邪神大神宮 道先案内(ナビゲーション)
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高尾張邑たかをはりのむらに、土蜘蛛つちぐも有り。其の為人ひととなりたけ短くして手足長し。侏儒ひきひと相類あいたぐへり。皇軍みいくさかづらの網をひて掩襲おそひ殺す。りてを改め其の邑を葛城かづらきふ。
──日本書紀・神武天皇即位前紀



土蜘蛛宮御祭神御由緒
土蜘蛛宮 案内神紹介
「土蜘蛛」とは何か
古事記に見る「土蜘蛛」
日本書紀に見る「土蜘蛛」
風土記に見る「土蜘蛛」
風土記逸文に見る「土蜘蛛」
丹後国風土記残欠に見る「土蜘蛛」
時間軸から見る古代の「土蜘蛛」
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空間軸から見る古代の「土蜘蛛」 其之弐・中心部
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古代の「土蜘蛛」とは「境界上の存在」
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土蜘蛛宮 案内神紹介 次の項へ 最初に戻る

大山田女:皆様、改めてご挨拶致します。
私は大山田女(オオヤマダメ)、肥前国風土記に登場する「土蜘蛛」と呼ばれた者です。
この度は土蜘蛛宮へようこそお参り下さいました。私達が皆様をご案内致します。

狭山田女:こんにちは、あたしは狭山田女(サヤマダメ)!
大山田ちゃんと一緒に登場する「土蜘蛛」でーす。
みんなゆっくりしていってね。

「土蜘蛛」とは何か 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
狭山田女:ねえ、大山田ちゃん、あたし達はどうして「土蜘蛛」って呼ばれてるのかな?
大山田女:その問いに答える為には、まず「土蜘蛛」とは何かを説明しないといけませんね。
狭山田女:そうだね。そもそも「土蜘蛛」って何なのかなあ……蜘蛛とは違うのかなあ?
大山田女:……狭山田さんは、自分のことを、蜘蛛だと思いますか?
狭山田女:違う!違う!あたしは人間?……少なくとも昔は人間だったよ。今は……よく分からないけど。
大山田女:そう、私達は人間でした。はっきりとは分かりませんが、今から千五百~千七百年くらい昔、この国に「大和朝廷」が出来た頃、私達は人間として生きていたのです。
狭山田女:へえ、あれからそんなに経ったんだあ。確かにあの頃、あっちこっちのムラがまとまって、大きなクニになっていってたね。
大山田女:そうです。多くのクニグニが並び立ち、最終的に一つのクニになっていったのです。それを一つにまとめたのが「大和朝廷」でした。
狭山田女:あの頃はまわりのムラやクニ同士でいっぱい喧嘩が起こってたねえ。殺し合いもいっぱいあったねえ。
大山田女:私達も大変でした。あれこれ手を尽くして、私達のムラは滅ぼされたりせずに済みましたけど。
狭山田女:うん、あたし達は頑張ったよね!あたし達の神様・ヨドヒメ様も、今も山田の里の人達に敬われているし。
大山田女:しかし、近くのムラやクニでは、指導者や人々が殺されてしまったところもありました。
狭山田女:山の向こうの海松橿(ミルカシ)ちゃんとかね……。
大山田女:……あまり思い出したくありませんね。ともかく、「大和」やそれに従う人達は、従わない私達を「土蜘蛛」と呼びました。そう呼んだ理由は分かりません。しかし、「大和」にあまり従順でない人達を、「大和」の側の人達がそう呼んだのは確かです。
狭山田女:あたし達も「大和」にあまり従順じゃなかったから、そう呼ばれたんだね。
大山田女:そうです。私達はなんとか丸くおさめましたけど、「土蜘蛛」と呼ばれた人々の多く、特に指導者クラスの人は、「大和」側の人々に殺されています。そんなことが、私達の住んでいた、後に「九州」と呼ばれる島だけでなく、後に「日本」と呼ばれるこの国中で起こっていたのです。
狭山田女:つまり、日本中で「土蜘蛛」と呼ばれた人達が、「大和」の人達に倒されていったんだね。
大山田女:逆に言えば、「大和」の人達が「倒すべき」と考えた反抗的な人達を、「土蜘蛛」と呼んだとも言えますね。
狭山田女:「土蜘蛛」っていうのは、そういう古代の「人間」達のことなんだ。

