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土蜘蛛紀行 大和編 其之壱、葛城
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土蜘蛛紀行一覧
土蜘蛛紀行 大和編
其之壱、葛城─ハ、長柄
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狭山田女:高鴨神社から、また少し山側へ戻ったね。このへんは、なかなかいい眺めだねえ。
大山田女:葛城地域というのは南北に長くて、南部は東西とも山に挟まれた谷です。北部は東側が大和盆地で、西側はずっと金剛山地が続き、その山裾は緩やかに東に傾斜していますので、このように大和盆地を見下ろせるのです。
狭山田女:こっちは山側だね。
大山田女:あれが金剛山です。標高は一〇ニ五メートル。山の向こう側(西側)は大阪府、昔で言えば河内国ですね。大和国と河内国の境にある山です。金剛山から数キロ南に向かえば、紀伊国、現在の和歌山県です。
狭山田女:北側にある、あの山も立派だね。
大山田女:あれが葛城山です。標高は九五九メートル。葛城山の向こうも大阪府です。私達はこれから北へ、あの葛城山の麓へと向かって行きます。
狭山田女:ここはどこかな?
大山田女:ここは同じく御所市の、長柄(ながら)に鎮座する長柄神社です。
狭山田女:あ、あそこに案内があるよ。
狭山田女:ふうん、なるほど、長柄っていうのは古い地名なんだね。ところでここは土蜘蛛とどんな関係があるの?
大山田女:日本書紀の、神武天皇の軍による葛城の土蜘蛛征伐の前に、大和の別々の場所にいた三人の土蜘蛛を討った話があります。そのうちの一人、猪祝(ヰノハフリ)という土蜘蛛が、臍見(ほそみ)の長柄(ながら)の丘岬(をかさき)にいたと書かれています。その長柄が、ここなのだそうです。詳しくは
こちら
を。
狭山田女:この猪祝と、葛城の土蜘蛛は、別なのかな? 長柄も葛城の一部だよね。
大山田女:日本書紀では、猪祝達の話のすぐ後に葛城の土蜘蛛の話が書かれていますが、内容はかなり違いますので、明らかに別の存在として書かれていますね。
狭山田女:これは本殿だね。それにしても、同じ葛城の土蜘蛛なのに、別に、しかも続けて書いた、ていうのも変な感じだなあ。
大山田女:猪祝のいたという長柄は、ここではなくて天理市の長柄町だという説もあります。確かに、その方が、他の二人の土蜘蛛の根拠地に近いのです。どちらも奈良市や天理市など、大和盆地の東側ですから。
狭山田女:そうかあ、葛城は大和盆地の西側だもんね。
大山田女:しかも、こちらは大和盆地の西南、奈良市や天理市は、東北で、距離も結構離れています。まあ、はっきりとしたことは分からないのですが。
狭山田女:そっか。ところで丘岬ってのは、丘の先っぽってことかな?
大山田女:そうですね。平地に突き出している丘の先端部とか、その麓とかの意味ですね。平地を海と考えるとイメージしやすいと思います。
狭山田女:そういう意味では、さっきの案内にあった、地名の由来に当てはまってるね。
大山田女:だから候補地なのでしょうね。ちなみに猪祝の「祝」とは、神官や巫女など、神に仕える人、シャーマンを意味します。猪祝の性別は分かりませんが、卑弥呼のような存在だったのでしょう。土蜘蛛がシャーマンとして描かれていることは結構多いのですが、ここでは名前になっていますね。ちなみに三人の土蜘蛛のもう一人は居勢祝(コセノハフリ)といって、やはり「祝」という名前を持っています。この居勢祝がいたと書かれている場所は、天理市内とされていますが、「居勢」という名の由来は、現在も御所市の古瀬(こせ)に名を残す、「巨勢(こせ)」という地名だとも言われています。この地域を根拠地にした巨勢氏という豪族もいます。この「巨勢」を「居勢」と書く例もあります。そうすると、猪祝が地理的に他の二人から離れているとも言えなくなり、長柄も葛城のほうだとする根拠になりますね。古瀬は今、この長柄と同じ御所市にありますが、巨勢という場所は葛城地域にも一部含まれているのです。
狭山田女:そうかあ……。猪祝がいた長柄が葛城の長柄なら、この長柄神社はその時代からの神殿なのかもしれないね。祭神は女神だったけど、もしかして実は猪祝は女性シャーマンで、女神っていうのも実は猪祝のことだったりして……。
大山田女:ちなみに長柄神社祭神の下照姫命(シタテルヒメノミコト)は、高鴨神社にも祭られていましたが、神話上では、その高鴨神社の主祭神・味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)の妹となっています。
狭山田女:高鴨神社と縁が深いんだね。そういえば、さっきの案内に、長柄神社の俗称を「姫の宮」っていうって書いてあったけど。
大山田女:これは高鴨神社に対しての「姫の宮」とも、あるいはこの近くに鎮座する一言主(ひとことぬし)神社に対しての「姫の宮」だとも言われています。長柄神社の祭神は、高照姫命(タカテルヒメノミコト)とも言われているのですが、高照姫命は、事代主神(コトシロヌシノカミ)の妹です。そしてその事代主神は、一言主神社の祭神・一言主神と同一視されることもあるのです。ちなみに一言主神社は、葛城の土蜘蛛と非常に深い関係のある神社です。
狭山田女:あれ、意外なところで土蜘蛛との関係が。
大山田女:さらに言うと、味耜高彦根神と事代主神はともに大国主命の子で、このニ神も同一の存在という説もあります。それに従えば、高鴨神社の祭神と一言主神社の祭神は同一だということになりますね。実は、日本書紀の後に国の正式な歴史書として書かれた続日本紀には、記紀で一言主神のエピソードとして書かれてる内容を、「高鴨神」のものとして書いています。これからすれば、高鴨神社の祭神は一言主神と取れます。また葛城には高鴨神社に対して「下鴨」と呼ばれる神社があるのですが、その祭神は事代主神で、下照姫命も祭っているのです。そこでは賀茂氏の祖神として事代主神を祭っている訳ですが、それだけ見ても両神は同一か、非常に近い存在である事は確かでしょう。
狭山田女:う~ん、さっき、葛城の土蜘蛛と猪祝は別の存在だって言ってたけど、その話からすると、無関係じゃないような気もしてきたよ。
大山田女:猪祝が住んだ長柄がここのことなら、無関係じゃないでしょうね。日本書紀に続けて別に書かれている土蜘蛛が、同じ地域に住んでいる事になるのですから。ちなみに、先程卑弥呼のようなシャーマン、と言いましたけど、長柄神社の祭神・下照姫は、卑弥呼だという説もあります。
大きな地図で見る
狭山田女:卑弥呼かあ……大きな話になってきたなあ。まあ、葛城王朝とかを考えたら、土蜘蛛と卑弥呼が関係してきてもおかしくないかもね。
大山田女:卑弥呼と土蜘蛛を関係付ける説は、九州にもありますしね。さて、次は今、話に出た、一言主神社に行ってみましょう。
狭山田女:うん。長柄への行き方は、左の地図を参照してね。
ロ、高鴨神社へ
ニ、一言主神社へ
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