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能「土蜘蛛」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
狭山田女:「能」っていうと、あの能舞台で能面を着けて舞うやつだよね。鼓をカッポンカッポン鳴らしながら。
大山田女:日本の代表的な伝統芸能であり、舞台芸術ですが、「土蜘蛛草紙」と同じ頃に成立したようです。その演目の一つに、「土蜘蛛」があります。
狭山田女:うん、能に「土蜘蛛」があるってのは聞いたことあるね。内容はよく知らないけど。
大山田女:能の「土蜘蛛」は作者不明ですが、「南北朝時代」の後、「室町時代」には完成していたようです。話の筋は、平家物語のものをベースにしていますが、少し内容が異なります。まず、頼光が病に苦しんでいるところへ、侍女の胡蝶が典薬頭(てんやくのかみ、朝廷の医療と薬を管理する役所の長)からの薬を持って見舞に来ます。胡蝶は弱気になっている頼光を慰めて退出しますが、夜になり、いつの間にか部屋には怪しい僧が現れ、古歌を詠じて頼光に千筋の蜘蛛の糸を投げかけます。頼光はとっさに名刀「膝丸」で斬り付けますが、僧は傷を負いながらも姿を消してしまいます。駆けつけた郎党の独武者(ひとりむしゃ)に訳を話し、「膝丸」を称えて「蜘蛛切」と名付けます。独武者は他の武者を引き連れ、血の跡をたどり、大和葛城山の古塚までやって来ます。武者達が塚を崩すと、中から火焔や水を放ちつつ土蜘蛛が現れ、こう語ります。「お前は知らないだろうが、我は古より、葛城山にて年を経た、土蜘蛛の精魂である。天皇の治世に災いをもたらさんと頼光に近づいたが、逆に命を絶つというのか」。そして独武者は激闘の末、土蜘蛛を討ち果たし、首を落として都へ帰ります。こういうお話です。
狭山田女:へーっ、能の「土蜘蛛」じゃあ、土蜘蛛がいるのは葛城なんだ。葛城といえば、日本書紀で神武天皇に土蜘蛛が討たれた場所だよね。
大山田女:そうですね。平家物語や土蜘蛛草紙という、他の中世土蜘蛛伝説と比較して、最も大きく異なるのが、土蜘蛛の住処です。何と言っても日本書紀に土蜘蛛がいて、倒されたと書かれている場所ですから。
狭山田女:しかも「葛城山にて年を経た」と言ってるね。神武天皇の時代から、頼光の時代まで、「年を経た」ってことでしょ?
大山田女:そうです。おそらくは神武天皇に討たれた「人」としての「土蜘蛛」の、怨念に満ちた魂が、長い年月を経て、蜘蛛の化物になった、ということだと思います。
狭山田女:しかも、神武天皇の子孫に、復讐を果たそうとしてるんだよね。
大山田女:神話の時代から、平安時代までの、時間軸を踏まえたお話ですね。
狭山田女:これはまさしく「怨霊」だねえ。
大山田女:全くもってその通りですね。時間的なスケールでは最も大きなレベルの「怨霊」です。この能の作者が、中世に成立した平家物語や土蜘蛛草紙に見られるような伝説を、古代の神話にまで結びつけて大きなスケールにしたのかもしれませんが、その結びつけが完全に作者の創作、という訳でもないでしょう。あまりに飛躍が過ぎる結び付けをしては、鑑賞者が納得してくれませんからね。それなりに鑑賞者が納得できるものだからこそ、結び付けられたのでしょう。もともと中世の化物としての土蜘蛛は、古代の人としての土蜘蛛の怨霊、という認識が共通してあったと思います。それはこれまで見てきた通りですね。少なくとも、能において突然中世と古代の土蜘蛛が結び付けられたのではなく、中世の土蜘蛛自体が、古代の土蜘蛛を念頭に置いたものだというのは確かでしょう。その起源は、平安時代にあると思います。

葛城山の「土蜘蛛」 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
狭山田女:ところで、古代の土蜘蛛は日本の色んな場所に出てくるのに、どうしてこの能の作者は葛城を選んだんだろうか。
大山田女:一つには、都からの近さがあるでしょう。九州や関東、東北では、話に無理が出てしまいます。もう一つは、神武天皇という、時代的な古さや、より「神」に近い存在に倒された土蜘蛛のほうが、「魔」としての恐ろしさを相対的に強められたからではないでしょうか。