古事記に見る「土蜘蛛」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
大山田女:私達「土蜘蛛」のことが、日本最古の歴史書である「古事記」や「日本書紀」に書かれています。
狭山田女:「大和」の人達が、この国の成り立ちについて書いた本だよね。
大山田女:ええ。どちらも千三百年くらい昔に書かれた本で、天地創造からはじまって、天上の神々(天津神)と地上の神々(国津神)の分岐、国津神の天津神への国譲り、天津神の一部の地上への降臨、降臨した神々の子孫である歴代天皇と氏族の系譜と出来事、という風に順を追って書かれています。
狭山田女:天上の神々の王さまの子孫が、「大和」の王さま、「天皇」になるんだよね。
大山田女:天上の高天原を治める天照大神の孫が、地上に降臨します。降臨して拠点にするのが日向(今の宮崎県)。その曾孫が、日向から大和に入り、初代天皇として即位して、神武天皇となります。しかし、大和や紀伊半島には、天皇に従わない人々が大勢いて、戦いになりました。
狭山田女:「土蜘蛛」がいたんだね。
大山田女:狭山田さん、いいところを突きますね。実は現存する日本最古の書物「古事記」で最初に「土蜘蛛」の名が出てくるのが、大和での、神武天皇の戦いのときなのです。
狭山田女:へえぇ、最初の土蜘蛛は神武天皇と戦ったんだあ。
大山田女:神武天皇は紀伊半島で数多くの人や悪神と戦います。最大の敵は、最初大阪方面から神武天皇軍が大和入りしようとしたとき、これを返り討ちにして、神武天皇の兄・五瀬命(イツセノミコト)に死に至る傷を負わせた、大和の支配者長脛彦(ナガスネヒコ)。神武天皇軍は一旦退いて、紀伊半島を南に回り込み、熊野に上陸して、険しい紀伊山地を越え、南東から大和に入って、ついには長脛彦さんを倒します。
狭山田女:長脛彦さんも土蜘蛛なのかな?
大山田女:いいえ、古事記にも日本書紀にも、長脛彦さんが土蜘蛛とは書かれていません。天皇、朝廷に逆らった全ての人が土蜘蛛と呼ばれる訳でもなければ、全ての土蜘蛛が天皇や朝廷と戦った訳でもないのです。
狭山田女:私達は戦ってないもんね、少なくとも、表向きには。
大山田女:……ともかく、神武天皇が、山を越えて大和盆地に入る直前、忍坂(おさか。現奈良県桜井市忍阪(おっさか))で土蜘蛛(古事記には「土雲」と書かれている)を討っています。この土蜘蛛は、尾が生えていたと書かれています。
狭山田女:尾っぽ?まるで人間じゃないみたいだね。蜘蛛とも違うけど。
大山田女:そうですね。尾の生えている人、というのは古事記の中で他にも出てきます。忍坂よりもう少し前、吉野の山中で神武天皇が二人の尾の生えている人に出会っていますけど、二人は土蜘蛛とは書かれておらず、自ら「国津神」だと名乗っていて、また天皇の味方になっています。
狭山田女:ふーん、もしかすると、忍坂の土蜘蛛と吉野の国津神は、本当は同類なのかもしれないね。天皇の敵になったら蜘蛛、味方になったら神。
大山田女:狭山田さん、鋭いですね。もっとも神といっても、国津神の場合は悪神として退治される場合もありますけど。忍坂の前に、兄は天皇の敵となり、弟は味方となる土着民の首長の話もありますので、忍坂と吉野の「尾の生えた人」が同類で、敵味方に分かれたというのは本当にそうかもしれません。
狭山田女:あたし達は仲間割れしなくてよかったね!
大山田女:本当にそうですね。同族で殺し合うのは悲しいものですから……。ともかく、これが古事記に出てくる土蜘蛛の話で、実は古事記ではっきりと「土蜘蛛」と書かれているのは、この忍坂の箇所だけなのです。古事記は話に一貫性を持たせて全体の分量が少なくなっていますから、他の話は省略されたり採用されなかったりしたのかもしれません。
狭山田女:なるほど~。じゃ、次は「日本書紀」にいってみよう!

