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平安時代に現れた「土蜘蛛」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
狭山田女:その後になっても、っていうのは?
大山田女:先程、陸耳御笠さんのところで、少しだけ酒呑童子の話をしましたね。
狭山田女:大江山の。
大山田女:その酒呑童子を倒した人の名前を、狭山田さんは知っていますか?
狭山田女:みなもとの……よりみつだったかな。いわゆる「侍」の大将だよね。
大山田女:源頼光。武士の棟梁となった源氏の当主です。もっとも彼が実際にどこまで「武士の棟梁」だったかは疑問で、どちらかと言えば貴族的な趣が強いようなのですが……ともかく、実は彼が、土蜘蛛を退治したという伝説があるのです。
狭山田女:えっ、あの酒呑童子を退治した源頼光が、土蜘蛛も退治してるんだ。
大山田女:はい。現代で言うところの「平安時代」中頃、約千年前くらいのお話です。
あたし達の時代からだと、五百年以上は経ってるね。「古事記」が出来た時代からでも、三百年くらい経ってる。
大山田女:先程の話で言えば、もう九州は全域が朝廷の支配圏になっていましたが、東北ではまだ「蝦夷」と衝突していた時代です。「平安時代」の初期、今から千二百年くらい前に、何年掛かりもの大規模な戦闘があって、現在の岩手県の中南部くらいまでが勢力圏になっていました。頼光の甥・頼義とその子義家は、岩手県・秋田県でやはり何年掛かりもの大規模な戦闘を行っています。そういう時代ですね。
狭山田女:「平安時代」と言ったら現代じゃあ貴族の時代をイメージする人が多いけど、東北では激しい戦があったんだね。
大山田女:そうですね。そして貴族のいる都では、化物や怨霊が跋扈していた時代でした。
狭山田女:ああそうか。「陰陽師」の安倍晴明や、「天神様」の菅原道真の時代だもんね。
大山田女:ちなみに酒呑童子の伝説では、酒呑童子の根城を大江山だと突き止めたのが安倍晴明です。平安時代というのは、東北で蝦夷と戦いながら、都で化物と戦っている時代でもありました。
狭山田女:そういう時代に、土蜘蛛が出てくるんだ。
大山田女:はい。こういう時代ですから、「土蜘蛛」も人ではない、化物として描かれています。
狭山田女:もともと尻尾があるとか、手足が長いとか書かれてるけど。でも、そんなもんじゃないんだ。
大山田女:頼光に退治される土蜘蛛は、ズバリ巨大な蜘蛛の化物として描かれています。
狭山田女:蜘蛛! もっと昔の人達でも、偏見がありながらも人だと思っていたのに……。
大山田女:土蜘蛛と酒呑童子は、頼光の二大化物退治譚ですから。
狭山田女:そういう意味じゃ、酒呑童子と同じくらい恐ろしい化物だと思われたんだ、土蜘蛛は。「鬼」みたいなもんだね。
大山田女:そうですね。酒呑童子をはじめとした「鬼」も、朝廷に従わず討たれた人達が原型になっているといいます。「鬼」の全てがそうだという訳でもないでしょうが、そういう傾向はかなり強いですね。例えば、先の「蝦夷」も、角の生えた「鬼」として描かれているものがあります。
狭山田女:都の貴族からしたらそんなもんなのかなあ。
大山田女:平安時代の初期に、蝦夷との大規模な戦を行った坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、彼が陸奥の悪鬼の首長「悪路王(あくろおう)」と戦ったという伝説もあります。
狭山田女:陸奥といえば、蝦夷の土地だもんね。
大山田女:その「悪路王」のモデルは、坂上田村麻呂が実際に戦った蝦夷の指導者「アテルイ」だと言われています。また、先にも話しました頼義・義家が陸奥で戦った相手、安倍貞任(あべのさだとう)、彼は朝廷の勢力圏下で反乱を起こした訳ですが、その彼も後に「貞任鬼」などと呼ばれて「鬼」になっています。
狭山田女:そうすると、頼光に退治された土蜘蛛も、元は朝廷に従わないで討たれた人だったのかな。もっと古い時代なら、まさにその通りなんだけど。
大山田女:どうでしょうか。まずはその伝説を、もっと詳しく見てみましょう。

平家物語の「土蜘蛛」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
大山田女:頼光の土蜘蛛退治伝説が書かれた最も古い書物に、「平家物語」があります。
狭山田女:源氏と平家の戦いを描いたやつだ。琵琶法師が「祗園精舎の鐘の声~」って歌うやつだよね。
そうですね。その中の「剣の巻」に、こんな話が載っています。ある時、頼光は熱病に冒されて伏せっており、一ヶ月経ってもなかなか回復の見込みがありませんでした。そんなある夜、身長二メートル以上の法師がやって来て、頼光を縄で縛ろうとしたのです。さすがに頼光もがばっと起きて、枕元の名刀「膝丸」で斬り付けました。騒ぎを聞き付けた従者がその血の痕を辿って行くと、北野天満宮(京都にある菅原道真を祭った全国天満宮の総本宮)の後ろの大きな塚に行き当たりました。その塚を掘り崩すと、一メートル以上の巨大な「山蜘蛛」がいたのです。熱病の原因もこの蜘蛛でした。蜘蛛は頼光の命令で鉄の串に刺されて河原で晒しものにされました。そして、このときから「膝丸」を「蜘蛛切」というようになりました、という話です。
