邪神大神宮 道先案内(ナビゲーション)
鳥居(TOP)斎庭(総合メニュー)万邪神殿土蜘蛛宮土蜘蛛御由緒>土蜘蛛草子、中世と古代

「土蜘蛛草紙」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
大山田女:今から六、七百年前の「鎌倉時代」後期~「南北朝時代」にかけて描かれた、その名も「土蜘蛛草紙」という絵巻物があります。
狭山田女:土蜘蛛草紙! じゃあ土蜘蛛の話のために書かれた本なんだ。しかも絵もあるなんて。
大山田女:この絵巻物は、今も東京国立博物館にあって、国指定の重要文化財になっています。ほら、こんな絵が描かれているんですよ。
狭山田女:あっ、この絵見たことあるよ! そういえば前に大山田ちゃんに見せてもらったんだ。そうそう、私達よりずっと後の時代の人が描いた土蜘蛛の絵だって言ってたねえ。この絵が載ってるのが「土蜘蛛草紙」なんだ。うわぁ、改めて見ると、こりゃあ化物だあ。蜘蛛っていうか、虎の体に昆虫の足が生えたみたいだけど。
大山田女:この「土蜘蛛草紙」に書かれているのは、やはり頼光の土蜘蛛退治譚なのですが、話の筋がこんな風に大きく違っています。頼光が京の北山近くの蓮台野(れんだいの)に、郎党の渡辺綱(わたなべのつな)とともに出掛けたとき、空飛ぶ髑髏を見つけ、それを追っていくと神楽岡(かぐらおか)の古い家に着きました。頼光は綱を待たせて家に入ります。家の中は荒れ果てており、自ら二百九十歳だと語る老婆がいました。老婆は言うには、ここには魔塚があり人跡も途絶えてしまったということでした。老婆は自分を殺して欲しいと頼みますが、頼光は無視して家の中の他の場所を探ります。やがて夕方になり激しい雷雨となりました。数え切れない異形・異類のものが歩いてきます。化物と頼光は柱を挟んで対峙しますが、頼光の眼光を浴びると、彼らは笑いながら障子を閉めて去って行きました。次に異様に顔の大きい尼が現れ、灯台の火を消そうとします。頼光が尼を睨むとにこにこと笑っています。しばらくすると雪や霞が消えるように消え去りました。明け方近くになると、今度は絶世の美女が現れました。美女は白雲を投げ付けて来て、頼光は目が見えなくなりました。すぐに太刀で斬り付けると、美女は消え去りました。しかし、後には白い血が残っており、太刀にも白い血が付着していました。待たせていた綱とともに化物の行方を探ると、昨日の老婆がいたところに着きましたが、老婆はおらず、白い血が流れているだけでした。「既に食べられてしまったのだろう」と思い探し続けると、西の山の洞窟の中に白い血が谷川のように流れ出ていました。美女を斬ったとき、太刀の先が折れてしまったので、用心のため、藤や葛で人形を作り、烏帽子や衣を着せて前に立てて進みました。洞窟の奥に、何か巨大な化物がいました。化物は「体が苦しい」と大声で叫ぶと、そこへ先程折れた太刀の先が飛んで来て、人形に突き立ち、人形が倒れました。化物は何も言わなくなったので、頼光は神仏の加護を頼み、綱と力を合わせて化物を引きずり出しました。はじめは化物も戦おうとしていましたが、観念して仰向けになったので、頼光は首を刎ねました。見れば山蜘蛛という化物でした。美女に化けた際に斬られた傷から、死人の首が千九百九十個も出てきました。さらに脇腹を斬り裂くと、七、八歳くらいの人間の子供くらいの大きさをした小蜘蛛が、数え切れないくらい現れて走り騒ぎました。頼光と綱は首を埋め、化物の住処に火をかけて焼き払いました。この件で頼光と綱は恩賞を与えられ、位も上がりました、というお話です。
狭山田女:うわぁ、おどろおどろしい話だあ……。まるっきり「怪談」だね。
大山田女:平家物語の話と、共通点もありますね。
狭山田女:うん、まず死者だね。髑髏とか、塚とか。