狭山田女:なるほど、でも神武天皇に倒された土蜘蛛は、他にもいるよね。場所も、同じ大和の国の中で。
大山田女:それは、葛城という場所の持つ特殊性が大いに関係していると思います。葛城という場所は、良くも悪くも神秘性に満ちた場所だったのです。葛城は古代豪族「賀茂氏」発祥の地であり、京の「上賀茂神社」「下鴨神社」のルーツである「高鴨神社」という神社があります。高鴨神社の祭神である、賀茂氏の祖神は、国津神の首長・大国主神の子で、龍神のようにも語られる味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)です。この神は古事記で「迦毛(カモ)之大御神」と呼ばれますが、「大御神」の名が付くことがあるのは他に高天原の主神・天照大神と、神々の父・伊邪那岐神だけなのです。また賀茂氏の祖神は神武天皇を案内した三本足のカラス「八咫烏(ヤタガラス)」とも言われているのです。そこから少し山を登ったところには、高天(たかま)という地名の場所があり、高天彦(たかまひこ)神社という神社がありますが、こここそ「高天原」だとする伝承があります。なお、この高天彦神社のすぐ近くに、土蜘蛛を埋めたという「蜘蛛塚」があります。
狭山田女:なるほど~、古代から神聖な場所だったんだね。
大山田女:また葛城には、「一言主神(ヒトコトヌシノカミ)」という神が鎮まっていることも知られています。この神は古事記にも日本書紀にも、二十一代雄略天皇が葛城で狩をしたとき、天皇の行幸の列と全く同じ様で現れたことが記されています。一言主神は良い事も悪い事も一言で言い放つ託宣の神で、現在も葛城に一言主神社があり、篤く信仰されています。この一言主神社の境内にも、「蜘蛛塚」があります。
狭山田女:葛城には色んな神様がいるんだね。確かに普通じゃない、神聖な場所だね。
大山田女:さらに、先程の賀茂氏の子孫には、修験道の開祖・役小角(エンノオヅヌ)がいます。彼は葛城に生まれ育ち、葛城山や隣の金剛山に登って修行して、ついには空をも飛べるようになり、数々の鬼神を使役したといいます。また賀茂氏は、後に陰陽道を司る家系となりました。あの安倍晴明に陰陽道の手ほどきをしたのも、賀茂氏の子孫です。
狭山田女:神様だけじゃなく、超能力者とも関わりがあるんだ。
大山田女:ところで先程の一言主神は、古事記では天皇のほうが恐れ畏まって拝んでいます。日本書紀では、天皇と神がともに狩りを楽しんでいます。平安初期に書かれた「続日本紀」では、天皇と獲物を争った罪で、何と神のほうが土佐に流刑になってしまいます。さらにその数十年後に書かれた「日本霊異記」では、役小角に使役される立場になり、それを不満として朝廷に「小角が謀反を起こそうとしている」と訴え出て、小角は伊豆に流刑となるのです。
狭山田女:後の時代に書かれた本ほど、神様の立場が悪くなってくんだね。流刑になったり使役されたり、悪くなるなんてもんじゃないけど。
大山田女:この一言主神の零落は、賀茂氏の立場の低下を反映したものだと言われていますが……それはともかく、神が悪い立場に落ちていくと、どうなると思います?
狭山田女:「邪神」になったり、「鬼」になったりするね。「悪い神」とか呼ばれて。
大山田女:要するに、魔物、化物になりますよね。そもそも神と魔物は、紙一重のところもありますが。
狭山田女:ああそうか、葛城は神聖な場所なだけじゃなくて、魔物のいる場所ということにもなるんだ。良くも悪くも神秘性に満ちた場所、っていうのはそういうことだね。
大山田女:特に役小角は平安時代や中世には非常に有名な人物で、今でも強く信仰されていますから、葛城山が神聖でかつ魔も住む山というのは、能「土蜘蛛」が作られた時代にはよく知られていたことでしょう。
狭山田女:うん、葛城が選ばれた理由がよく分かった。
大山田女:ところで、古代の土蜘蛛の話をしたとき、古代の大和王権で王朝替わったという説がある、と言いましたよね。
狭山田女:十代崇神天皇のとき、だったかな。
大山田女:その前にあった王朝が、「葛城王朝」といって、その拠点が葛城にあったというのです。
狭山田女:うへぇー、葛城にはそんな話もあるんだ。
