漁労民だったらしい。彼らの残した独自の文化を伝える遺跡は北海道のオホーツク海沿岸にのみ分布する。千年前にあった知られざる北方の民族渡来の痕跡だ。彼らの文化が縄文文化を受け継いで生活していた北海道の原住民に影響を与えて、アイヌ文化が形成されたという。

網走市にある北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ。樺太の少数民族ウィルタを中心にニブフや樺太アイヌなど北方の少数民族の歴史と文化を伝える資料館。戦後、それまで日本領であった樺太に住んでいた、上のような原住民の中には、樺太がロシア領となるとともに日本への移住を余儀なくされた人々もいた。ジャッカ・ドフニはそうした人々の一人ダーヒンニィーニェ・ゲンダーヌ(日本名北川源太郎)氏によって建てられたものである。しかし、現在は諸事情あって休止中のようである。残念。



網走に押し寄せる流氷。黒龍江の氷がオホーツク海に流れ込み、ここまでやって来る。オホーツク文化人はこの流氷に乗ってきてやって来たという。それにしても、国内屈指の壮大な眺めである。筆者が思うに、国内にこれ以上迫力のある風景は存在しないのではないだろうか。



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