大山田女:蓮台野というところは、鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)と並ぶ、平安京郊外の大規模な葬送地、つまり墓場だったのです。後には皇族の火葬なども行われるようになりましたが、平安時代の初期は風葬の地でしたから、そこら中に屍が転がっている、気味の悪い場所でした。
狭山田女:それから人に化けてるのも共通だね。法師じゃなくて美女だけど。人に化けたときに斬られて、血の跡をたどって追っかけるのも一緒だね。
大山田女:そうですね。それから倒される化物が「山蜘蛛」と呼ばれているのも同じです。
狭山田女:この本の名前は「土蜘蛛草紙」だし、「山蜘蛛」=「土蜘蛛」と考えてよさそうだね。「山」と「土」は同じと言えば同じだし。
大山田女:「大地」に関わる属性のものを表わしていると思えば同じことですね。
狭山田女:でも平家物語の話みたいに、「山蜘蛛」自身が死者の怨霊かどうかは分からないね。平家物語じゃ塚に住んでるみたいだけど、土蜘蛛草紙じゃ洞窟だもんね。
大山田女:確かに、そうです。もっとも平家物語でもはっきりと死者の怨霊と書いてあるわけではないですし、土蜘蛛草紙と共通して言えるのは、死や死者のイメージと強く関連付けられているということでしょう。
狭山田女:お腹から首がいっぱい出てくるのも死者のイメージと結び付けられてる感じだね。
大山田女:そのように「人食い」の属性があるところは平家物語とは違います。そもそも平家物語では蜘蛛のほうから積極的に呪いを掛け、頼光のほうは受動的に苦しんでいます。土蜘蛛草紙では頼光が積極的に魔の住処へ出掛けていていって、その勇敢さが強調されているのは大きな違いですね。そういうところもあって、平家物語のほうは実体の薄い怨霊的な存在、土蜘蛛草紙のほうは実体のある怪物、という感があります。
狭山田女:でも確かなのは、頼光が、平安京の郊外で、死のイメージがつきまとう、人に化ける「山蜘蛛」を刀で斬る、という伝説があったということかな。
大山田女:そうですね。中世、そういう伝説が人によく知られていたのは確かでしょう。

中世の「土蜘蛛」と古代の「土蜘蛛」との関係 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
狭山田女:でもこの妖怪「山蜘蛛」は、あたし達古代の「土蜘蛛」と関係あるのかな。古代の「土蜘蛛」もちょっと人間じゃないような書かれ方もしてるけど、ここまであからさまに化物な訳じゃないし、古代の「土蜘蛛」には死のイメージはなかったよね。
大山田女:一つには、古代に「土蜘蛛」と呼ばれた、私達のような人達の末裔が、平安京の郊外に住んでいて、討伐された、というような事も考えられなくはありません。
狭山田女:そうだね。酒呑童子や悪路王みたいな鬼は、朝廷に討伐された人達がモデルみたいだから、似たようなもんだったのかな。
大山田女:平安時代には、いやそれ以前からですが、東北の蝦夷を「俘囚(ふしゅう)」と呼び、強制的に諸国に移住させるというようなことが行われました。古代の土蜘蛛のところで言った「佐伯部」と同じです。
狭山田女:平安京の近くに移住させられたこともあるのかな。
大山田女:平安京のある山城国にも移住はあったようですし、一旦都に連れて来られた俘囚が逃げ出したりして、郊外に住んだ可能性もあります。
狭山田女:そういう人達が討伐されたかもしれないんだね。
大山田女:もしそうだとしたら、蝦夷自体を角の生えた鬼のように考えたりしていたのですから、彼らも化物ということになるでしょう。あるいは、討伐されたそういう人達の「怨霊」を恐れたのかもしれません。
狭山田女:なるほど~。
大山田女:あるいは、史実の有無に関係なく、平安京のすぐ外の「魔界」、特に死者がうごめく世界に想定された、怨霊などをベースにした化物なのかもしれません。