狭山田女:ふ~ん。「剣の巻」な訳だし、要は刀の由来を書いたのかな。
大山田女:その通りです。元々頼光の父・満仲(みつなか)が作らせた、「膝丸」「髭切」という二振りの名刀があったのです。「膝丸」は今の話の通り、頼光が蜘蛛を斬ったので「蜘蛛切」という名が付き、「髭切」は頼光の部下、渡辺綱(わたなべのつな)が鬼の腕を斬ったので「鬼切」という名が付きました。この後もこの二本の刀には様々なエピソードがあり、色々な名前が付くのですが、要するに源氏代々に伝わる名刀の伝説なのです。
狭山田女:なるほど~。ここでも「鬼」とセットだね。鬼と並ぶ二大妖怪みたいな感じかな。
大山田女:はい。一度僧侶に化けてはいますけど、「一メートル以上の」と大きさを強調されていることからも、これは人ではなく「蜘蛛」として表わされていることが分かります。また、頼光を熱病に冒すような呪いの力も持っていますね。
狭山田女:そうだね。人に化ける時点で人じゃないもんね。
大山田女:古事記・日本書紀・風土記の土蜘蛛とは、明らかに性質が違いますね。おどろおどろしい雰囲気を持った、まさしく「妖怪」です。
狭山田女:でも、「土蜘蛛」じゃなくて「山蜘蛛」だって言ってたね。
大山田女:そうなのです。「山蜘蛛」というのは山に住む蜘蛛、あるいは山のように大きな蜘蛛、くらいの意味でしょうが、「土蜘蛛」ではありませんね。ただし、後でお話する別の書物や伝説などから、頼光が退治したこの「山蜘蛛」は「土蜘蛛」のことなのは確かです。ただ、平家物語が書かれた当時は、もしかすると「山蜘蛛」という全然別の妖怪を想定していた可能性もないこともないかもしれません。
狭山田女:平家物語は、いつ頃できたの?
大山田女:源氏が鎌倉幕府を開いた、いわゆる「鎌倉時代」です。頼光の二、三百年後の時代ですね。今から七、八百年くらい前です。
狭山田女:結構後になってからなんだね。じゃあ、平安時代にどういう風に言われていたのかは、分からないんだ。
大山田女:頼光の化物退治自体、源氏が有力になって、後から作られた話のようですからね。でも、何か元になるような話はあったのでしょう。
狭山田女:そうか、「悪路王」のモデルに「アテルイ」がいたように、か。酒呑童子も、陸耳御笠さんとか、その後の三人の鬼とか、その子孫とかがモデルかもしれないし。
大山田女:「土蜘蛛」という言葉自体は、私達がそう呼ばれた時代からあったのですから、モデルの大元は古代の「土蜘蛛」でしょう。朝廷に従わない、という点では「悪路王」のモデルの「アテルイ」とよく共通しています。
狭山田女:そうだね。でも、陸奥の土蜘蛛なんかは、「アテルイ」並みの大きなスケールの戦いの話なのに、頼光に退治された蜘蛛はスケールが小さいよね。別に朝廷に逆らった訳でもないし、頼光一個人を巡るような話だよね。
大山田女:場所も都の近辺ですからね。ただ北野天満宮の後ろ、というのは当時の平安京の領域外ではあります。「都の外は異界、魔界」というような発想が当時の貴族にはありますから、魔物の潜む場所としての設定には頷けます。
狭山田女:北野天満宮の後ろっていうのもね。菅原道真の怨霊とも関係あるのかなあ。
大山田女:設定として、無関係ではないでしょう。頼光を悩ませた蜘蛛は、怨霊的な色彩が強いです。相手を熱病に冒したり、寝ているところへ化けて出たり、いかにも怨霊がしそうなことです。
狭山田女:帰っていく場所も塚だもんね。塚っていうのはお墓だから、そこにいるのは……。
大山田女:「死者」ですね。この蜘蛛は「死者の霊」だということでしょう。
狭山田女:死者が化けたのが「山蜘蛛」なんだ!
大山田女:怨霊というのは、基本的に怨みのある人やその子孫に復讐します。ですからこの蜘蛛は頼光か源氏に怨みのある「何者か」なのでしょう。現実の頼光はともかく、伝説上の彼は酒呑童子などの魔物退治で有名な人。だから魔物に復讐されたということではないでしょうか。
狭山田女:でもその魔物も、元は朝廷に従わなかった人達の可能性が強いんだよね。
大山田女:「鬼」にはそういった者が多いです。でも、怨霊には蝦夷などの完全に朝廷の外の人達だけではなくて、朝廷の内側の人達もなります。内部でも様々な争いがありますからね。むしろそちらがメインです。
狭山田女:菅原道真なんかはそうだよね。
大山田女:天皇や皇族も怨霊になるくらいですし。とにかく平安時代の貴族達は、怨霊というものを非常に恐れました。「鬼」が朝廷に従わない人達だったとしても、結局は同じようなものでしょう。勝者に討たれた敗者が怨霊になり、魔物になるのです。
狭山田女:じゃあこの蜘蛛も怨みを残して死んだ「何者か」なんだろうね。
大山田女:そうでしょうね。そういう「怨念」が伝説の下敷きにあるのは間違いないでしょう。ただ、酒呑童子や悪路王のような、スケールの大きなものではなさそうです。
狭山田女:そういや頼光の土蜘蛛退治には別の話もあるって言ってたね。次はそれを聞きたいなあ。



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