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土蜘蛛紀行 肥前編
其之壱、佐賀─ロ、與止日女神社
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狭山田女:ヨドヒメ様、帰ってまいりました!
大山田女:私達の神様、ヨドヒメ様をお祭りする、與止日女(よどひめ)神社ですね。さあ、ヨドヒメ様にご挨拶しましょう。

大山田女:これは嘉瀬川です。こちらが上流方向。左の川べりの森が與止日女神社で、奥の山が神体山、金敷城山(かなしきしろやま)ですね。
狭山田女:ヨドヒメ様は川の神様だからね。海の神様、山の神様でもあるけど。

大山田女:與止日女神社の別名も河上神社ですし、地名も川上で、川と縁が深い事が今でもよく分かります。こちらが下流方向。上流方向と合わせて見ると、現代でも、與止日女神社が、川が山から平地に出る場所に鎮座されているのが分かりますね。
狭山田女:うん。景色は少し変わっちゃったけど、地形は変わらないもんね。

大山田女:それでは、お参りしますよ。
狭山田女:うん、お参りしよう。與止日女神社のことも、詳しくはここを読んでね。

大山田女:これは樹齢千四百年の大楠です。
狭山田女:立派な御神木だね。千四百年前っていうと、あたし達の時代の何百年か後かな。

大山田女:こちらに御由緒が。後の伝承によって、ヨドヒメ様は神宮皇后の妹とされていますが、それでも海神としての属性は忘れ去られず、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)という言い伝えも残りました。
狭山田女:昔は川と山を拝む場所だったけど、さっきの大楠が生まれた頃に、朝廷の神社として建てられたんだね。

狭山田女:金精様(コンセイサマ)か。ヨドヒメ様は子宝の神様でもあったからね。もしかしたらあたし達が昔拝んでたのと同じのかもしれないね。
大山田女:……そ、そうかもしれませんね。
狭山田女:ふる~い御由緒が書いてあるからやっぱりあたし達が拝んでたのと一緒かも。あれ、大山田ちゃん、どうしたの?

大山田女:……。
狭山田女:あ、そっかあ、大山田ちゃん、こういうの苦手だったっけ。それにしても、金精様の上の人形が気になる……。
大山田女:に、苦手なんかじゃないですし、人形なんて気になりません!いいから早くお参りしましょう!
狭山田女:ああ~、ごめん待って待って。

大山田女:こちらが與止日女神社の御社殿。手前が拝殿、奥が本殿ですね。
狭山田女:あたし達の時代にはもちろん御社殿なんてなかったけど、今でも明るいけど静かな雰囲気で、いい神社だよね。

狭山田女:ここは拝殿の中だね。「火国鎮守」っていう額が真ん中に掛けてある。
大山田女:ここは肥前国の一の宮ですから。火の国は肥の国です。私達の後の時代も、ヨドヒメ様が強く信仰された証ですね。一の宮というのは、その国で一番格式の高い神社ですから。朝廷からも重んじられた訳です。

大山田女:こちらは御社殿を後ろから見たところです。
狭山田女:本殿も立派だよね。

狭山田女:ここは御社殿の後ろだね。あたしはこういう石の祠が結構好きなんだ。
大山田女:これらは全て境内社ですね。お参りして行きましょう。

大山田女:神社の右奥からも嘉瀬川が見えます。赤い橋は、官人橋です。
狭山田女:屋形船が置いてある。対岸の白い建物は旅館だよね。
大山田女:ここは川上峡といって、「九州の嵐山」とも呼ばれる観光地ですから。温泉もありますし。



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狭山田女:さて、次はいよいよヨドヒメ様の宿られる磐座かな。
大山田女:はい。與止日女神社への行き方は、左の地図を参照して下さいね。



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