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土蜘蛛紀行 肥前編
其之壱、佐賀─ヘ、肥前国庁跡
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狭山田女:ここは、山田の里の対岸だね。何だか立派な門があるよ。
大山田女:あれは国指定史跡「肥前国庁跡」に復元された南門と築地塀(ついじべい)です。
狭山田女:「国庁」って事は、肥前の国のお役所って事かな。
大山田女:そうですね。今で言う県庁に当たります。肥前国の中心です。

狭山田女:ふ~ん、こんな感じの建物だったんだ。二百年くらい使われてたんだね。
大山田女:ええ。ちなみにこの国庁が建てられた八世紀後半というのは、私達の事が書かれている「肥前国風土記」が出来た時代でもあります。
狭山田女:そうかあ。そう思うとなかなか感慨深いね。

大山田女:門を越えてみましょう。石で囲ってあるところが、国庁の建物があった場所です。奥の樹木の垣根は、塀のあった場所を表しています。そのずっと奥に、ヨドヒメ様の鎮まる金敷城山が見えますね。
狭山田女:ヨドヒメ様の山の麓に、肥前国の中心があったんだね。

大山田女:こちらは門とは反対側の端です。
狭山田女:復元してあるのは、門と塀だけなんだね。
大山田女:遺跡の復元というのはお金が掛かりますから。特に奈良時代や平安時代の建物は、装飾が多かったり造りが複雑だったりしますからね。あの平城宮の大極殿ですら、ようやく復元が終わろうとしているくらいですから。

狭山田女:あの建物は?
大山田女:あれはこの遺跡から出てきた出土品を展示したり、遺跡の説明を掲示したりしている、資料館です。国庁跡の事がよく分かりますよ。
狭山田女:よし、入ってみよう。

大山田女:狭山田さん、このパンフレットのここを見て下さい。
狭山田女:あっ!さっき見た「まほろちゃん」だ!資料館の中にもところどころ描いてあるね。
大山田女:右の男の子は「大和くん」、それからこのパンフレットにはありませんが、もう一人「美古都(みこと)ちゃん」という女の子のキャラクターがいます。

狭山田女:あっ!こんなところにも。何だか大宮司の好きそうなキャラクターだよね。
大山田女:あまりそういう事を言うと、作者の大宮司の名誉に関わると思いますが(苦笑)、本当は大宮司は、このキャラクターを私達の依代(よりしろ)に使いたかったそうです。でも、格好の人形(ひとがた)が手に入らなかったとか……。

狭山田女:……ま、まあ、ヨドヒメ様をモデルにしたキャラクターにあたし達が宿るなんて、畏れ多いから、良かったんじゃないかな。それにしても、あたし達の故郷が、その後肥前国の中心になったっていうのは、やっぱり豊かだったからかな。
大山田女:そういう事もあるでしょうし、国を治めるのに都合のいい場所という事もあるのでしょう。この遺跡から七、八キロ程南下すると、佐賀城と佐賀県庁があります。国の中心とするのには、地理的に良い場所なのでしょうね。
狭山田女:そうかあ、そう思うとあんまり国の中心は昔から変わってないんだね。それとヨドヒメ様の神社も肥前国一宮だったよね。
大山田女:いいところに気が付きましたね。そう、この国庁は、国の信仰の要にも近い場所なのです。これは国を治めていく上で、重要な事だったと思います。
狭山田女:あたし達の後の時代の人達も、ヨドヒメ様を大事にしていたんだね。お役人達も。
大山田女:ええ、色々な意味で重要だったのだと思いますよ。風土記に荒ぶる神と書かれたり、それを鎮める為に私達が協力したと書かれたりした事も、この場所に国庁があった事と、大いに関係があると思います。そして、私達が実際にあの時置かれた立場や、あの時取った行動も……。


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狭山田女:うん。こうして国の中心になって、ヨドヒメ様が大事にされたのなら、あたし達がした事にも意味があったよね。
大山田女:そうです。ずっとずっと後の世の事まで考えて、あの時私達はああしたのですから……。
狭山田女:この先もこの地に幸いあれ、だね。肥前国庁への行き方は、左の地図を参照してね。



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