狭山田女:さっき、「都の外は異界、魔界」って言ってたね。
大山田女:はい。平安京の外が魔界だとして、そのすぐ外、というのは「境界」の世界です。そういう「境界」というのは、これまた「魔」の世界だと古の人々は認識していました。例えば道の交わる「辻」、こういう場所にはよく化物が潜んでいると言われますが、辻というのは空間的「境界」です。また昼から夜に移行する夕暮れ時は「逢魔が時」と言って、化物の出る時間として恐れられましたが、これは時間的「境界」です。「境界」というのは「魔」につながるようなものとして恐れられたのです。まして「魔界」との「境界」ならなおさらですね。
狭山田女:「境界」といえば、古代の土蜘蛛は「境界上の存在」だったね。朝廷の勢力圏内と勢力圏外の。
大山田女:そうですね。「境界」=「魔界」という考えと、「境界上の存在」である古代の「土蜘蛛」が結びついて、巨大な蜘蛛の化物としての「土蜘蛛」がイメージされたのかもしれません。もともと古代の土蜘蛛も半ば化物のような書かれ方をされていて、化物としてのイメージもありました。朝廷からすれば蝦夷などと同じような人だか化物だか分からないような存在という。そのイメージと言葉は、平安時代にも受け継がれたのでしょうが、怨霊を極度に恐れる時代になり、あらぬ方向に膨らんでいったと思います。また日本書紀などの文献は平安時代にも読まれていますが、そこで半ば化物扱いされている土蜘蛛が、朝廷によって殺されている話が載っている訳で、平安時代の人々がそれを読めば、はるか太古の土蜘蛛の怨念がいまだ朝廷に向けられていると思うのは、自然なことでしょう。
狭山田女:もともと化物みたいに書かれている土蜘蛛の怨念が、今も朝廷に向けられている、と当の朝廷の人達が想像したら、蜘蛛の化物に行き着いたのかな。
大山田女:そうですね。そしてそれが平家物語や土蜘蛛草紙にあるような、京の郊外に現れる、という伝説が生まれるきっかけが、何かあったのでしょう。それが移住させられてきた俘囚で、頼光に討伐されたのかは定かではありませんが。
狭山田女:確かに、京の郊外に、古代の土蜘蛛と何の関係もなく、「土蜘蛛」が現れるのも変だからね。現れるのは「土蜘蛛」じゃなくてもいいし、「土蜘蛛」が現れるのも京の郊外じゃなくてもいいし。もしかして、怨霊を恐れるような朝廷の人達が怖がるだろうと思って、「土蜘蛛」を名乗った盗賊がいたとか。実際その盗賊が、「俘囚」だったり、「佐伯部」の末裔だったり。あたしは、「土蜘蛛草紙」で土蜘蛛が美女に化けてるのが気になるね。まるで、あたし達みたいな、古代の土蜘蛛の女首長みたい。
大山田女:それも古代の土蜘蛛と関係あると思います。
狭山田女:死霊を呼び出す巫女が京の郊外の墓場にいたのかもしれないね。それがまた俘囚や佐伯部の末裔だったり。
大山田女:そういう巫女が治安を乱したとかの理由で捕らえられたり殺されたりしているかもしれませんね。もちろん、土蜘蛛のイメージが膨らんでいく過程で古代の土蜘蛛の「女性首長が多い」という要素から「美女に化ける」という話が生まれたのかもしれませんが。とにかく、古代の土蜘蛛のイメージが、平安時代に何かのきっかけで膨らんでいって、中世になって平家物語や土蜘蛛草紙のような伝説になったのでしょう。何にせよ、妙な話ですが、はるか古代の土蜘蛛よりも、中世の土蜘蛛のほうが、正体不明の存在なのです。
狭山田女:それでも確かに言えそうなのは、平安時代や中世の人々も、古代の土蜘蛛を忘れてはいなかったってことだね。特に、その恨みっていうか、滅ぼした後ろめたさっていうか、土蜘蛛の「怨念」を。
大山田女:そうです。それが能の「土蜘蛛」を見るとよく分かります。



最初に戻る 次の項へ 八束脛門へ戻る