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紅葉紀行
其之六、秋の戸隠 イ、紅葉稲荷社
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 紅葉伝説におけるクライマックスを飾る舞台・紅葉の岩屋の麓に鎮まり坐す紅葉稲荷社は、「奥の岩屋」に本宮が祀られおり、麓の荒倉キャンプ場手前の紅葉稲荷社は前宮である。「奥の岩屋」とは、戸隠に唯一残る修験道寺院・公明院の姫野公明師によって真の紅葉の岩屋とされた、紅葉の岩屋よりもさらに山の上にある岩穴。眺望もよく標高も高くて砦としての防御性は高いが、その分あまりにも足の便が悪く、穴自体も小さいので、生活の場としては不適切だという声もある。なお「奥の岩屋」は周辺が崩れていて危険なため、今は近づくことができないらしい。
 その姫野公明師の十七回忌を期して、昭和六十一年に「鬼女紅葉を偲ぶ会」が建立したのが、紅葉稲荷社前宮だということである。ここで毎年十月に「鬼女紅葉祭り」が行われる(紅葉紀行特別編参照)。なお、紅葉紀行其之一では「紅葉稲荷神社」と書いたが、正確には「紅葉稲荷社」らしい。

朝靄の立ち込める、紅葉稲荷社全景。平成十六年十月十六日撮影(紅葉祭りの前日)。この年は紅葉(こうよう)が遅く、まだ木々が青々としている。

鳥居に掛けられた「紅葉稲荷社」の扁額。

境内に向かって左にある石碑。一行目に「紅葉稲荷社前宮建立由来の碑」と書いてある。

境内向かって左に鎮座する、この祠が紅葉稲荷社前宮である。

境内奥にある巨岩と祠は「山の神」。これは紅葉が荒倉山に籠もるに際して自ら祀ったものだという。やはり紅葉は山の神を奉じるシャーマンだったようだ。また実際山の神は紅葉稲荷社と違って古くから祀られており、地名にもなっているという。

山の神の案内板。損傷が激しくて読みにくいが、前半は上の写真のところで書いたような内容、後半は下駄の歯跡がついた岩、駒の爪跡石がある旨が書いてある。

「山の神」に祀られる祠。手前の小さな畳は私が紅葉様の撮影に使った際置いたもので、この後このまま忘れていってしまった。次の日は紅葉祭りだったので、主催者の皆様が片付けて下さったことだろう。ゴメンナサイ。

境内向かって右にある「木戸」の案内板。紅葉稲荷社手前の急坂のことを指す地名で、上木戸と下木戸に分かれている。この地形を利用して紅葉軍が木戸を置き、守りを固めたとか。ここでは紅葉軍と維茂軍の激闘が繰り広げられたという。

紅葉稲荷社の道を挟んだ向かいにある駒の爪跡の案内板。書いてある通りだが、草が生い茂っていてよく分からなかった。それと山の神の案内板にあった「下駄の歯跡のついた岩」はどこにあるのだろう。もしかして山の神の巨岩のことだろうか。ちなみに案内板が駒の「瓜」になっているのはご愛嬌。

こちらは十一月上旬の紅葉稲荷社全景。境内の地面は落ち葉のじゅうたんになっている。


大きな地図で見る
紅葉稲荷社の場所は左の地図の通り。また、以前訪問した様子はこちら。ここで行われる「鬼女紅葉祭り」に関してはこちら(第四十六回)こちら(第四十七回)



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