日本書紀に見る「土蜘蛛」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
大山田女:「日本書紀」は、古事記よりわずかに遅れて完成した書物ですが、ほとんど同時期のものです。古事記は皇室の私的文書のような扱いで、古代の「万葉仮名」、つまり「日本語」で書かれているのに対し、日本書紀は国家の正式な歴史書で、「漢文」、つまり「中国語」で書かれています。大まかな筋は古事記と同じですが、細部で異なる箇所も多く、また同じ話でも「異説」を多く紹介し、分量もかなりのものとなっています。
狭山田女:日本書紀には、沢山の土蜘蛛が出てくるんだよね。
大山田女:はい。固有の人名を持った土蜘蛛も沢山登場します。忍坂の話は日本書紀にもありますが、土蜘蛛とは呼ばれていません。日本書紀で最初に「土蜘蛛」という名が出てくるのは、長脛彦さんを討った次の記事で、大和盆地の三ヶ所でそれぞれ新城戸畔(ニイキトベ)、居勢祝(コセノハフリ)、猪祝(ヰノハフリ)という土蜘蛛達が、天皇に従わなかったので軍隊を派遣して殺させた、とあります。
狭山田女:いきなり具体的な人名が出て来るんだね。
大山田女:それに続いて、大和の高尾張邑というところに、人名は出て来ませんが土蜘蛛がいたと書いてあります。この土蜘蛛は身長が低く、手足が長くて、小人のようだった。天皇の軍隊は葛(つる草)で編んだ網を使って殺した。だから葛城という地名になった、と。(筆者注:このページ冒頭の文はこの箇所にあたる)。
狭山田女:今度は尾っぽほど奇抜じゃないけど、身長が低くて手足が長いっていう、また体の特徴が書いてあるね。
大山田女:そうですね。手足が長い、っていうのは土蜘蛛の特徴として、後で紹介する「風土記」にも書かれています。
狭山田女:ん?さっき尾が生えているから同族かもしれない、って話をしたけど、手足が長い、ってことで言えば、この土蜘蛛と長脛彦さんも同族になるんじゃない?「長脛」って、要は足が長いってことだもんね。
大山田女:狭山田さん、冴えてますね。私も長脛彦さんは土蜘蛛と同族だと思います。ましてどちらも天皇の敵ですし。
狭山田女:あ!それと体が小さくて手足が長い、っていうのは蜘蛛に似てるね!でも、「土」ってなんだろう。
大山田女:狭山田さん、「地グモ」という種類の蜘蛛を知っていますか?
狭山田女:うーん、地面に穴を掘って住んでる蜘蛛のことかなあ。
大山田女:そう。一般に蜘蛛は空中に巣を張りますが、中には地面に穴を掘って住む原始的な種類もいるのです。その代表的なものが「地グモ」。もしかしたら「土蜘蛛」というのは、元々地グモのように「土に住む蜘蛛」のことを意味していたのかもしれませんね。
狭山田女:だとしたら、地面に穴を掘って住んでいた「土蜘蛛」の人達がいたのかな?
大山田女:古事記の忍坂の土蜘蛛は穴にたむろしている描写になっています。日本書紀には岩屋を拠点としている土蜘蛛がいますし、風土記では穴に住んでいる土蜘蛛がいます。
狭山田女:そうかぁ、蜘蛛みたいな体で穴に住んでいたから、「土蜘蛛」っていうのかあ。
大山田女:……狭山田さん、私達は人間だったとき、手足が長くて身長が短かったですか?穴の中に住んでいましたか?
狭山田女:うん?うーん、そんなことはなかった気がするなあ。遠い昔のことだから忘れちゃったけど。にゃははは……。
大山田女:現代の歴史学では、「土蜘蛛」という名前が先にあって、そこから連想されて手足が長いとか、穴に住んでいたとかいうイメージが後付されたのではないかと言われています。手足が長いというのは、縄文系先住民の特徴だと言う説もありますけど、縄文人は穴じゃなくてちゃんとした家に住んでいましたしね。土蜘蛛が険しい地形に住んでいることが多いのは確かですけど……。
狭山田女:私達の住んでいた山田は別に険しい地形じゃないね。ちょっと川上の、ヨドヒメ様の神域は谷と岩山の険しい場所だったけど。
大山田女:そうですね。土蜘蛛は古文書に出てくるパターンが多すぎて、全てに当てはまるというような条件がないのです。八割方当てはまる、ということはありますけど。
狭山田女:それが朝廷に従順じゃない、ってことだね。
大山田女:それも土蜘蛛の全てに当てはまる訳ではありませんが、八~九割方に当てはまる、突出して有力な共通項です。なお「土蜘蛛」というのは、朝廷に従わない、特に東北地方の民を指して「蝦夷(エミシ)」と呼んだのと同じような、蔑んだ言い方だろうということです。蝦(エビ)も蜘蛛も虫の類ですし。ただ「土蜘蛛」の方が「蝦夷」よりも古い時代の呼び方のようですね。半ば神話の時代のことですから。だから尚更、姿形も妖しげなものにされてしまいがちだったのでしょうけど。
狭山田女:ところで日本書紀に出てくる土蜘蛛は、この葛城のところで終わりじゃないんでしょう?
大山田女:はい。でも神武天皇のところでは、もう出てきません。神武天皇の逆賊征伐の最後を飾るのが、この葛城の土蜘蛛征伐です。その次に現れるのは、十二代景行天皇と、十四代仲哀天皇の皇后・神功皇后のところで、どちらも九州征伐の中での話です。
狭山田女:いよいよあたし達の九州かあ。でもあたし達のことは日本書紀には出てこないんだよね?
大山田女:私達の事が記録されているのは「風土記」です。葛城の後の日本書紀掲載の土蜘蛛の話は全て九州ですし、風土記記載の土蜘蛛の話も、ほとんどが九州と東国、つまり中央から遠く離れた辺境でのものになります。日本書紀記載の九州における土蜘蛛の話は風土記と重複している箇所もありますので、次に「風土記」を見ることにしましょう。



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