大山田女:ここを拠点にした古代豪族「葛城氏」が、相当に有力な氏族だったのは確かなようです。一時期朝廷を席巻した「蘇我氏」も「葛城氏」に関係があるようですし。いずれにしても、平安時代にはすっかり衰えてしまったようですが、葛城という場所は、古代、重要な場所でした。今でも「神話の里」と言われる程に。
狭山田女:うーん、大昔に栄えただけに、そういう場所が衰えてしまったら、「怨念」みたいなものが残るような気もするね。でも……もしかしたら、ここにいた「土蜘蛛」っていうのは、一言主神と関係ないのかな。まるで魔物のような立場に落ちちゃった神様と、正真正銘の魔物と。一言主神社の境内に、「蜘蛛塚」があるって言ってたし。
大山田女:……多分、無関係ではないでしょう。恐らく「賀茂氏」とも。
狭山田女:実は、ものすごく昔に、「葛城王朝」があって、それが滅ぼされる前に、仲間割れが起きて、新王朝に付いたのが「賀茂氏」、敵に回って討たれたのが「土蜘蛛」だったとか。敵に回った側にも許された生き残りがいて、それが役小角のときに微妙な関係になったとか。
大山田女:……そういうことも、あったかもしれません。確かに葛城という場所は、今話してきたような様々な周囲の状況を考えると、ここにいた「土蜘蛛」は、ただ者ではないのかもしれません。そこまで考えていたかどうかは分かりませんが、能「土蜘蛛」の作者も、土蜘蛛の本拠地にするなら葛城こそふさわしい、と思ったのは確かですね。能の流派の一つに金春(こんぱる)流がありますが、この流派は先祖を聖徳太子の時代の豪族・秦河勝(ハタノカワカツ)と仰ぐ古い家系で、秦氏自身は十五代応神天皇の時代に渡来した、秦の始皇帝の子孫とも言われています。また平安京以前から、鴨川下流域に勢力を張った秦氏と、鴨川上流域に勢力を張った賀茂氏は関係が深かったようですし、もし、能「土蜘蛛」が金春流の手になるものだとしたら、何か知っていて書いた可能性もあります。金春家には、古の神々に関する秘伝もあって、ほんの五十年くらい前にも発見されたようですから。
狭山田女:へえぇぇ……何だか奥の深い話だね。もしかすると、土蜘蛛草紙のところで話したように、平安時代に葛城山に本拠地を置く、「土蜘蛛」の子孫、または「土蜘蛛」を名乗る人が、本当にいたのかもしれないしねえ。葛城がそういう場所なら、そんなことも有り得るかも。
大山田女:そうですね、ないとも言えないでしょう。かなり話が脱線して、中世から古代に戻ってしまいましたが、ともかく、能「土蜘蛛」にはこんな特色があります。

「土蜘蛛」は女性に化ける 前の項へ 次の項へ 最初に戻る
狭山田女:うん。あと、ちょっと特色があるのは、胡蝶っていう女の人が出てくるところかな。
大山田女:そうですね。実はこの胡蝶というのも、土蜘蛛の化身ではないかという説もあります。
狭山田女:胡蝶が土蜘蛛。まあ、最初に出て来るんだし、何か意味がありそうだけどね。
大山田女:本物の胡蝶は土蜘蛛に食べられてしまったという解釈も可能ですからね。また、能「土蜘蛛」をベースにしたと思われる、歌舞伎や神楽の「土蜘蛛」では、もっとはっきりと土蜘蛛が胡蝶もしくは別の女性に化けているものもあります。
狭山田女:蝶は蜘蛛に食べられてしまうものだし……「象徴的」ってやつかな。でもだとすると、ここでも女に化けてることになるね。
大山田女:これもおそらく、古代から脈々と伝えられてきた、「土蜘蛛には女性首長が多い」ということの反映でしょう。これも「象徴的」ですね。葛城と土蜘蛛の関係を知るこの能の作者なら、女性と土蜘蛛の関係を知っているでしょうし。土蜘蛛の女性首長について書かれている「風土記」は中世にも伝えられていますしね。それでなくとも少し前に出来た土蜘蛛草紙では美女に化けているのですから。
狭山田女:あ、もしかすると、葛城山に本当に平安時代に「土蜘蛛」のモデルになった人がいて、その人が女だったのかもしれないね。さっきちょっと話が出た、紅葉ちゃんだって、平安時代でしょ?
大山田女:そうですね……土蜘蛛と同じく能の題材となった鬼女紅葉さんが、平安時代の戸隠山に実在したなら、同じく平安時代の葛城山にも女性の「土蜘蛛」がいたのかもしれません。どちらも神話に絡む山で、修験道の聖地でもありますし。
狭山田女:うん。平安時代の葛城山に「鬼女土蜘蛛」がいたのかもしれないね。



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